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『ドラクエ4コマ』三剣もとか先生インタビュー デビューから「引退宣言」までの思い

マグミクス / 2020年9月30日 18時10分

『ドラクエ4コマ』三剣もとか先生インタビュー デビューから「引退宣言」までの思い

■人気絶頂のなか引退、思い出の1枚

「ドラゴンクエスト」シリーズの世界をギャグマンガにした『ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場』(以下、ドラクエ4コマ)は、1990年に当時のエニックス社の出版部門から第1巻が発売されました。その後も高い人気を受けて続刊が発売。「月刊少年ガンガン」や「Gファンタジー」「月刊少年ギャグ王」といったマンガ雑誌が発行され、掲載作は一部で「ガンガン系」とも呼ばれて熱烈なファンを得ました。

『ドラクエ4コマ』は、すでに活躍しているプロの漫画家だけでなく、読者投稿の企画「ドラクエ4コマクラブ」から人気作家が生まれることにも特徴がありました。

 投稿を経て、プロ作家としてデビュー。端正でかわいらしい絵柄と笑いで高い人気を誇りながら、「引退宣言」で表舞台を去った三剣もとか先生に当時の思い出を語ってもらいました。

* * *

ーー『ドラクエ4コマ』を投稿し始めたきっかけはありましたか? 『ドラクエ4コマ』の前から、マンガを描かれていたのでしょうか。

 デビュー作の『ドラクエ4コマ』9巻の楽屋裏で少し描いてますが、「失業手当で買ったスーファミ本体」「姉から借りた『ドラクエV』のソフト」「当時読んでいた『月刊少年ガンガン』」がきっかけでした。

 高卒で就職した会社を体調不良で退職した後、新聞配達やスーパーのPOP描きなど複数の短時間バイトをしていてゲームする時間があったのと、「ガンガン」本誌で見かけた「ドラクエ4コマクラブ」がスライム賞で5000円、キングスライム賞で1万円という魅力的な募集をしていたので、おこずかい稼ぎにちょっと描いてみようかなと(笑)。

 あと元々マンガやイラストなど雑誌に投稿するのが趣味だったのであまり抵抗なく投稿してました。

 マンガ歴としては、3~4歳くらいから絵ばかり描いていて、コマ割りマンガらしきものを描いたのは小学3年生頃。中学で初めてアニメのパロディマンガのコピー本を作りました。高校でアニメ『聖闘士星矢』にハマり同人活動も始めていました。おかげでマンガの画材など先にそろっていましたが、マンガ描きとして色々と勉強になったのは圧倒的にデビューした後からの方が多いですね。

ーープロデビューした経緯を教えて下さい。どのように編集部から連絡が来ましたか?

 これも同じく9巻の楽屋裏で少しふれてますが、編集部から『ドラクエ4コマ』を描きませんかとお電話があったのは、「4コマクラブ」の投稿を始めて3か月目の頃でした。

 当時「月刊少年ギャグ王」の創刊準備中で作家さんを募っていらしたようで、私にも声掛けして下さったんですね。まだ投稿を始めて間もないのにお声が掛かったことにすごく驚きましたが、その場でお受けしました。でも実際にコミックスが発売されるまではずーーっと半信半疑でした(笑)。

ーー三剣先生といえば、ちょっぴり気の強い『ドラクエV』の王女のキャラクターが印象に強く残っています。ご自身にとって思い入れのあるキャラクターや、タイトルはありましたか?

 ありがとうございます(笑)。『ドラクエV』の公式ガイドブックを見ながら王女のイラストを模写練習していて、彼女の生い立ちや境遇などを考えながら描いてたら、自然とあの性格になっていました。ちょうど『家なき子』(1994年)というドラマが人気だった頃なので、ツンツンな子でも受け入れてもらえたのかなぁと思います。

 思い入れのあるタイトルはやはり『ドラクエV』ですね。主人公君は自分の分身なのでネタにしやすかったです。パパスもヘンリーもビアンカもフローラも子供達も大好きです。まだやってないのですが、『ドラクエXI』が気になってるのでいつかプレイしたいです。

ーー当時のネタ出しの苦しさは、多くの作家さんが「楽屋裏」で語っていらっしゃいます。三剣先生はいかがでしたか? 他にも辛い、または楽しかった思い出があれば教えて下さい。

 デビュー当時は『ドラクエV』が4コマネタとして解禁されて間もない頃でしたので、あらかじめたくさん描きためておいたストックがあり、当初はそんなにネタ出しに苦労してなかったような気がします。でもさすがに『V』ネタばかりではストックも尽きるので、姉から『ドラクエI・II』を借りてプレイしなおしたりしていました。

 うちの親はゲーム全般全否定派でしたので、それまでは親がいない時にコソコソとプレイしていました。でもデビュー後に「し、仕事だから……(汗)」とネタ出しのために親の前でゲームできたのは、後にも先にもこの頃だけだったと思います(笑)。

 それより、ネタが通ったあとの原稿を仕上げるのが遅くて締め切やぶりの常習犯だったので、当時の担当の飯田さんに毎回ご迷惑おかけして申し訳なかったです。

 電話で「飯田さん……いま私どのへんですか?」「えーと、うしろから2番目ですね」という謎の会話があったりもしました(滝汗)。

 原稿は実家の熊本の田舎で描いて東京へ送っていたので、時間がない時は地元の宅配業者の方にお願いして航空便で送ったりしていました。原稿の入った封筒を持ち込むと顔を見るなり「はい先生! 航空便ですねっ!?」と言われるくらいにはなってました……(汗)。

■引退後、Twitterを開始した理由とは…?

