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マンガ原作者・梶原一騎氏の生涯 貧困、暴力…濃厚な「昭和」を描く

マグミクス / 2024年5月28日 7時25分

マンガ原作者・梶原一騎氏の生涯 貧困、暴力…濃厚な「昭和」を描く

■『巨人の星』『あしたのジョー』の生みの親

『巨人の星』『あしたのジョー』『タイガーマスク』『空手バカ一代』など、数多くの人気マンガを生み出したことで知られているのが、マンガ原作者の梶原一騎(かじわら いっき)氏です。日本のマンガ史を語る上で、外せない人物だといえるでしょう。

 野球マンガ『巨人の星』の主人公である星飛雄馬は、球質が軽いという弱点を克服するために次々と魔球を編み出し、読売ジャイアンツを優勝へと導きます。ボクシングの世界を描いた『あしたのジョー』の矢吹丈は、少年院で力石徹というライバルに出会い、持てる情熱のすべてをボクシングに注ぐようになります。飛雄馬や丈のような熱い生き方は、高度経済成長期の日本社会に見事なほどにシンクロしていました。

 梶原作品はアニメ化や実写映画化されることも多く、幅広い人たちに今なお愛され続けています。しかし、その一方では強面(こわもて)のイメージが、梶原氏には強く付きまとっています。日本マンガ史のレジェンドともいえる、梶原氏の生涯を振り返ります。

■映画界や格闘技界に関わり、派手になった生活

 1936年生まれの梶原氏の本名は、高森朝樹(たかもり あさき)です。都立芝商業高校を中退した梶原氏の作家デビューは17歳と早く、スポーツ新聞で実話小説『力道山物語』を連載したことから、人気プロレスラーの力道山と知り合い、このことがきっかけで『チャンピオン太』などのスポーツマンガの原作を手掛けるようになります。

 とりわけ1966年に連載が始まった『巨人の星』は作画担当の川崎のぼる氏、1968年から始まった『あしたのジョー』はちばてつや氏との間に化学反応が起き、大人気作となりました。『巨人の星』と『あしたのジョー』を同時連載していた「週刊少年マガジン」(講談社)は、黄金時代を迎えます。

 1971年には『空手バカ一代』の連載が始まり、「極真会館」の創設者である大山倍達氏と「義兄弟」の契りを交わす仲になります。「スポ根」ブームを巻き起こす一方、同じく「週刊少年マガジン」で連載された『愛と誠』は西城秀樹さん主演作として1974年に実写映画化され、梶原氏は映画界とも深く関わっていきます。

 夜の銀座を飲み歩くことで有名だった梶原氏は、1975年に「三協映画」を設立し、お金の使い方がますます激しくなっていきました。『格闘技世界一 四角いジャングル』(1978年)などのドキュメンタリー映画は興行的な成功を収め、梶原氏の周囲を次第に屈強な男たちが取り巻くようになっていきます。

 そんな折、梶原氏が警察に逮捕されるというショッキングな事件が起きたのです。

■「アントニオ猪木監禁事件」の真相は?

梶原一騎氏の遺作であり、自伝でもある『男の星座』の最終巻表紙『梶原一騎人生劇場 男の星座』新装版9(原作:梶原一騎/劇画:原田久仁信/ゴマブックス)

 1983年に梶原氏は、「月刊少年マガジン」副編集長への傷害事件で逮捕されます。他にも赤坂のクラブホステスへの暴行未遂、さらにはプロレスラーのアントニオ猪木選手をホテルに監禁したなどのスキャンダルが、マスコミによって報じられました。

 ひときわ注目を集めた「アントニオ猪木監禁事件」については、小島一志氏の著書『純情 梶原一騎正伝』(新潮社)が詳しく取り上げています。『純情』によると、梶原氏が大阪のホテルに泊まったところ、アントニオ猪木選手も同宿しており、軽い気持ちで部屋に呼び出したところ、ずいぶん経ってから大騒ぎになったそうです。

 梶原氏の原作『タイガーマスク』の世界から生まれた覆面レスラーのタイガーマスクが、当時の「新日本プロレス」では大人気を博していました。ところが、新日本プロレスのアントニオ猪木社長は、「タイガーマスク」のキャラクター使用料を支払わずにいました。両者の間に金銭面でのトラブルがあり、その部屋には暴力団関係者もいたことから、マスコミが騒ぎ立てる事態になったのです。

 アントニオ猪木監禁事件に関しては起訴されていませんが、梶原氏の逮捕と一連の騒ぎによって、マンガ原作者としての地位と名声は失われることになりました。

■実弟が語った素顔の「梶原一騎」像

 梶原氏は思春期を、少年を保護する福祉施設である「感化院」で過ごしています。梶原というペンネームは、感化院で知り合い、一緒に逃げ出した女の子の名前から付けられたものだと、斎藤貴男氏のノンフィクション『「あしたのジョー」と梶原一騎の奇跡』(朝日文庫)では語られています。不良少年だった梶原氏の、意外なロマンチストぶりを感じさせるエピソードです。

 梶原氏の実弟で、やはりマンガ原作者だった真樹日佐夫氏を、韓国映画『風のファイター』(2004年)の日本公開時にインタビューする機会がありました。梶原氏について尋ねると、「大変なロマンチストだった」と語ってくれました。

 前述した空手家の大山氏、梶原氏、真樹氏が「義兄弟」だった頃、3人で月に一度はステーキハウスで会食したそうです。その席で大山氏と梶原氏は「ライオンとトラはどっちが強いか?」ということをお酒なしで、真剣に語り合っていたとのこと。ふたりの無邪気さを、笑って振り返る真樹氏でした。

 梶原氏は裁判で執行猶予つきの有罪判決となり、「梶原一騎引退記念作品」と銘打ち、自伝的マンガ『男の星座』の連載を始めます。『男の星座』を完結させ、その後は念願だった小説家としての仕事に専念する予定でした。しかし、『男の星座』の連載中に体調を崩し、1987年(昭和62年)1月21日に東京女子医科大学病院で亡くなります。享年50歳でした。

 梶原作品に触れると、貧困、偏見、暴力、野心、挫折といった濃厚な「昭和」感が伝わってきます。梶原氏自身はマンガ原作者であることをコンプレックスに感じていたともいわれていますが、ここまで昭和という時代を描き切った表現者は、他にはそうそういないのではないでしょうか。梶原作品を振り返るたびに、昭和という時代が遠くなっていくことを感じずにはいられません。

(長野辰次)

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