「無限列車」が駆け抜ける『劇場版 鬼滅の刃』 大正時代、実在した鉄道の姿は?
マグミクス / 2020年12月15日 18時20分
■今より多くの夜行列車が多数運転されていた
2020年10月16日に『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』が公開され、社会現象級のブームとなっている『鬼滅の刃』ですが、同作は大正時代の日本を舞台としています。映画では、「無限列車」という名の架空の列車が登場しますが、大正時代の日本の鉄道は、実際にはどのような姿だったのでしょうか。
日本では1872年(明治5年)、東京の新橋駅(現在の汐留地区にあった旧駅)と横浜駅(現在の桜木町駅)を結ぶ鉄道が開業。これ以降、日本の鉄道網は徐々に拡大していきました。
当初は国の財政難もあり、国が運営する鉄道(国鉄)だけでなく民間運営の鉄道(私鉄)の整備も進みましたが、全国的なネットワークを構成する幹線鉄道は国が運営すべきとの論調が高まり、1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけ、おもだった私鉄は国鉄に編入されました。
こうして大正時代には、全国のおもな都市を結ぶ国鉄線のネットワークが四国を除いてほぼ完成の域に達し、長い距離を走る列車も多数運転されていました。鉄道省運輸局編さん『汽車時間表』1925年(大正14年)4月号によると、東京から大阪まで直通する列車は1日15本。さらに西に進んで本州最西端の下関に直通する列車も1日6本ありました。
ただし、当時の列車は最高速度が200km/h以上の新幹線ではなく、せいぜい90km/hくらいしか出ない蒸気機関車。所要時間も現在とは比べものにならないほど長いものでした。東京駅を朝の8時頃に出発する下関行きの特急列車は、大阪に到着するのが夜8時頃で半日がかり。終点の下関駅に到着するのは約24時間後の翌朝8時頃でした。そのため、当時の長距離列車の多くは日をまたいで運転される夜行列車だったのです。
『鬼滅の刃 無限列車編』では夕暮れどき、主人公の竈門炭治郎たちが「無限列車」に乗車。夜の闇を切り裂くようにして線路を走っていく「無限列車」の姿が描かれています。終点の駅に翌日到着する予定の夜行列車だったに違いありません。
また、大正時代には、蒸気機関車に大きな変化がありました。明治時代の蒸気機関車は外国からの輸入に頼っていましたが、明治後期になると国産技術も発達。元号が変わって1913年(大正2年)から1914年(大正3年)にかけ、本格的な国産の量産機となる旅客列車用の8620形と貨物列車用の9600形がデビューしました。
このうち「ハチロク」と呼ばれた8620形は、輸送量がやや少なめの急行列車向けに開発された蒸気機関車。従来の急行列車用の大型輸入機より小柄になる一方、車輪を特殊な構造のものに変更し、カーブを走りやすくした点が大きな特徴でした。
■「無限列車」の客車は大正時代の「3等車」相当?
