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「理不尽」ばかり語られるFC版『ドラクエ2』 当時の子供はノーヒントの謎解きをどう攻略していたのか?

マグミクス / 2025年1月26日 6時55分

「理不尽」ばかり語られるFC版『ドラクエ2』 当時の子供はノーヒントの謎解きをどう攻略していたのか?

■当時の子供に必要なのは「ネットワーク」だった?

 1988年1月26日にファミコン用ソフトとして『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』が発売され、2025年で38周年を迎えます。2025年にはHD-2D版『ドラゴンクエストI&II』の発売を控えており、仲間同士で「ドラクエ」の思い出話が盛り上がることも多いでしょう。

 ファミコン版『ドラクエ2』といえば、「鬼畜な難易度」がたびたび語られます。その最たるものが「ロンダルキアへの洞窟」で、落とし穴や無限ループのトラップ、全滅と隣合わせの強過ぎるザコ敵などがたびたび話題にのぼります。

 1988年10月に発売された『ドラゴンクエストII 悪霊の神々 公式ガイドブック』には、ロンダルキアへの洞窟の落とし穴の位置がバッチリ描かれています。ザコ敵に関しても「ラリホーやマヌーサが効く」などの攻略法が書かれており、コツコツとレベル上げをして挑めば、ゲームが苦手な子供でもガイドブック片手にクリアすることはできたのではないでしょうか。

 とはいえ、ソフトの発売から『公式ガイドブック』の発売までは間があります。その間、子供たちはどのように攻略していったのでしょうか。「ムーンペタの町にいる犬がムーンブルクの王女の正体。沼地にあるラーの鏡を使えば元の姿に戻せる」といった「謎解き」も、最初はどのように知ったか、記憶が定かでない人も多いでしょう。

 町や城の人びとの話をよく聞いて、情報のピースをつなげていけば明らかになるのでしょうが、当時の幼い子供にそれを求めるのはあまりに酷です。『公式ガイドブック』以外にも攻略本は発売されていましたし、ファミコンやマンガ雑誌にも攻略の特集が組まれていました。とはいえ、お金が自由に使える歳でもなく、「持っている友達に借りる」「友達に教えてもらう」というのが最大の情報入手手段だったのではないでしょうか。

 思えば、なかなか買ってもらえない周辺機器を持っているという子の情報を聞けば、ほとんど面識がない場合でも、共通の友達を介してちゃっかりお宅を訪問し、遊ばせてもらったものです。大人になったいまでも苦労する「人脈づくり」を、ファミコンソフトに対する熱意でやってのけた子供時代の自分に「すごい……」と思わざるを得ません。

『ドラクエ2』に話を戻すと、入手が困難なアイテムのひとつに「太陽の紋章」がありました。5つの紋章を全て集めると、「ハーゴンの神殿」のまやかしを打ち破るのに必要な「ルビスのまもり」を入手できます。

「太陽の紋章」はゲーム上ではあまりに情報が少なく、「炎のほこら」にあるということしか分かりません。さらに、「山彦の笛」で紋章があることが分かり、炎のほこらであると思われる場所に着いても、そのどこに紋章があるのか、また探さなくてはなりません。『公式ガイドブック』にも「ほこらのどこかにある」ということしか書かれていません。正解はほこらの外、草むらのなかに落ちているという、なんともイジワルな謎解きでした。

 当時、太陽の紋章を自力で発見できた子供は、「外周に何かある」ということを前作『ドラゴンクエスト』で学習済みであったようです。「ペルポイの町」での「盗賊ラゴス」も早々に発見したのでしょう。

『ドラゴンクエストI&II』は、ファミコン版と比較すると、相当に難易度がゆるめとなるでしょう。HD-2D版『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』で、初心者は十分取り込んだ、と見て、かつての鬼畜難易度で心をヒリつかせてくれないだろうか……とほんの少し期待してしまいます。

(マグミクス編集部)

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