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SG-1000はなぜ「成功」といえるのか ファミコンと同日発売 セガ初の家庭用ゲーム機

マグミクス / 2024年7月28日 7時5分

SG-1000はなぜ「成功」といえるのか ファミコンと同日発売 セガ初の家庭用ゲーム機

■SG-1000は「思ったより売れた」

「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」末期に優れたグラフィックやサウンドが存在感を放っていた「セガ・マークIII」や、米国では「スーパーファミコン」に競り勝った瞬間もある「メガドライブ」(現地では「Genesis」)と比べて、圧倒的に過小評価されがちなのが「SC-3000」と「SG-1000」でしょう。

 どちらも1983年7月に発売された、セガ初の家庭用ゲーム機です。正確には、SC-3000がキーボードを備えてゲームが遊べる「ゲームパソコン」であり、SG-1000がそこからキーボードを取り除いてゲーム専用機に特化した位置づけです。

 世間での扱いがどれほど低いかといえば、ほぼ「ファミコンの同時代に敗れていった負け組ハードのひとつ」程度のものです。オーバーテクノロジーのような表現力を備えたファミコンの先進性を示すように、現れては消えていったゲーム機のなかで「そんなものもあったね」くらいです。

 確かに数字だけで見れば、ファミコンが「1983年だけ」で40万台以上も売れていたのに対して、SG-1000は「累計販売台数」で16万台といわれ、足下にも及びません。

 しかし、本当にセガが「失敗」と判断していたなら、そこで家庭用ゲーム機からは撤退してしまい、後のセガ・マークIIIもメガドライブも投入しなかったはずです。当時の家庭用ハード責任者だった佐藤秀樹氏も「思ったより売れた」と振り返っていたのですから、大は付かなくとも「成功」であることは疑いありません。

■急きょ「ファミコン並み」にコストダウンしたフットワークの軽さ

本来は主役になるはずだったゲームパソコン「SC-3000」。キーボード内蔵で3万円を切る価格は当時としては驚異だったが、ファミコンに対抗するためにコストダウン版のSG-1000が脚光を浴びることに (画像:セガ)

 そもそも、なぜセガ家庭用ハードにとって原点となったSC-3000/SG-1000は誕生したのでしょうか。その理由のひとつは「任天堂が家庭用ゲーム市場でうまくやっていたから」です。

 まだファミコンが世に出る前の任天堂は、「元祖携帯ゲーム機」こと「ゲーム&ウォッチ」が売れに売れていましたし、それ以前の据え置き型ゲーム機「カラーテレビゲーム15」などもそこそこ順調だったようです。セガも任天堂も業務用ゲームに深く関わっていたことから、ライバル意識もあったのでしょう。

 もうひとつの背景としては、1982年から翌83年にかけて、安価なホビーパソコンが次々と登場したことです。トミーの「ぴゅう太」やソードの「M5」、バンダイから「RX-78」(ガンダムと同じ型番)、海外からも「コモドール64」などが渡航してくるなどしています。

 そのどれもが、従来のパソコン(ないしマイコン)ほど高価ではなかったとはいえ、数万円はしました。M5が5万円を切る価格で安いと驚かれたくらいです。

 そのようななか、SC-3000は2万9800円という破格の「低価格」でした。「約30000円」→ケタが多いので「3000」が名前の由来であり、価格破壊が最大の武器という狙いです。そのため、ほとんどのパソコンで内蔵していたBASICを別売りにしたり、思い切ったコストダウンを図ったりしていたのです。

 ところが、SC-3000の開発がおおむね終わった頃、当時の中山隼雄社長は、任天堂がゲームに特化したマシンを出すという情報をキャッチしました。そこで鶴のひと声で、キーボードを取り払ったゲーム専用機の開発を指示し、SG-1000が誕生することになります。

 発売日はファミコンと同じ1983年7月15日、価格は1万5000円でファミコンとほぼ互角です。グラフィック表示能力などは明らかに劣っていましたが、ここまで価格的に食らいついたライバルハードは当時ありませんでした。さらに、ファミコンの初期ロットには次々とバグが見つかって、クリスマス商戦時に対象のロットは全品回収となり、セガにとって追い風となります。

 しかもSC-3000/SG-1000は、セガ社内で必死に開発したわけでもなく、外部のフォスター電機にほぼ丸投げでした。それでSG-1000だけでも16万台も売れたなら、大成功に思えますよね。

 こう振り返ると、「ほぼ任天堂のおかげで予想以上に成功」という印象はあります。実際、当時のセガ社員もデパートで販売の応援にかり出され、SG-1000を「セガのファミコンです」といってお客に売り込んだという証言も残っています。

■「ファミコンでは遊べない」ゲームを遊べるSG-1000の強み

急ごしらえだったSG-1000を元にデザインを刷新し、ブラッシュアップしたSG-1000II。付属ジョイパッドもひとつからふたつになるも、性能が変わらなかったため予想ほど人気は出ず、セガ・マークIIIの布石となった (画像:セガ)

 セガはSG-1000でいちおうの成功は収めたものの、注目すべきは「その後も家庭用ゲーム機ビジネスを続けた」ことでしょう。続けられた理由は、ひとえに「専用ソフトを供給し続けられた」ことに尽きます。

 たとえば、本体が相当、売れていたぴゅう太や「スーパーカセットビジョン」でも、専用ソフトは30本前後といったところです。しかし、SG-1000は(別売りのカードキャッチャが必要なマイカードも含めれば)70本以上あり、「ファミコン以外」であれば図抜けた充実ぶりでした。

 発売初年だけでも『ボーダーライン』や『N-SUB』『コンゴボンゴ』『スタージャッカー』『チャンピオンベースボール』『シンドバットミステリー』といったラインナップです。ほぼすべてがアーケード(業務用)ゲームの移植であり、まさに「ファミコンでは遊べない」タイトルのオールスターといえるでしょう。

 それら全部をセガ社内で開発する力はまだなく、その多くが外注でした。できが良くないものも少なくありませんでしたが、「セガが原作となるアーケードゲームを保有しており、外注の開発費だけで済んだ」ことが重要です。とにもかくにも、枯れ木も山の賑わいとばかりに、数の上ではたいていのライバルハードをしのいでいたのです。

 次第にタマ不足で苦しくなり、『セガ・ギャラガ』や『コナミの新入社員とおる君』など、ライセンス料を支払って他社製ゲームを移植するケースも増えたとはいえ、逆にいえば、「家庭用ゲーム」がそこまでして続けたいビジネスに育っていたのでしょう。

 丸投げで作らせたSG-1000はツメが甘かったため、翌1984年には、性能はそのままに、デザインも金型も作り直した「SG-1000II」が発売されました。しかし思ったほど手ごたえがなかったため、1985年にはアーケードゲームの移植にも耐えうる真打「セガ・マークIII」が登場しています。

 家庭用ゲーム機市場に初参入してから、第3世代ゲーム機を出すまでが、たったの3年強です。セガのノリの良さと「これが駄目なら次」というフットワークの軽さ、高い技術力を持つ自信があるゆえにとことんまで突き進んでしまうところ……といった、後年の「セガサターン」や「ドリームキャスト」の栄光や挫折をまるごと予告していたようなハードこそ、SG-1000だったのです。

(多根清史)

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