1918年(大正7年)製の3等車。大正時代の客車は大型化が進んだが、車体は木製だった(『日本国有鉄道百年写真史』より引用)
「無限列車」を引っ張っている蒸気機関車のデザインは、ナンバープレートが「無限」という漢字2文字に置き換えられていることを除けば「ハチロク」にそっくり。竈門炭治郎たちが乗り込んだ列車は、夜行の急行列車だったのかもしれません。
ちなみに、JR九州は「ハチロク」を動態保存(動かせる状態で保存すること)しており、今年2020年11月に鹿児島本線で運転されたSL列車「SL鬼滅の刃」も「ハチロク」がけん引しました。『鬼滅の刃』で描かれた蒸気機関車と同様、ナンバープレートは「無限」の漢字2文字が刻まれたものに交換して運転されました。
一方、客車も明治末期から大正期にかけ大きく変化しています。明治時代の客車は車体が木造で、いまの車両に比べると非常に小さく、車輪も4輪(2軸)だけのものが中心。そのため乗り心地が悪く、一度に運べる人数も多くはありませんでした。しかも、当時の国鉄は私鉄の国有化により、各私鉄が独自に開発した種々雑多な車両を抱え込むことに。車両の管理やメンテナンスに手間がかかるようになったのです。
そこで国鉄は1910年(明治43年)、統一した基準で設計した客車を開発。車体が従来より大きく、車輪も8輪(4軸=2軸台車2個)に増やしました。これにより管理上のコストを減らし、輸送力の向上も図ったのです。ただし、車体は従来通り木造のまま。鉄製の車体の客車が本格的に導入されるようになったのは、昭和時代に入ってからです。
大正時代の旅客列車は3等級制で、2等車はいまのグリーン車、3等車はいまの普通車に相当します。1等車は強いていえば、東北新幹線「はやぶさ」などに連結されているグランクラスといえるでしょうか。当時は長時間走る列車が多かったこともあり、列車によっては3等車のほか1等車や2等車、そして寝台車も連結されていました。
『鬼滅の刃』で描かれている「無限列車」の車内は、4人掛けと思われるボックス席が通路の両脇に配置されており、背もたれは垂直に固定されていてリクライニングしないタイプ。これは当時の3等車とよく似ています。このタイプの座席は、いまもJRの普通列車などで見られますが、大正時代の3等車は特急や急行列車でもボックス席が一般的でした。
■運賃は現代の新幹線より高額! 美味しい駅弁が生まれる背景も
1917年(大正6年)に製造された1等車の車内。当時の1等車や2等車は現代の通勤電車と同じロングシートだった(『日本国有鉄道百年写真史』より引用)
3等車での長旅は、東京~下関間なら24時間以上も狭苦しいボックス席に座る必要があり、しかも当時は暖房こそあったものの冷房はなく、季節によっては相当つらく不快な旅路だったことでしょう。
その一方で運賃と料金は高額でした。『汽車時間表』1925年4月号によると、急行列車・3等車は東京~大阪間で合計7円9銭。当時の大卒初任金(50円)を基準に現在の貨幣価値に換算すると、3万円弱といったところでしょうか。
現在の東京~大阪間なら、東海道新幹線「のぞみ」普通車自由席で1万3870円。わずか2時間半で東京と大阪を結び、エアコンとリクライニングシートを備えた新幹線より、半日がかりで走る不快な大正時代の急行列車のほうが、圧倒的に高かったのです。
さらに特急列車や1等車、寝台車となると、べらぼうなほど高くなります。特急列車の1等寝台車で東京~大阪間を移動すると、最大で31円65銭。現在の貨幣価値なら約13万円です。一部の富裕層しか利用できない価格設定で、当時の経済格差が大きかったことを物語っています。
ちなみに、この時代の1等車と2等車の座席は、腰掛けが車体の長手方向に伸びていて、窓を背にして座るタイプが中心でした。現代の通勤電車と同じロングシートです。3等車より高額なのにどうしてと思いたくなりますが、立って乗る人がいなければロングシートのほうが足元に広い空間ができ、ボックス席より快適だったのでしょう。
ところで、「無限列車」の車内では、「炎柱」こと煉獄杏寿郎が駅弁らしきものを「うまい! うまい!」と唱えながら食べているシーンがあります。駅弁の起源は諸説ありますが、遅くとも1885年(明治18年)に最初の駅売弁当が誕生しました。
日本醸造協会の『日本釀造協會雜誌』第70巻1号(1980年)によると、大正時代の国鉄は駅弁の品質向上に取り組んでいました。「気がついた点があったら列車内若しくは駅の鉄道係員に申し出て下さい」という文言を駅弁に貼り付けて旅客が投書できるようにし、駅弁販売業者を厳しく取り締まりました。また、おもな駅では飯の分量や味、衛生面のチェックを行い、点数を付けたといいます。
煉獄杏寿郎が「うまい! うまい!」と唱えたのも、国鉄による品質向上の取り組みの成果といえるかもしれませんね。
(草町義和・鉄道プレスネット記者)
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