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手塚治虫『アドルフに告ぐ』が描く「正義と正義」の対立。太平洋戦争79年目に読み解く

マグミクス / 2020年12月18日 7時10分

手塚治虫『アドルフに告ぐ』が描く「正義と正義」の対立。太平洋戦争79年目に読み解く

■人びとを悲劇におとしいれる「正義」の正体

 1941年12月8日に日本がアメリカ、イギリスに宣戦布告した太平洋戦争の始まりから、79年を迎えました。「マンガの神様」手塚治虫が戦争下の日本やドイツを舞台として描いた『アドルフに告ぐ』には、国家の「正義」に翻弄される人びとや、民族や立場の違う者同士による「正義」のぶつかりあいのドラマが描かれています。

 同作には、戦争が民衆にもたらす悲劇だけでなく、情報化の一方で格差や分断も広がっている現代の社会を読み解くヒントも見いだせそうです。かつて虫プロ商事に在籍し、手塚治虫の仕事ぶりをよく知る飯田耕一郎さん(漫画家・漫画評論家)に聞きました。

* * *

ーー手塚先生は週刊文春で『アドルフに告ぐ』を連載するにあたって、編集長から「シリアスな大河もの」という期待を受けて、戦争中の資料集めにも苦労しながら取り組まれたそうですね。複数の作品を並行して執筆されていた手塚先生ですが、同作には特に力を入れていたのでしょうか?

飯田耕一郎さん(以下、飯田) 複数の作品を並行して描くということは、手塚先生にとっては逆に自分の能力をより解放し、多様性を発揮する形になっていたと思います。そこに作品の優劣はないとは思いますが、「戦争」というテーマを扱う時には、それは手塚先生の創作の原点に立ち返ることだと思いますので、使命感をともなった意気込みというのがあったと思います。

 徹底的な資料集めもそうですが、資料映像などもアシスタントと一緒に事前に観られたりしたそうです。過去にはそこまで下準備をされたことはなかったそうなので、この作品に賭ける情熱は相当なものだったと思います。

ーー物語では、民族は違っても親友同士だったふたりの「アドルフ」が国家と戦争に翻弄され、互いに憎しみ、殺し合うまでに至ります。それぞれの「正義」と「正義」のぶつかり合いを、現代の私たちはどのように読み解くことができるでしょうか?

飯田 ここに出てくる「正義」というのはそれぞれの立場から出るもので、つまりエゴなんですよね。民族のエゴ、国家のエゴ、思想のエゴというものがぶつかりあって「不条理な争い」を生み出している。つまり「正義」という言葉に翻弄されているわけですから、どちらが正しいのかということにはならないわけです。

 だからこそ、手塚先生はそれを俯瞰する立場の峠草平という男を狂言回しにして、エゴイズムに振り回される人びとの悲劇をリアルに描き、そこに「正義」の正体とは何なのかを語っているのではないかと思います。

 手塚先生が同作でスターシステムをほとんど使わず、「ランプ」と「ハムエッグ」が悪役で登場する程度であるという点からも、リアリティにこだわった本気度が感じられます。峠草平の視点はそのまま手塚先生の視点で、物語そのものは悲惨で重たいものですが、だからこそ、そこから願わくば「命の尊厳」や「命の大切さ」に思いを馳せて欲しいという手塚先生の思いがあったのではないでしょうか。

■実は重要だった、ヒロインたちの「恋愛」物語

雑誌掲載当時の内容・構成を復刻した『アドルフに告ぐ オリジナル版』(国書刊行会)。3分冊+別冊構成で、関係者のインタビューや関連資料なども収録している

ーー『アドルフに告ぐ』では、空襲を受けた神戸で人びとが傷つく様子や、戦時下の権力が人びとを弾圧する理不尽さも、凄惨な筆致で描いています。こうした点には、やはり手塚先生自身の戦争体験が込められているのでしょうか?

飯田 手塚先生が戦争を描く時は容赦がないですよね。『紙の砦』や『がちゃぼい一代記』などの戦争描写はどれも悲惨なものですが、戦争ものに限らず他の作品でも戦いの描写は遠慮がないように感じます。

 それはもちろん、戦争体験が大きいと思います。手塚先生にとって戦争の理不尽さを語ることは、単に「戦争反対」というだけじゃなくて、戦争が「生命というものの尊厳を冒涜するもの」という思いがあるからではないかと思います。それをマンガで伝えたいという強い信念があるので、オブラートで包みたくない気持ちが強かったのではないでしょうか。

ーー作中ではふたりの「アドルフ」に寄り添った女性たちをはじめ、さまざまな立場の女性が登場します。手塚先生自身は「ページの都合で描ききれなかった」と語っていたそうですが、彼女たちも戦争がもたらす運命に巻き込まれていきます。

飯田 この作品のなかでの「恋愛」はとても重要だと思います。というのは、ふたりのアドルフをはじめ、人間はどうしようもない国家の権力に振り回されて思想も変わっていくのに、「恋愛」はそれを無力化しているんですね。いくら権力の障害があっても「好き」という思いは人種的な差別も思想の壁も乗り越えていくわけです。

 それは民族間の「正義」がいかに不条理なものであるかを、別の側面で見せてくれていると思います。語り部の峠草平の恋愛は、彼が疎くて常に受け身の立場ですが、その「恋愛」によって窮地を脱出したり、運命の糸を紡いでいったりと、重要な役割を持っていますね。

 連載の中断もあって少し未消化な状態で終わっているところはあるかもしれませんが、単行本化の際にエリザや、三重子と女将のエピソードをエピローグ的に描き足してありますね。普段の手塚作品でここまで渋い大人の恋愛を描いている作品はそうは多くないと思うので、自分ももっと読みたかった気持ちはあります。

ーー手塚先生は自身の作品を単行本化する際、原稿に手を入れるケースが多かったと聞きますが、『アドルフに告ぐ』連載当時の内容・構成を復刻した『アドルフに告ぐ オリジナル版』(国書刊行会)が刊行され、単行本化前後の状態を容易に比較できるようになりました。修正されたところにはどのような特徴がありますでしょうか?

飯田 病気による中断で描ききれなかった部分などの修正で、全体で約50ページもの描き足しがありますが、大きな特徴は特定のパートにとどまらず、全体の構成の変更で入れ替えや描き足しが細部にまでわたっていることです。

 というのも、「週刊文春」での連載は毎回10ページというものだったので、そのなかで次週を期待させる「引き」を盛り込んでいました。単行本での読ませ方に合わせた変更や、毎回タイトル文字が入るコマの修正もあります。それらのひとつひとつを比べるのが楽しいのですが、あらためて手塚先生のスゴさを感じさせられます。

 毎週の10ページでこれだけ読ませながら、全体の壮大な構成を見事に築き上げるなんて、本当に普通の人にはできないことだと思います。単行本は文庫本も含めて500万部以上も売れているそうですが、本当にそれだけの価値がある大傑作だと思います。国書刊行会版の完全復刻版はちょっと高価ですが、それだけの価値は充分すぎるほどありますので、ぜひ皆さんにも、連載時のままの『アドルフに告ぐ』も読んでいただきたいと思います。

(C)手塚プロダクション

(マグミクス編集部)

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