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『ハイジ』『フランダース』名作の理由は 「一社提供」? 号泣の結末を決めたのは意外な人物

マグミクス / 2024年2月4日 19時50分

『ハイジ』『フランダース』名作の理由は 「一社提供」? 号泣の結末を決めたのは意外な人物

■高畑勲氏、宮崎駿氏らが生み出した名作アニメ

「くちぶえは なぜ とおくまで きこえるの あのくもは なぜ わたしを まってるの」

  TVアニメ『アルプスの少女ハイジ』(フジテレビ系)のオープニングを飾ったのは、伊集加代さんが歌う主題歌「おしえて」でした。ヨーデルの響きとともに、ハイジが楽しそうにブランコを漕いでいる姿が忘れられない人は多いのではないでしょうか。

 その後の「世界名作劇場」の先駆けとなった『アルプスの少女ハイジ』は、1974年に全52話が放映されました。2024年で『ハイジ』は放送50周年を迎えます。

 総合演出は高畑勲監督、劇場アニメ『君たちはどう生きるか』(2023年)が米国のアカデミー賞長編アニメーション部門にノミネートされた宮崎駿監督も、「場面設定・画面構成」として参加しました。スタジオジブリを創設する二大アニメーターのタッグ作を、毎週視聴することができたなんて、当時の子供たちは大変リッチな体験をしていたように思います。

■1年間にわたってヒロインの成長を描く

 動物アニメ『山ねずみロッキーチャック』に続いて、『ハイジ』が放映されたフジテレビの日曜夜7時30分~8時の枠は「カルピスまんが劇場」と呼ばれていました。乳酸菌飲料のカルピスを販売していた「カルピス社」が一社提供していた番組枠です。1年間4クール放映が前提となっており、子供たちにとっては「NHK大河ドラマ」のように見逃せない時間になっていました。

 オファーを受けた高畑監督は、『ハイジ』のアニメ化に最初は難色を示していたそうです。「なんで実写でできるようなものをわざわざアニメにするの?」というのが反対理由でした。「日常アニメ」の巨匠のように思われている高畑監督ですが、この頃はアニメーションならではのファンタジックさや躍動感のある作品を目指していたようです。

 しかし、『ハイジ』の製作サイドは、高畑監督、宮崎監督、キャラクターデザインを担当した小田部羊一氏をスイス、ドイツにロケハンに行かせるなど、良質のTVアニメをつくることに大変な熱意を見せたのです。『ハイジ』は海外までロケハンした初のTVアニメになりました。

 1年間にわたって、ハイジの成長をじっくりと描けたことも幸いしました。『ハイジ』の成功によって、高畑監督は平凡な日常生活でもリアリティーたっぷりに描くことで面白いアニメーションになることを実感したのです。

 平均視聴率は20%以上、カルピスの売れ行きも好調。スポンサーが作品内容に口をはさむことはありませんでした。1969年に放送が始まった『サザエさん』(フジテレビ系)も、長く「東芝」がスポンサーとなっていました。「一社提供」という安定した形態が、「日常アニメ」というジャンルを生み出したといえそうです。

■アルムおんじは「人殺し」なのか?

「世界名作劇場・完結版 フランダースの犬」DVD(バンダイビジュアル)

 幼くして両親を亡くしたハイジに、アルムおんじは優しく接します。ハイジのために、アルムおんじがチーズを火であぶるシーンは本当においしそう。ですが、村の人たちはアルムおんじを偏屈な変わり者で「人殺し」だとうわさします。おんじは本当に人殺しだったのでしょうか?

 キャラクターづくりのために、高畑監督と宮崎監督は徹底的に話し合ったそうです。アルムおんじは山小屋で2匹のヤギを飼っているだけです。はたして、それだけで育ち盛りのハイジを養うことができたのか、いろいろと考察されました。

 スイスといえば永世中立国で、精密機械、化学製薬、金融業で知られていますが、『ハイジ』が描かれた19世紀は貧しい山国でした。傭兵の輸出が、当時は重要な産業だったのです。アルムおんじは若い頃は傭兵だったと原作でも触れてあり、そのときの蓄えがあるに違いないという考えから、山小屋で暮らすおんじのキャラクターと生活のディテールがつくられていったのです。

 傭兵としての体験は、アルムおんじにとっては話したくない過去なのでしょう。心を閉ざしがちだったおんじにとって、天真爛漫(らんまん)なハイジはかけがえのない存在なことが分かります。

 2023年12月にNHK総合で放映された『プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿とジブリの2399日』は、2018年に亡くなった高畑監督に対する宮崎監督の喪失感の深さを伝えていました。『ハイジ』を高畑監督と一緒につくるために、宮崎監督は野球アニメ『侍ジャイアンツ』(日本テレビ系)を途中で放り出しています。『ハイジ』に続き、『母をたずねて三千里』、『赤毛のアン』と名作アニメが生まれたのも、ふたりの厚い友情があったからでしょう。

■ハッピーエンド案も検討された『フランダースの犬』

「パトラッシュ、疲れたろう。僕も疲れたよ。なんだか、とても眠いんだ」

 真冬のアントワープ大聖堂で倒れたネロ少年が、愛犬パトラッシュに最期につぶやいた言葉です。『ハイジ』の後を受けて、1975年に放映された黒田昌郎監督の『フランダースの犬』も話題になりました。

 絵を描くことが大好きなネロでしたが、おじいさんが亡くなってからは不幸の波状攻撃に飲み込まれてしまいます。当時はまだその言葉はありませんでしたが、「死亡フラグ」が立っている状況でした。フジテレビには、「ネロを死なさないで」という助命嘆願の手紙が殺到しました。

 ネロが凍死するという悲劇的な結末を避けようと、製作陣もハッピーエンド案を検討していました。しかし、すべての脚本に目を通していたカルピス社の土倉冨士雄社長の決断で、日本中の子供たちが大号泣したあのラストシーンになったのです。

 土倉社長は熱心なキリスト教信者でした。最終回でネロは孤独に死んだのではなく、パトラッシュと一緒に天国に召され、おじいさんやお母さんと仲良く暮らすことになった、という解釈から、原作小説のままの結末になったのです。

 現在の日本は少子高齢化社会となり、市場が縮小したこともあり、カルピス社はアサヒ飲料グループの子会社となっています。お風呂あがりに、母親が作ってくれた冷たく甘いカルピスを飲みながら、お茶の間でテレビを楽しんでいた時代がとても愛おしく感じられます。

(長野辰次)

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