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【インタビュー】画業65周年の水野英子先生 時代のタブー破り「恋愛マンガ」生んだ

マグミクス / 2020年4月21日 12時10分

【インタビュー】画業65周年の水野英子先生 時代のタブー破り「恋愛マンガ」生んだ

■14歳にして手塚治虫に見いだされ、「トキワ荘」で腕を磨く

 女の子の憧れが詰まった少女マンガ。そのなかで不動の人気を誇る「恋愛マンガ」は、かつてはタブーとされていた時代もありました。その禁忌を打ち破り、初めて正面から恋愛マンガを描いたのが、トキワ荘に紅一点滞在したことで知られるマンガ家の水野英子さんです。

 水野英子さんは2020年3月に『画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会』(玄光社)を刊行。「少女マンガの歴史そのもの」と言うべき画業をまとめました。かつて石森(現・石ノ森)章太郎さん、赤塚不二夫さんなどが集まったマンガ家の梁山泊・トキワ荘に紅一点として滞在した時代の記憶、そして自らの画業について、水野英子さんに語っていただきました。

* * *

――1955(昭和30)年に「少女クラブ」でデビューして今年で65年。それを記念して『画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会』が発売されました。本画集には、デビュー前に描かれた幻の原稿が初めて掲載されたそうですね。

水野英子(以下、敬称略) 小学生の時に手塚治虫先生の『漫画大学』を読んで衝撃を受けた私は、中学生になると「漫画少年」(学童社)にマンガを投稿するようになりました。でも「佳作」止まりでなかなか掲載されず、就職もしました。すると中学卒業と同時に、大日本雄弁会講談社(現・講談社)から手紙が届いたんです。

 差出人は「少女クラブ」の編集者で、手塚先生を担当されていた丸山昭さん。当時、手塚先生が滞在していたアパート、並木ハウスで原稿の整理を頼まれた丸山さんが、押入れの天袋にしまわれていた私の作品『赤い子馬』を見つけてくれたんです。それをきっかけに手塚先生からご推薦をいただき、丸山さんから「少女クラブ」でのカットや4コママンガを依頼されるようになりました。まさに運命の投稿作品。この原画を、今回画集で初めて公開しています。

■「トキワ荘」では、振り返ると石森先生の背中が見えた

かつてのトキワ荘の建物を再現した「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」の外観(提供/豊島区)

――1958(昭和33)年3月には、山口県下関市から上京。同年10月まで、トキワ荘に入居されていますね。

水野 その頃、石森(現/石ノ森)章太郎さん、赤塚不二夫さんと「U・マイア」のペンネームで合作を始めていました。でも、私がいた下関とおふたりがいる東京では、原稿のやり取りが大変だった。上京して、丸山昭さんのお世話でトキワ荘に入居しました。

 私の部屋の向かいは石森さんのお部屋。後ろを振り返ると、ちょうど石森さんがマンガを描く背中が見えました。みなさんドアを開けっ放しで、誰でもウェルカムです(笑)。石森さんが掛けるクラシックやポピュラー音楽のレコードに耳を傾けながら執筆していましたね。

 トキワ荘は1982(昭和57)年に取り壊されましたが、今年2020年に東京都豊島区に「トキワ荘マンガミュージアム」が開館予定です。トキワ荘を再現した建築で、私も色々アドバイスさせていただきましたので、オープンを楽しみにしてください。

■「お見合い結婚」が当たり前の時代、少女マンガに“LOVE”を導入

「少女クラブ」で連載された『銀の花びら』(原作/緑川圭子)。ピーターは妹のリリーを救うため銀の騎士となる。『画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会』(玄光社)に収録。 (C)水野英子

――1957(昭和32)年から「少女クラブ」で連載が始まった『銀の花びら』(原作/緑川圭子)は、手塚治虫さんの『リボンの騎士』とともに、少女マンガの礎(いしずえ)になったといわれています。

水野 『リボンの騎士』は、連載1回目から夢中になって読んでいましたので、同じ掲載誌で描けることに舞い上がるような思いでした。『銀の花びら』は、「少女クラブ」の編集員だった丸山昭さんによると、『リボンの騎士』を継ぐ西洋ロマンを描ける人が、私の他にいなかったということでした。

『銀の花びら』連載が終わった翌1960(昭和35)年、私は初めての本格的オリジナル連載『星のたてごと』を開始しました。『銀の花びら』でも、兄妹の間に生まれる淡い思慕を描きましたが(本当の兄妹ではなかったので)、少女マンガを描くからには、避けて通れないテーマがあると思いました。男女のロマンスです。『星のたてごと』は、初めて本格的に恋愛を描いた作品です。

