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『シャーマンキング』の「シャーマン」ってそもそも何? 多彩すぎる能力と呼称のルーツ

マグミクス / 2020年10月31日 18時10分

『シャーマンキング』の「シャーマン」ってそもそも何? 多彩すぎる能力と呼称のルーツ

■「シャーマン」のルーツはどこにあるのか?

『シャーマンキング』の作中で登場するさまざまな用語のなかでも、シャーマンという言葉は「シャーマンファイト」「シャーマンキング」などの形で、物語の核をなす重要ワードといえます。皆さんも「シャーマン」に対してさまざまなイメージを持っていると思いますが、そのルーツについて考えた事はありますか? 今回は独自の視点で「シャーマンとは何か?」を掘り下げてみたいと思います。

「シャーマン」という言葉は、ツングース語で呪術師の意味を持つ「シャマン」が語源とされています。ツングース語というのは、現代では主にロシアと中国東北部に分布するさまざまな民族が使う言語の総称なので、何かひとつを指しているわけではありません。

 このことは(たとえ近しくても)多数の民族に「呪術師という概念」が同時に存在していたことを表しています。一方で、語源になったからといって、この地域の呪術師こそがシャーマンの始祖と言える確証は今のところありません。

 シャーマンとひと口に言っても、何かの霊が憑依するケースや、シャーマン自身がいわゆるトランス状態になるケースなど、さまざま種類があります。世界各地には、やり方は異なるが目的は同じ存在がいて、そこに「シャマン」という言葉が入って来た結果、いつしか彼らがそういうものだと認識されるようになった……とも考えられます。

 例えば日本では「シャーマン」という言葉はあまり使いません。それに相当するのは、「巫女」や「陰陽師」、「イタコ」もそのひとつですが、とにかくバラバラです。しかし彼らをひと言で表すと「シャーマン」ということになるでしょう。

 すなわち「シャーマン」とは具体的な名称というより共通の概念と言うべきで、「そういうこと」をする人たちは名前は何であれ、みんなシャーマンです。となると、やはり世界には無数に存在していると言えそうです。まさに『シャーマンキング」がまるで「シャーマン万博」のような状態になっている理由であり、その多様性を簡単に見比べることができるのは、実に楽しくありがたいことなのですね!

■「シャーマン」が細分化し現在に至るまで

『SHAMAN KING』第1廻の冒頭1ページで、作中でのシャーマンの概念が分かりやすく表現されている

 では「シャーマン」とはそもそも何をする人でしょうか? 原始のシャーマンは大自然と人間の仲介者でした。科学がまったく未発達の時代、大自然の力は畏怖(いふ)の対象でした。人の生死や病気、作物の生育、災害の有無、日食などなど全部自然が影響すると考えました。

 シャーマンはこの大自然と対話できる特殊な存在です。ただその能力は、農耕民族と狩猟民族、山の民と海の民、雪国と南国など、彼らが属する社会によって求められるものが異なり、地域差による得手不得手がシャーマンの種類を分けていったことでしょう。

 時代が進んでいくと、さらに細分化されます。例えば巫女や陰陽師とイタコの違いを言うなら、役人側にいるか民衆側にいるかだとも言われます。巫女や陰陽師は政治とともに存在し、後ろ盾を持ちながら専門性を洗練していきました。

 一方、民衆側にいるシャーマンは、人びとの常識を越えた「すべて」を受け入れる存在として、天気を占い、安全を占い、医者として働き、助産師として子を取り上げ、穢れを払い、人に徳を説くこともあったかもしれません。得手不得手を考慮すると、実に多くのシャーマンが生活に溶け込んでいたと思います。

 こうしていかにもシャーマンとして「映える」能力者から地味な存在まで多様化していったと思われますが、科学の発達に伴い、多くはより便利な手段に取って代わられました。まだ科学で未解明の分野を司るシャーマン……霊能力や超能力などを得意とする者たちは現代でも残っています。

 この過程で深く踏み込むべきでない領域に手を出したのが、古代ギリシャに端を発し、オリエントやアラブ、ヨーロッパで発展した「魔術」や「錬金術」に傾倒した者たちです。この地域は文化の最先端……裏返すと争いの最先端でもあり、権力者は人を支配するための方法として巨万の富、不老不死、強大な戦力といったものを求め、シャーマン能力はそれに先鋭化したのです。

 これは人間による自然への下剋上とも言え、死すらも制御しようというのはその最たるものでしょう。しかし、それが科学の発展につながり、私たちの生活が便利になっているのですから因果とは皮肉です。ただ、元々は科学の発展も大自然への畏怖とシャーマンの存在が不可欠だったわけで、たとえ下剋上が為し得たかに見えている現代でも、その経緯を忘れず自然との調和を保つように努めなければ、いつ足をすくわれてもおかしくないと、筆者は感じるのです。

 それでは今回はこの辺で。次回もお楽しみに!

(C)武井宏之・講談社/SHAMAN KING Project.

(タシロハヤト)

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