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西南戦争がなかったら『鬼滅の刃』は生まれなかった? 鬼殺隊と抜刀隊の不思議な繫がり

マグミクス / 2020年11月25日 18時50分

西南戦争がなかったら『鬼滅の刃』は生まれなかった? 鬼殺隊と抜刀隊の不思議な繫がり

■『鬼滅の刃』で再び日本刀がブームに!

 映画、アニメ、原作マンガ、そして主題歌も大ヒットし、『鬼滅の刃』ブームは破竹の勢いです。グッズや関連商品も数多く売れていますが、なかでも注目を集めているのが、主人公・竈門炭治郎ら鬼殺隊士たちが使う「日輪刀」。バンダイから発売された玩具「DX日輪刀」も大ヒットし、2021年2月には炭治郎の刀を1/1サイズで再現した「PROPLICA 日輪刀」も販売されるといいます。

 5年前に登場したゲーム『刀剣乱舞』によって、「刀剣女子」といった言葉も生まれるほどの話題になりましたが、今回の『鬼滅』ブームで再び日本刀に注目が集まっています。「日輪」とは太陽という意味で、日光を浴びる以外は不死身である鬼に対する唯一の武器・日本刀という設定になっています。日輪刀は架空のものですが、新たな日本刀文化を育む可能性が出てきました。

 ところで、日本刀の歴史を紐解くと面白い史実に出会います。『鬼滅の刃』の舞台は大正時代ですが、実は明治時代に日本刀文化を救った歴史的な出来事がありました。それが、西南戦争で活躍した抜刀隊なのです。

■日本史上、最大最後の内戦・西南戦争で活躍

西南戦争・田原坂の激戦を伝える錦絵(国立国会図書館Webサイトの画像を編集部にて加工)

 1877年(明治10年)2月、私学校の生徒を中心とする不平士族ら約3万人が西郷隆盛を擁して兵をあげ、西南戦争が始まりました。政府軍と西郷軍が熊本周辺で激戦を展開しましたが、当初は西郷軍が善戦していました。というのも、政府軍は徴兵制で集められた兵隊が多く、士気が低かったのです。そこで、政府は「徳川幕府を滅ぼした西郷隆盛憎し」と思っている旧幕臣たちを募集します。こうして集められた警察官や兵隊が政府軍として参加します。

 この内戦で最大の激戦地となったのが熊本の田原坂でした。火力(鉄砲や大砲など)では優位な政府軍でしたが、白兵戦になると、西郷軍は薩摩示現流の必殺剣で斬り込み、政府軍を圧倒します。それに対抗するため、政府軍は剣術に秀でた警察官を選抜して新たな組織を作ります。その名も「抜刀隊」。隊のリーダーを含め、多くの隊員は薩摩藩士が選ばれましたが、遊軍のリーダーには元会津藩士など、旧幕臣も隊員に加わっています。

■「明治政府軍VS西郷隆盛軍」は“鬼との闘い”だった?

明治政府軍から恐れられた“鬼のリーダー、西郷隆盛の銅像(画像:写真AC)

 田原坂の戦いは激戦に次ぐ激戦で、当時の新聞で大きく報じられて話題になりました。また後年、海音寺潮五郎や司馬遼太郎も歴史小説の中で大きく取り上げており、日本テレビが年末大型時代劇スペシャル『田原坂』(1987年)を放送しています。トム・クルーズ主演のアメリカ映画『ラスト サムライ』(2003年)も、この戦いを参考にしているのです。

 ところで、著名な民俗学者によると、「鬼」のひとつの解釈として「古代において大和朝廷などの体制に従わない人びと」と指摘しています。ということは、西南戦争における政府軍から見れば、西郷軍は「鬼」となるのです。つまり、元薩摩藩士や旧幕臣たちが“鬼に変貌した元薩摩藩士”を退治しに行ったともいえます。そして、旧幕臣のなかには、かつての戊辰戦争で官軍(薩摩藩士)に肉親を殺されている者もいたかもしれません。

 そんな抜刀隊の活躍などもあり、政府軍は田原坂を奪取します。しかし抜刀隊の被害も大きく、ほぼ全滅した分隊もあったといいます。政府は6万の兵力を導入し、8か月近い歳月を費やしてこの内乱を鎮圧しました。

■抜刀隊によって守られた日本刀文化と剣術

 抜刀隊の活躍はその後、大きなトレンドを生みます。西南戦争に先立つ1876年(明治9年)の廃刀令により、日本刀の需要はほとんどなくなり、刀造りに携わっていた職人たちが失業の憂き目にあいました。しかも、日本の軍隊は欧米列強を参考にしたため、軍刀も西洋風のサーベルを導入していたのです。

 しかし、翌年に起きた西南戦争での抜刀隊の活躍によって、日本刀が再評価されました。これ以降、軍刀として日本刀を使うケースが増え、日本刀文化が生き残ったのです。

 さらに剣術も注目され、警察を中心に導入、元幕臣や元新選組の剣客が採用されました。これにより、警察剣道が確立されたのです。現在も警察は日本剣道界の最大勢力になっています。

 もし抜刀隊の活躍がなかったら、日本刀文化や剣術は廃れていたかもしれません。ということは、大げさにいえば『鬼滅の刃』も『刀剣乱舞』も生まれていなかったかもしれないのです。ちなみに、太平洋戦争後、日本刀文化は再び存続の危機に直面しますが、日本側の強い働きかけにより、GHQに「美術品」として認められ、刀造りの伝統は現在まで受け継がれています。

(久津志雪広)

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