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手塚治虫の異色作『ばるぼら』の実写化…手塚眞監督が語る“神さま”受難の時代

マグミクス / 2020年11月18日 18時10分

手塚治虫の異色作『ばるぼら』の実写化…手塚眞監督が語る“神さま”受難の時代

■作家の心の葛藤を描いた『ばるぼら』

 数ある手塚治虫マンガのなかでもカルトな人気を誇っているのが、1973年~1974年に「ビックコミック」(小学館)で連載された『ばるぼら』です。スランプ中の小説家・美倉は、フーテン娘のばるぼらと出会ったことから、さまざまな不思議な出来事に遭遇します。クリエイターにとって、創作のインスピレーションを与えてくれる“ミューズ”の存在がいかに大切なのかが分かる物語です。

 稲垣吾郎さん、二階堂ふみさんという人気キャストを起用し、『ばるぼら』を実写映画化したのは、手塚治虫氏の長男である手塚眞監督です。手塚眞監督は過去に劇場アニメ『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』(2005年)を監督していますが、手塚マンガの実写化を手掛けるのは初めて。ヴィジュアリストとして知られる手塚眞監督の映像に対するこだわりと、原作の持つアバンギャルドなテイストがマッチした作品となっています。

“マンガの神さま”手塚治虫氏の素顔を知る手塚眞監督に、『ばるぼら』をはじめとする手塚マンガにまつわるエピソードを語ってもらいました。

■「虫プロ」倒産の年に生まれた『ばるぼら』

ーー多彩な手塚マンガのなかから、実写化作品に『ばるぼら』を選んだのはなぜでしょうか?

 実写化したい作品はたくさんあるんですが、手塚作品はどれもスケールが大きいんです。実写映画にするとなると、かなり大変なことになります。その点、『ばるぼら』は比較的コンパクトな物語なので、実写映画向きだなと考えたんです。とはいえ、企画から映画の完成まで5年もかかりました。他の作品だったら、10年はかかっていたでしょうね(笑)。

ーー手塚治虫氏が『ばるぼら』の連載を始めたのは1973年。手塚治虫氏が設立したアニメーションスタジオ「虫プロダクション」が倒産した年でもあります。手塚家にとっては大変な時期だったのではないですか。

 僕が小学校を卒業して、中学に入る頃でした。家のなかがガタガタしていたかというと、実はそうでもなかったんです。確かに「虫プロ」は倒産しましたが、父はすでに社長ではありませんでした。しかし、債務責任は残っていたので、練馬区富士見台にあった自宅とスタジオは売却することになったんです。

「これからは借家暮らしだよ」と聞かされていたので、狭い部屋に家族みんなで雑魚寝している様子を思い浮かべ、これまで体験したことがないので面白そうだな、なんて勝手に想像していました(笑)。でも、借家といっても庭のある大きな家で、ひとりずつ部屋があったので生活があまり変わることはありませんでしたね。

■1970年代、充実期にあった手塚治虫

インタビューに応える、手塚眞監督(マグミクス編集部撮影)

ーー債務処理に追われる一方、この時期の手塚治虫氏は『ばるぼら』の他にも、社会派サスペンス『奇子』、北海道のアイヌ文化をモチーフにした『シュマリ』などの意欲作を次々と発表しています。表現者としてのバイタリティのすごさを感じさせます。

 この時期の父は、「虫プロ」が倒産した反動でガムシャラに描いていた部分も多少はあったかもしれませんが、何よりもマンガ家としていちばん脂が乗っていた充実期だったと思います。そうじゃないと、あんなには描けないでしょう。しかも、すべて名作として残っていますからね。

ーーアニメ制作で生じた赤字を、手塚マンガの売り上げで補填していたことから、「マンガは本妻、アニメは愛人」なんてことも言われていたそうですが。

 アニメを本業にしていた「虫プロ」スタッフにしてみれば、つらい言葉ですよね。「虫プロ」が倒産する前から、「マンガかアニメか、どちらかに専念したほうがいい」と周囲には言われていたんです。マンガとアニメ、父は両方にこだわったため、どちらも時間が足りない状況になっていました。本人としては、両方やりたいという気持ちを抑えることができなかったようです。

■常人離れした仕事ぶり

ーー「虫プロ」が倒産したことで、マンガの執筆に専念できたとも言えそうですね。

 確かに、そういう一面もあったと思います。一時期、父はマンガの仕事も減って「干されていた」と思われていますが、仕事が減っていた時期でもマンガの連載は常に何本も抱えていました。

 手塚作品が古くなって仕事が減ったわけではなく、父はマンガの仕上がりにこだわるあまり、締め切りをいつも遅らせるため、新しい雑誌の編集者たちは父に仕事を頼むのを避けるようになっていたんです。

 では、この時期の父は何をしていたかというと、『火の鳥』を描いてましたし、1972年から『ブッダ』の連載もスタートさせていました。読み切りの短編のほか、『鉄腕アトム』は単行本化するたびに新作を書き下ろしていたんです。1973年に連載を始めた『ブラック・ジャック』がヒットして、手塚治虫は復活したと言われていますが、正しくはヒット作を放ちつつ、さらに『ブラック・ジャック』もヒットさせた、なんです(笑)。

ーー高田馬場のマンションに篭り、幅広いジャンルの作品を生み出した時期だったんですね。

 バケモノのような仕事ぶりでした。杉並区の借家には父は眠りに帰るだけでしたが、仕事場で泊まり込みで過ごすことが多く、借家の父の寝室はほとんど使われないままでした。僕も高校に入ると自主映画づくりを始めるようになり、父とはたまに廊下ですれ違うくらいになっていましたね。

※インタビュー後編に続く

●映画『ばるぼら』
原作/手塚治虫 監督・編集/手塚眞 撮影/クリストファー・ドイル
出演/稲垣吾郎、二階堂ふみ、渋川清彦、石橋静河、美波、大谷亮介、片山萌美、ISSAY、渡辺えり
配給/イオンエンターテイメント R15+ 11月20日(金)よりシネマート新宿、渋谷ユーロスペースほか全国公開
(C)2019 『ばるぼら』製作委員会
https://barbara-themovie.com

(長野辰次)

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