表紙イラストは新山たかし先生『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場 ガンガン編7』(エニックス)

ーー『ドラクエ4コマ ガンガン編7』では、「巻頭カラースペシャル」として「月刊少年ガンガン」「Gファンタジー」などで活躍されていた、石田和明先生、松沢夏樹先生、いがらしみきお先生、大清水さち先生、堤抄子先生、西川秀明先生といったそうそうたるメンバーと共にカラーページを飾っていらっしゃいます。三剣先生の人気のほどがうかがえますが、この構成は事前に聞かされていたのでしょうか?

『ガンガン編7巻』のカラーページは、「月刊少年ギャグ王」平成7年(1995年)5月号に掲載されたゲスト作家先生方によるスペシャル枠のカラー4コマを収録したものでした。そのカラー内扉絵と締めのカラー4コマ2本を担当させていただいたのですが、『ガンガン編6』の楽屋裏で「1995年5月をもって引退します」と宣言している通り、その号が4コマ作家として最後にいただいたお仕事になります。

 それがゲスト作家先生向けのページで、私なんぞが参戦するのはお門違いなのは分かっていましたが、特に出世するでもなくただ消えていくだけの私へ、最後に”華”を持たせて下さったのかなと思っています。

 最後のお仕事ということで、カラー4コマ2本のうちの最初の1本が、デビュー作の『ドラクエ4コマ9巻』の私の最初のページとおそろいになるように描いてます。コミックをお持ちならぜひ、新旧のネタを見比べてみて下さい(笑)。

 そしてカラー内扉絵の、「桜舞うなかで花びらを追う『V』のちび主人公とベビーパンサー」は、これまで私の作品をご愛顧下さった皆さんへの感謝を込めて描かせていただいたので、私にとっても大切な1枚になりました。

ーー三剣もとか先生にとって『ドラクエ4コマ』とはどのような存在でしょうか?

「灯り(あかり)」ですかね。

 私はデビュー後に親から漫画家を続けることを反対されてしまったので引退せざるを得なかったのですが、それでも「漫画家になりたい」という夢をひと時だけ叶えてくれたあたたかくてまぶしい時間。本当に楽しかったです。それで、そのまま黙ってお別れするのはあまりにも辛かったので、「引退宣言」というカタチできちんと読者さんにあいさつをしておきたかったのでした。

 他の作家先生方と一緒に『ドラクエ4コマ』作家として並ばせていただけてとても光栄に思います。

 しかし親というのは不思議なものでして。引退してしばらく経ってから、うちの親がご近所の人に「うちの子、昔、漫画家だったんですよ~~~おほほほほ☆」と得意げに自慢してるのを偶然聞いてしまいまして。

 心のなかで「はぁああああーーー!!!??? なんじゃそりゃーーー!!!!」と盛大にツッコミました(笑)。

 今は私が希望の仕事ができるように応援してくれています。体調が良くないことが多いのでなかなか思うようにいきませんが、絵の仕事も含めて再開できるように頑張りたいと思います。

 絵のお仕事は募集中なのでよろしければご一報下さい!(こらこら……)

ーー最後に、ファンの方へのメッセージをお願いします。

「三剣もとか」でTwitterを開始したきっかけは2011年3月11日の東日本大震災でした。

 当時はイチ会社員で会社からも救援物資を送ったりしていたのですが、毎日流れる被害の状況にいてもたってもいられなくなり、何かできないかと思いながら描いたのが、モノクロのちび主人公とベビーパンサーの絵でした。

 描いたところで何もできないのに……としばらく悩んだのですが、皆さんがせめて笑顔になれるようにと数か月後に絵をTwitterとpixivにあげました。すると『ドラクエ4コマ』読者さんからたくさん反応があり、「お帰りなさい!」「また見られてうれしいです」「これからも頑張って下さい!」等のコメントをいただけて、逆に私の方が励されてしまって……。

『ドラクエ4コマ』作家としての活動はほんの1年半。引退宣言して20年以上も経ってしまいましたが、今も4コマ作家として覚えて下さっている読者の皆様には本当に感謝・感謝です。

 近年も地震や豪雨などの災害、そして2020年は疫病と、災厄が絶えません。私自身もあまり無理できない体質ではありますが、仕事も頑張りつつ、Twitterなどで皆さんと交流して励まし合っていけたらなぁと思っています。どうかこれからもお付き合いいただけると幸いです。最後まで読んで下さりありがとうございました。

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(マグミクス編集部)

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