 今でこそ、恋愛テーマは当たり前となっていますが、まだ当時は男女間のことについて触れてはならないという風潮があった。結婚も「お見合い」が当たり前という時代でしたが、外国の文学や映画で美しく描かれている “LOVE”を、マンガで描いていけないはずはないと思い、私はタブーを破りました。

水野英子先生が初めて本格的に恋愛を描いた『星のたてごと』。指輪に翻弄されるユリウスとリンダの、愛の物語。『画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会』(玄光社)より (C)水野英子

――『星のたてごと』は、ワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』4部作を思わせる壮大なロマンです。

水野 私が、小学5年生の時に見た世界文化地理体系の北欧のページに、叙事詩『エッダ』の紹介がありました。北欧神話に描かれた世界の滅亡「神々のたそがれ」。神という絶対的な存在にも最後が訪れるという思想に強烈な衝撃を受けたんです。

 後年、この神話をワーグナーが歌劇『ニーベルングの指環』4部作に構成していることを知り、のめり込みました。その影響で、「運命の指輪(リング)」に翻弄される男女の運命を『星のたてごと』に描いたんです。

■「歴史」「ロマコメ」「ロック」などの新機軸も

『白いトロイカ』は、ロシア革命に翻弄される少女と青年将校の運命を描いた大作。『画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会』(玄光社)より。(C)水野英子

――1964(昭和39)年から、少女マンガにおける初めての歴史大河ロマンといわれる『白いトロイカ』を「週刊マーガレット」に描いています。本作に影響を受けたと語る、後進の少女マンガ家がたくさんいますね。

水野 私は子供の頃からロシアの文学作品、映画、バレエなどに親しんできました。特にロシア民話が持つ、異国的でロマンチックなストーリーに夢中になったんです。その一方でロシアの歴史というのは、圧政が繰り返される悲惨なものでした。しかし、叩かれても、叩かれても立ち上がる強靭な民衆たちに惹かれ、描きたいと思ったんです。おかげさまでヒット作になりました。

 ところが、当時はマンガの読者は低年齢層が中心で、歴史的な内容のものなんて編集部に受け入れられなかった。何度も粘り強く頑張って、ついに連載の許可をいただいたんです。

1969年に連載開始した『ファイヤー!』は、アメリカの若者文化とロックを描いた、音楽マンガの金字塔。『画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会』(玄光社)より。  (C)水野英子

――昭和30年代後半には、恋愛に明るく元気なコメディーを導入して「ロマンティック・コメディー」と呼ばれるジャンルを開拓。現在の少女マンガでも大人気の路線となりました。

 その後、1967(昭和42)年から演劇をテーマにしたマンガ『ブロードウェイの星』を「週刊マーガレット」に連載。そして1969(昭和44)年には、初めてロック・ミュージックをマンガに描いた『ファイヤー!』を「週刊セブンティーン」でスタートしています。人気作家として確固たる地位を築いてきた水野英子さんですが、新テーマを描くにあたってファンがついてきてくれるかどうか、心配はなかったのでしょうか?

水野 躊躇することなど、一度もなかった。『ファイヤー!』連載スタート時には、それまで届いていたファンレターがプッツリと途絶えました。読者がすごいショックを受けたようです。それでも、自分のなかに芽生えたテーマを、描かずにはいられなかったんです。

 それまでにも、読み切りで男性が主役の物語を描いたことはありましたが、『ファイヤー!』で初めて青年が主人公のマンガに挑戦したんです。この話で、私は初めて女性誌に青年の肉体やベッドシーンを描きました。上半身の裸体を描いただけでも編集部からクレームがきましたが、必要な描写だったからタブーを破って描きました。

――最後に、画集の見どころを教えてください。

水野 大型サイズで、全ページカラー印刷の豪華画集です。初期作品から『エリザベート』など近年の歴史作品まで、私の画業を振り返る内容となっていますので、ぜひ本画集を楽しんでいただきたいと思います。

●『画業65周年 水野英子画集 薔薇の舞踏会』(玄光社)
2020年3月30日発売、A4変型判・192ページ、定価4000円+税

※「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」(東京都豊島区南長崎3-9-22、南長崎花咲公園内)は、新型コロナウイルスの影響により開館を延期しています。

※取材協力/水野英子 文中一部敬称略

(メモリーバンク)

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