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『包丁人味平』 ひとりの男を料理の世界に導いた、「料理マンガ」のパイオニア

マグミクス / 2020年2月18日 19時10分

『包丁人味平』 ひとりの男を料理の世界に導いた、「料理マンガ」のパイオニア

■『男が料理をする」という考えが珍しい時代に「夢」を見せた

 子供の頃に見たテレビ番組やマンガがその後の人生に影響を与えること、たとえば『巨人の星』を見てプロ野球選手に憧れたり、『タイガーマスク』を見てプロレスラーを夢見たり……といった思い出を持つ方はたくさんいらっしゃると思いますが、後の人生でそれを実現した人は、それほど多くないのではないでしょうか?

 逆をいえば、万人がなれるわけではない『プロスポーツ選手』だからこそ、マンガのなかの選手は私たちに『夢』を与えてくれる存在といえます。「その道のプロ」になるには、どんな職種であろうと地道な努力と修行の積み重ねが不可欠。どれも一朝一夕では叶いません。

 これまで数多くの「職業」がマンガの題材として取り上げられてきましたが、そのなかでも「料理人」にスポットを当てたパイオニア的作品が、1973年~1977年にかけて集英社「週刊少年ジャンプ」で連載された『包丁人味平』(原作:牛次郎 作画:ビッグ錠)です。

 現在、東京・浅草でフレンチレストラン「ナベノイズム」を営み、『ミシュランガイド東京2020』で2年連続「二ツ星」を獲得した渡辺雄一郎シェフは、幼少期に読んだ『包丁人味平』がきっかけで現在の道に進んだと語ります。

「1967年生まれの私にとって、『包丁人味平』という作品は『調理師』という職業を意識するひとつのきっかけでした。昭和時代の子供にとって『男が料理をする』という考えは珍しいものでしたが、この『味平』とTBSで土曜の夕方に放送されていた『料理天国』(1975~1992年)に影響を受けたことは間違いありません。高校卒業後、私が『大阪あべの辻調理師専門学校」へ進んだのも、『料理天国」に出演されていた小川忠彦先生や辻静雄先生から料理を学びたかったからです」

 渡辺シェフは「大阪あべの辻調理師専門学校」を卒業後、フランスでの修行を経てから東京の「ル マエストロ・ポール・ボキューズ東京」、「タイユヴァン・ロブション」、「ジョエル・ロブション」を経て今に至るのですが、「きっかけではあるものの、料理人として『味平』から影響を受けたことはありません」とも、(苦笑気味に)振り返ります。

 その理由は、ある意味「昭和の劇画」らしい、同作の料理描写にあります。

■「トンデモ描写」ありつつも、第一線の料理人やリアルな現場を紹介

『包丁人味平』の物語は、和食の世界で「名人」と誉れ高い料理人、塩見松造の息子である味平が、父とは真逆の「大衆料理」の道を目指し、奮闘していくというもの。

「骨だけになった鯛を水槽で泳がせる、塩見松造による『活け造り』」や、「包丁試し」勝負での「アイスクリームのフライがコロッケにすり替わる」描写。「お湯に塩のみで味付けする『潮勝負』の際、味平の汗が鍋に落ちて、味が変わってしまった」エピソードや、「無法板の練二」による「白糸バラシ」に「地雷包丁」、そして「ひばりケ丘カレー戦争」編での「麻薬入りのブラックカレー」などなど、劇中のトンデモ描写は枚挙にいとまがありません。

 しかし、その一方で『包丁人味平』は、洗い方からチーフコック、花板などといった料理人のヒエラルキーや、トップに至るまでの修行の大切さを伝え、コック出身で帝国ホテルの社長に就任した犬丸徹三氏や、1964年の東京オリンピックで男子選手村の料理を担当した帝国ホテルの村上信夫氏、女子選手村を担当した横浜ホテルニューグランドの入江茂忠氏、ホテルニューグランド初代料理長、S・ワイル氏など、料理の業界に関する知識や、当時最前線に立っていた料理人たちの存在を作中で紹介しています。

 今でこそTV番組などにプロの料理人が登場し、世に知られた有名シェフも多くいますが、1970年代にそれを行った『包丁人味平』の功績はかなり大きいのではないでしょうか? 渡辺シェフ以外にも、このマンガを読んで料理人を志したという方は多いと思われます。『包丁人味平』は昭和の骨太なマンガですが、今の若い世代にも読んでほしい作品です。

(渡辺まこと)

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