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親も気まずかったよね…お子様も観た昭和の劇場アニメ 語り継がれるサービスシーン

マグミクス / 2024年7月20日 6時25分

親も気まずかったよね…お子様も観た昭和の劇場アニメ 語り継がれるサービスシーン

■映画館の中でフラッシュが焚かれた←本当です

 今も昔も、アニメにはサービスシーンが付き物です。昭和の時代、メジャーな作品でも際どさで当時の少年や青年の目をくぎ付けにするシーンが盛り込まれていることは多々ありました。親に連れて行ってもらった映画でそのようなシーンに当たった日には、席を移動することもままならないなか、実にさまざまな感情が入り乱れたことでしょう。

 いまなお語り継がれる、そうしたサービス満点な劇場公開アニメ作品を見ていきましょう。

●劇場版『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』 セイラ・マスのお風呂シーン

 1980年代の劇場アニメでもっとも話題となったサービスシーンといえば、『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』で描かれた「セイラ・マス」のお風呂とシャワーでしょう。元々はTV版の第37話「テキサスの攻防」で、マ・クベ隊と戦う直前に入浴していました。

 そのTV版では、バストトップより上とひざ下程度しか見えていなかったものの、風呂から出ようとタオルを取り、体を覆うまでになんだかいろいろ見えているような瞬間があり、これだけでも当時の少年たちを興奮させるには十分だったと思えます。このシーンでは、セイラの「命拾いの後の、いいお風呂だったのに」というセリフがあり、ホワイトベース隊が連戦に次ぐ連戦を強いられていたことがうかがえます。

 劇場版は、基本的にTV版の再編集であるにもかかわらず、このシーンが新規作画の追加によりブラッシュアップされており、それはもうガッツリといろいろなところが見えていました。親と一緒に劇場でこのシーンを観た方や、後日、家族と一緒にTVで観た方は、気まずい思いをしたのではないでしょうか。

 当時はいまと違い劇場内の撮影が黙認されており、該当のシーンになるとフラッシュやカメラのシャッター音が響いたこともあったそうです。世の中が元気で、おおらかで大雑把な時代ならではのエピソードでしょう。

●『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』 リン・ミンメイのシャワーシーン

 アニメ『超時空要塞マクロス』に登場した「リン・ミンメイ」のシャワーシーンも、当時話題となりました。

 TV版では第4話「リン・ミンメイ」にて披露されたシーンで、このときミンメイと主人公の「一条輝」は「マクロス」艦内の無人区画で遭難しており、久々にシャワーを浴びたミンメイは気持ちよさそうにくるりと回って背中からお尻まで、スレンダーな裸身を披露しています。なおこの第4話は戦闘シーンがないという、当時のロボットアニメとしては極めて挑戦的なつくりをしているのも特徴です。

 劇場版『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』でも、艦内で遭難しているシチュエーションでミンメイがシャワーシーンを披露しています。このときは、配管から水が噴き出している場所を見つけた輝が、周囲をビニールのようなもので覆い、ミンメイがなかに入って全裸でくるくる回るという煽情的なシーンでした。このシーンもやはり写真撮影をしていた方がいたというエピソードが遺されています。

 なおこのシーンは、「無重力状態なのにシャワーは可能なのか」と疑問を抱いた方がいたようです。史実においてはアメリカが1974年に宇宙ステーション「スカイラブ」で、直径90cmの円筒型のルームにゴーグルをかけて入り、ホースから直接水を吹きかけるかたちでシャワーを浴びた記録があるので、不可能ではないようです。

●「くりいむレモン」シリーズ『旅立ち~亜美・終章~』

 1980年代に人気を博したアダルトアニメ「くりいむレモン」シリーズで唯一、劇場作品として制作された『旅立ち~亜美・終章~』は、一般作として公開されましたが、当時としては極めてエロティックな描写が多い作品です。1986年の夏映画として上映された『プロジェクトA子』との併映だったため、コメディアクションぽいTVCMが流れていた『A子』目的で足を運び、思いがけず『旅立ち~亜美・終章~』を観てしまったという家族連れもいたようです。

 そもそも『プロジェクトA子』自体が元々は「くりいむレモン」の派生企画であり、そして「くりいむレモン」が、上述した「セイラさんの写真撮影をしているファン」がいたことから生まれた企画といわれているため、物事はどこかでつながっていることを感じさせてくれます。

 ちなみに脚本を担当している倉田悠子先生は、「くりいむレモン」シリーズでは『SF超次元伝説ラル』や『黒猫館』を執筆した作家です。のちに本名の稲葉真弓名義で小説家として活躍し、2008年には川端康成文学賞、2011年には谷崎潤一郎賞など権威ある賞を多数受賞、2014年には紫綬褒章を授与されています。同年8月に脾臓癌で、惜しまれつつも64歳で亡くなりました。

 倉田悠子時代のことを綴ったエッセイ「私が“覆面作家”だったころ」が2020年に星海社から復刊された『黒猫館・続 黒猫館』に掲載されているので、興味のある方は入手してみてはいかがでしょうか。

(早川清一朗)

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