劇場版『鬼滅の刃』は映画史を変える?308億円『千と千尋』が招いた「社会現象」との違い
マグミクス / 2020年12月5日 8時20分
■12月中に映画の興行史が変わる?
歴史が動く瞬間が、年内に訪れる可能性が高まってきました。2020年10月16日から公開が始まった『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』は、連続7週にわたって国内興収トップを走り、11月30日の時点で興収275億円という大ヒットとなっています。
近日中に、300億円の大台に乗ることは確実。入場者特典となる特製イラストカードが12月12日(土)、26日(土)に配布されることもあり、宮崎駿監督が『千と千尋の神隠し』(2001年)で打ち立てた国内興収1位である308億円という大記録も更新しそうです。
宮崎監督が『千と千尋』で残した大記録は、19年前に達成されたもの。同じアニメーション作品でも、大ヒットした要因や環境は大きく異なります。『千と千尋』が公開された当時と、『鬼滅の刃』が大ブームとなっている現代の社会状況を比べてみたいと思います。
■強烈だった、『千と千尋』製作委員会各社の宣伝攻勢
1970年代~80年代の日本映画界は、長らく低迷期にありました。90年代になるとテレビ局が積極的に映画制作に参入するようになり、電通や博報堂といった大手広告代理店、出版社などと提携した「製作委員会方式」が広まります。安定した興収が期待できることから、日本独自のこのシステムを国内の映画配給会社も喜んで受け入れました。同時に各地にシネマコンプレックスが次々と建てられ、映画を快適に楽しむ環境が整備されていきました。
ゴージャスさのあるハリウッド作品などの洋画に比べると、それまでは地味で見劣り感のあった日本映画ですが、作品のクオリティ、スケールの大きさかつ多層的な世界観、抜群のエンターテイメント性で観客を魅了したのが、全盛期を迎えた宮崎駿監督の劇場アニメーション作品でした。『天空の城ラピュタ』(1986年)を皮切りとするスタジオジブリ作品は、次第に映画界を席巻していきます。宮崎ワールドの集大成として位置付けられた『もののけ姫』(1997年)は、当時の日本興収記録を塗り替える193億円という大ヒット作となりました。
宮崎監督の新作に対する期待感が高まるなか、2001年7月に『千と千尋の神隠し』が公開されました。公開に合わせる形で「製作委員会」に参加していた日本テレビは連日のように特番を放送し、電通をはじめとする「製作委員会」各社によるCMスポットや新聞広告、コンビニでのキャンペーンなど、すさまじいほどの宣伝攻勢が繰り広げられました。
■『千と千尋』以降、スタジオジブリに訪れた変化
『千と千尋の神隠し』通常版DVD(ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント)
宮崎監督の『千と千尋』が大ヒットした時代は、今のようにSNSがまだ普及していませんでしたが、かつてない規模の宣伝戦略が功を奏し、『千と千尋』は308億円という前人未到の大記録を生み出しました。興収面だけでなく、内容も高く評価され、社会派作品を重視するベルリン国際映画祭では、アニメ作品としては初となる「金熊賞」(最高賞)、米国の本場アカデミー賞でも「長編アニメ賞」を受賞します。
しかし、当の宮崎監督は記録的な大ヒットという結果を、クールに受け止めていたようです。多くの人が関わっている作品を興行的に成功させることはとても大切なことですが、アニメーション作家個人としては、作品に込めたメッセージがきちんと観客に届いているかどうかの方が、より重要だったのではないでしょうか。
さまざまな面で頂点を極めた『千と千尋』は、スタジオジブリにも転機を招きました。『千と千尋』があまりにも大ヒットしたために、同時期に公開された他の作品たちの上映の機会を奪ってしまったことを反省し、『ハウルの動く城』(2004年)以降は、宣伝展開をトーンダウンさせることになります。価値観や文化の多様性を尊ぶ、宮崎監督らしい判断でした。
■劇場映画が「社会現象化」する条件とは?
興行とは、まさに「生き物」です。良作なのに人知れず消えてしまう作品もあれば、大衆心理に働きかけることで予想外の大ヒット作に大化けする作品もあります。『千と千尋』が制作されていた2000年前後は、西鉄バスジャック事件などの未成年者による凶悪犯罪が多発し、公開から間もない2001年9月にはNYで同時多発テロが起きています。異世界に迷い込んだ少女・千尋がひたむきに働く姿は、観る人に心地よい安心感を与えました。
また、250億円を超える大ヒットとなった新海誠監督の『君の名は。』(2016年)は、2011年に起きた東日本大震災がモチーフになっています。もしも、自分が被災当事者だったら……という観客の深層心理に訴えかけるものがありました。観客の心と作品がリンクするとき、社会現象化するほどの大ブームが生まれるのです。
吾峠呼世晴氏の原作コミック『鬼滅の刃』第7~8巻をアニメーション化した『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が爆発的ヒットとなっている理由に、原作の面白さ、制作会社「ufotable」の作画力の高さ、声優陣の熱演ぶりに加え、コロナ禍によって洋画の配給作品が乏しく、多くのスクリーンでの上映が可能だった……という外的要因も挙げられています。ちなみに『無限列車編』は『千と千尋』『君の名は。』と違って、「製作委員会方式」ではありません。
劇場では、多くの観客が炎柱・煉獄杏寿郎の熱き戦いぶりに涙を流しています。「強く生まれた者の責務」をまっとうしてみせる杏寿郎のようなメンター(指導者)への憧れが、私たちにはあるのではないでしょうか。不透明で先行きの見えない現代社会において、杏寿郎のような信念を貫く上司や先輩がいてくれれば、どんなに心強いことでしょう。
アニメーション制作は、実写映画とは違い、まっさらな白紙の状態から新しい世界を創り出す作業です。大変な労力を要しますが、新しく創り出された世界には、その時代の空気が反映され、アニメーターや声優たちの願いや理想も込められることになります。さまざまな人たちの想いを燃料にして、『無限列車』はコロナ禍にあえぐ映画興行界を走っています。
『無限列車』はどこまで走っていくのでしょうか。コロナ対策をしっかりした上で、『無限列車』の行く先を見守りたいと思います。
(長野辰次)
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