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昭和時代、マンガの“休載”はアウト! 「作者休んで」の風潮はいつ生まれた?

マグミクス / 2024年7月25日 20時25分

昭和時代、マンガの“休載”はアウト! 「作者休んで」の風潮はいつ生まれた?

■マンガ誌の「休載」を目にする機会が増えてきた

 先日、「月刊Gファンタジー」(スクウェア・エニックス)編集部が、人気マンガ『黒執事』を2024年7月18日発売の8月号から長期休載すると発表しました。理由は作者である枢やな先生の「少し長めのメンテナンス休暇」「心身を整えるため」で、休載中は過去回を連載形式で再掲載するそうです。

 最近、マンガ誌でこうした休載のお知らせを目にする機会が増えました。表だった告知はなくても『ONE PIECE(ワンピース)』や『名探偵コナン』はある程度定期的に休載していますし、目次ページに注意書きの形で自然と休載が記されている作品も多く見られます。

 休載の事情は一概にはいえません。作者の体調不良や環境の問題、作者と編集部の意見の相違、オーバーワーク回避のためのスケジュール調整、そして純粋に締め切りに間に合わなかったため。しかし、かつてと比べて近年、連載マンガの休載を読者も編集者も温かく受け止めるようになったように思います。

「作者、急病につき休載させていただきます」「作者、取材につき休載させていただきます」といった定型文で休載が告知されていた昭和の時代、マンガの休載は重大な出来事で、ネガティブなイメージでとらえられていました。まだマンガのビジネス構造が雑誌主体だったため、連載マンガは毎回掲載していて当然。特に人気作品は、それが掲載されているか否かによって雑誌が売れる部数、つまり収益が大きく左右されるのですから、編集側も必死です。

 1957年に手塚治虫先生が行方不明になった際、秋田書店の有名な編集者の壁村耐三さんは、若手だった赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生、藤子・F・不二雄先生、藤子不二雄A先生の4人に共同で『ぼくのそんごくう』の代筆を依頼したそうです。締め切り当日になって手塚治虫先生の原稿が届いたので、代筆の『ぼくのそんごくう』は掲載には至りませんでしたが、当時、休載がどれだけ忌避されていたかが分かるでしょう。

 また藤子不二雄先生は、その2年前の1955年に短期間で複数の締め切りを破ってしまった咎(とが)で(一説には連載5本の内3本、読切4本の内3本)、連載作品らを打ち切られ、しばらくの間、干されていました。これも休載の重要性を示した事例ですが、この件にはもうひとつ注目すべき点があります。

 打ち切られた連載のひとつ『海底人間メバル』の休載時、トキワ荘の先輩である寺田ヒロオ先生の『怪力ゴジラグローブ』が代原として掲載されたのですが、そのページの柱部分にはこう記されていました。

「海底人間メバルの藤子不二雄先生がご病気のため、今月はざんねんながらおやすみしました」

 もちろん子供の読者相手に「締め切りに間に合わなかったため」とは書けませんから、嘘も方便ということでしょうが、休載のお知らせの定番である「作者、急病のため~」が、すでにこの時代に確立していたのは興味深いです。

 しかし、こうした裏事情を読者も察していったのか、実際に病気や取材かどうかに関わらず「作者、急病につき~」「作者、取材につき~」といった文言は、年を経るにつれて説得力を失っていきます。

 昭和のマンガファンで、そのような文言を見て「ああ、間に合わなかったんだな」と思った人も多いでしょう。

■「休載」のネガティブなイメージが変わるきっかけになった漫画家

アニメ化もされた『ストップ!! ひばりくん!』 画像はDVD-BOX デジタルリマスター版(TCエンタテインメント)

 このようにネガティブなイメージで一大事だった休載の、ひとつのターニングポイントとなったのは江口寿史先生の存在でしょう。

 江口先生は、1981年に連載を開始した『ストップ!! ひばりくん!』の頃から、絵へのこだわりからか執筆に時間がかかるようになり、休載を繰り返すようになります。実際にはご本人も編集側も大変だったと思います。しかし、根がギャグ漫画家ゆえか、マンガのなかで作者の江口先生自身が締め切り間際に白いワニの幻覚を見たり、今度締め切りを守れなかったら坊主頭になると宣言したり、その結果坊主にするなど、虚実皮膜のギャグを展開していきました。

 そして、そのギャグが面白かったため、それまで読者が休載に抱いていたネガティブなイメージが和らぎ、カジュアルに「掲載か休載か」をも楽しめるようになってしまったのです。その一方で、編集側の事情としては、80年代から90年代にかけて、マンガのビジネス構造は雑誌から単行本に軸を移していきます。雑誌単体では赤字でも、そこから派生する単行本の利益で全体的には黒字にする形です。

 こうした構造の変化により、マンガは雑誌で読み捨てるものから、単行本として買う価値のある、読み応えのあるものへとシフトしていきます。そのため寡作でも熱烈なファンを持つ、いわゆるマニア向けの漫画家が台頭し、編集側としても、毎回雑誌に掲載されなくても、単行本で収益があがるのであればと休載が多めの作品、あるいは不定期連載の作品が顕現するようになりました。

 その先駆ともいえる例が萩原一至先生の『BASTARD!! -暗黒の破壊神-』でしょう。同作は1988年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)で連載が開始されましたが、翌年に中断し、1990年に季刊の「週刊少年ジャンプ増刊」で連載再開。その後、1997年に「週刊少年ジャンプ」本誌に異例の月イチ連載として復活しています。2000年代では「週刊少年ジャンプ」の『HUNTER×HUNTER』、「月刊コミック電撃大王」(アスキー・メディアワークス)の『苺ましまろ』や『よつばと!』などがそうでしょうか。

 その後、2010年代になると、マンガ雑誌のWeb進出が本格化していきます。Web媒体は紙媒体と違い、雑誌として決められたページ数がないため、編集側のWebオリジナル作品の休載のハードルは下がりました。同時に、紙媒体もWebオリジナル作品を「代原(代理の原稿)」として掲載することもできるので、こちらもかつてのような休載や減ページへの拒否感は薄れていきます。

 読者側も漫画家自身を描いたエッセイ作品のヒットやSNSでの情報発信で、マンガを描くことがどれだけ過酷な労働であるかを熟知し、徐々に休載のネガティブなイメージは薄れていきました。昨今では、むしろ作品のクオリティや作者の健康維持のため、編集側も読者側も休載を推奨するような傾向さえあるように思います。

 前述の『黒執事』の時もそうでしたが、かつては端的に「病気のため」「取材のため」としていた休載理由を、最近は事前に詳細に示すようになったのも、読者の納得を呼んでいると思います。

 以前、マグミクスで配信した記事「えっ何ですかそれ? 読者が笑った漫画家『休載理由』とは」では、『ゴールデンカムイ』や『ONE PIECE』の休載コメントを紹介しました。『ゴールデンカムイ』の野田サトル先生は、休載の理由を「取材のため」「コミックス校正作業のため」などのほか、「狩猟のため」「出塁のため」「春闘のため」などと「ネタ」にして読者を楽しませました。『ONE PIECE』の尾田栄一郎先生は、手術での休載の際も「せっかくの手術ですので肩にはバズーカもつけて貰う予定です」など、ユーモアあふれるコメントをしています。読者の休載についてのイメージの変遷に、うまくのっとったものだと思います。

 最後にいち読者として何よりマンガに期待しているのは、作者の構想に沿った作品の完結です。特に長寿マンガが増えている昨今、漫画家の健康と意図を最大限に尊重した上で、計画的に休載を利用してくれれば、と思います。

(倉田雅弘)

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