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40年前「ガンプラブーム」の現場は命がけだった? 身をもって体験した「騒動と熱狂」

マグミクス / 2020年10月24日 9時38分

写真

■ファンが満足した1/144スケールの仕上がり

 この2020年に40周年を迎えた『機動戦士ガンダム』(以下ガンダム)のプラモデル、通称「ガンプラ」。筆者はそのガンプラ創成期を、身をもって体験していました。当時の思い出語りを含めて、ひもといていきたいと思います。

 当時のキャラクターもののプラモデル(以下プラモ)といえば、『宇宙戦艦ヤマト』(以下ヤマト)が圧倒的な人気でした。それまで、アニメプラモといえば、デザインに関係なく底部に稼働用のタイヤが付いていたものがほとんどだった時代、ほぼデザイン通りのプラモだったからです。しかも、スケールまで設定されていたことが、よりリアル感を増す要因でした。特に、100円でラインナップされたシリーズ「メカコレクション」は、低価格ゆえ好評だったのです。

 そんな時、その『ヤマト』を販売していたバンダイが『ガンダム』のプラモを発売するという発表がありました。この発表にファンは大喜びします。なぜなら、それまでガンダムの立体物といえばクローバーの玩具くらいで、中高生以上のガンダムファンにとって、手に取りづらいものだったからです。

 そして放送終了から半年ほど経過した1980年7月に、ガンプラ第一号の「ベストメカコレクション1/144ガンダム」が発売されます。他社製品をはるかに越える可動域、さらにプロポーションも玩具と比べればアニメそのままといっても過言ではなく、多くのファンを満足させる出来でした。

 しかし、そのすぐ後に発売された1/100は、従来の玩具テイスト的なデザインの商品でした。腹部にむき出しのコア・ファイター、1/144では稼働していた股関節が固定、そして右肩には謎のキャノン砲。あまりの出来ばえに私は買いませんでしたが、逆に一部のモデラーの人には「素材」として受け取られたようで、「よい改造キットだ」(笑)と言われていました。

 商品はこの後、『ヤマト』が人気だったことから8月に艦船の量産型ムサイ、9月にはファン待望の1/144シャア専用ザクがついに発売されます。その理由は、『ヤマト』でさえなし得なかったスケールの統一がついに果たされたからです。

 そんなわけで販売は順調に行われましたが、この時はそれほど大きなヒットではありませんでした。筆者の体験では、同年11月の1/144グフは数日残っていましたが、12月の1/144ズゴックはその日のうちに売り切れていました。おそらく年末、年始くらいがブームの始まりだったと思います。

■「ブーム」という名の大騒動が始まった

1979年に放送されたアニメ『機動戦士ガンダム』 (C)創通・サンライズ

 ガンプラブームのきっかけは、1981年3月に公開される劇場版『機動戦士ガンダム』と、それに合わせて始まった再放送です。これで従来の中高生以上のアニメファンとは別に、小学生以下のファンを獲得したことが原因でしょう。

 劇場公開直前くらいになると、ほとんどの模型店からガンプラが消えてしまいます。そんなガンプラ枯渇時代でしたが、筆者は労せず好きなガンプラを選んで買っていました。それは、とある模型店の常連だったからです。

 この模型店のおじさんには色々とお世話になり、模型以外のことも色々教わりました。その時に聞いた話では、工場は24時間フル稼働しているが、金型はひとつしかないから生産が追い付かないというのです。

 さらに、別メーカーがガンプラに似せた商品を発売したことも混乱に拍車をかけます。「買わなければいい」という意見は正しいのですが、当時メーカーからの無言の圧力が問屋にあり、仕方なく問屋は小売店に対して他メーカーの類似品とガンプラをセットで卸すことになります。そうなると、小売店では売れるとわかっていてもガンプラを扱いづらくなってしまうわけです。

 今でいう「忖度」もあり、明確に違反しているとも言いがたい状態は、ガンプラブームの間ずっと続きます。しかし、前述の模型店のおじさんはかなりのやり手で、類似品をまったく入荷しないでガンプラだけを売る優良店でした。筆者は学生時代、あんな大人になりたいと思っていたくらいです。

 ところが、恵まれた環境にあると人はあえて火遊びがしたくなるもの。筆者は一度、みんながどれくらい苦労してガンプラを買っているのか知りたいと考えてしまいます。

 そこで近所のデパートにある模型店が日曜日にガンプラを売るという話を聞き、行ってみることにします。開店30分前に行くと、2か所の入り口にはそれぞれ100人以上が集まっています。当時(少なくとも筆者の近所では)、整理券の配布などはなく、列を作ることもなく入り口付近に雑多に集まっていました。

 開店時間。みんな我先にとデパートに入り、エレベーターに乗り込みます。しかし、エレベーターはすぐに満員。そこで筆者はエスカレーターに向かいましたが、これが地獄の始まりでした。少しでも足が遅いと脇から抜けようとする人の肘が飛ぶ、後ろからは頭突きで押されるか、足を蹴りあげられるという有り様。それでも7階にある模型店まで行ったのですが、すでに店からあふれんばかりの人の群れ。

 躊躇していると後ろから来た人に押され、その群れの中に飛び込んでしまいました。そこは全方向から押され、思わず中身が出そうになる地獄。筆者は仕方なく「買わないので出して」と声をあげ、店外に出してもらいます。「生き延びて血反吐はく」とはこのことでした。

 そんなわけで、筆者は自分の恵まれた環境に感謝し、おじさんの店だけでガンプラを買うことにしました。

 その後、1982年1月24日。ガンプラを買おうとした子供たちがエスカレーターで将棋倒しになり、多くのケガ人が出たという事件をテレビ報道で見て、一歩間違えればああなったんだ……と背筋が冷たくなったことを覚えています。

(加々美利治)

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