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日本中が涙した『フランダースの犬』は現代に問いかける…ネロ少年を追い詰めたもとは?

マグミクス / 2020年12月22日 18時20分

日本中が涙した『フランダースの犬』は現代に問いかける…ネロ少年を追い詰めたもとは?

■最終回は視聴率30.1%を記録した感動作

「パトラッシュ、疲れただろう。僕も疲れたんだ。なんだか、とても眠いんだ」

 1975年にTV放映された「世界名作劇場」のシリーズ第1作『フランダースの犬』(フジテレビ系)の最終回、主人公のネロが愛犬パトラッシュに向かって最後につぶやく言葉です。身寄りのない少年ネロは、パトラッシュと抱き合うようにして短い生涯を終えることになります。

 主人公が寒さと空腹の中で息絶えるという衝撃的なエンディングは、大変な反響を呼びました。最終回の視聴率は30.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)でした。「世界名作劇場」シリーズ史上、最高視聴率として記録されています。

 今なお多くの日本人の脳裏に刻まれている『フランダースの犬』の最終回ですが、夢や希望だけでは生きていくことが難しい社会のシビアさを描いた作品と読み取ることもできそうです。純真な少年ネロを追い詰めたものは何だったのかを、振り返りたいと思います。

■あまりにも一途すぎた少年ネロ

 英国の女性作家ウィーダによって、1872年に児童文学『フランダースの犬』は誕生しました。英国で出版されたため、物語の舞台となったベルギーではあまり知られていないそうです。ネロとパトラッシュの物語は、次のような内容です。

 19世紀のベルギー北部フランドル地方にある農村で、ネロ少年はジェハンおじいさんと暮らしていました。両親はネロが幼い頃に亡くなっています。あるとき、ネロは金物屋に虐待された挙句に捨てられた大型犬パトラッシュを助けます。ネロに介抱されたパトラッシュは元気になり、おじいさんの牛乳運びを手伝うようになります。貧しいながらも、大好きなおじいさんとパトラッシュに囲まれて、ネロは幸せな日々を過ごします。

 ネロには絵を描く才能がありました。幼なじみの女の子・アロアをモデルにスケッチを描きますが、村一番の金持ちであるアロアの父親・コゼツはひとり娘が貧乏人と仲良くしていることが面白くありません。しかし、アロアの絵がとてもよく描けていたことから、ネロに絵の駄賃として銀貨を与えようとします。このとき、ネロは「アロアの姿をお金に換えることはできない」と銀貨を受け取ることを拒否するのでした(第24話)。

 ネロの純粋さ、一途さを象徴したエピソードですが、その一途さは悲劇的な最終回の要因にもなってしまいます。

■根も葉もない噂で、仕事を失うことに

「世界名作劇場・完結版 フランダースの犬」DVD(バンダイビジュアル)。幼なじみのアロアもジャケットに描かれる

 1年間にわたって全52話が放映された『フランダースの犬』ですが、第44話でおじいさんが亡くなると、最終回まで不幸の連鎖が次々と起きてしまいます。おじいさんの葬儀を済ませたネロの手元に、お金は残っていませんでした。

 そんなとき、コゼツ家の所有する風車小屋が火事となり、アロアに会うことを禁じたコゼツを憎むネロの仕業だという噂が村に広まります。まったくの冤罪です。コゼツに対する忖度から、村人たちは牛乳運びの仕事をネロに頼まなくなってしまいます。家賃が払えないネロは、家を出ていくより仕方ありません。

 八方塞がりのネロにとって、唯一の希望はアントワープで開かれる青少年絵画コンクールに優勝することでした。優勝すれば、賞金で生活することができ、絵の勉強もできます。ネロは一心不乱に絵を描きます。おじいさんとパトラッシュと一緒に過ごした大切な思い出を一枚の絵として描き上げます。クリスマスに発表されるコンクールの結果が、ネロは楽しみでした。

 しかし、結果は無情でした。優勝したのは、プロの絵描きから教わっている裕福な家庭の子供でした。失意にうちひしがれたネロは帰り道、たくさんの金貨が入った袋が雪に埋もれているのを見つけます。コゼツがうっかり落とした大切なお金でした。ネロは金貨に手を出すことなく、そのままコゼツ家に届け、アロアが引き止めるのを振り切って去っていくのでした。

 生きる希望を失ったネロが辿り着いたのは、アントワープの大聖堂です。大聖堂には地元出身の大画家ルーベンスの絵が飾られていました。憧れのルーベンスの絵を最後に見ようと思ったのです。アロアに預けられていたパトラッシュは、夜道を走ってネロの元に現われます。ルーベンスの絵を見ることができたネロは満足し、パトラッシュと共に深い眠りに就くことになります。

■絶望に陥った若者に、周りの大人たちは……

 大聖堂で眠るネロとパトラッシュを、天国から降りてきた天使たちが優しく迎えるという荘厳さを感じさせるエンディングでした。でも、ネロには異なる選択肢はなかったのでしょうか?

 おじいさんが亡くなった際、森で暮らす木こりのミシェルが、ネロとパトラッシュを引き取ると申し出ていました。ネロが絵を描くことも認めていました。ミシェルの仕事を手伝いながら、次回のコンクールに再挑戦することもできたはずです。しかし、一枚の絵を描き上げることにすべての情熱を注いだ少年に、「また次回、がんばればいいじゃない」という言葉は届かなかったようです。人は絶望の淵に追い詰められると、冷静な判断力を失ってしまいます。

 孤立した若者に対して、近くにいた大人たちに理解力と思いやりがあれば……と思わざるを得ません。

■決して絵空事ではない、ネロという存在

「日本アニメーション」によって制作された「世界名作劇場」は、東映動画(現・東映アニメーション)出身者たちが多く関わっていました。『フランダースの犬』のキャラクターデザインを手掛けたのは、ベテランアニメーターの森康二氏でした。東映動画時代、森康二氏は劇場アニメ『長靴をはいた猫』(1969年)などの作画監督として活躍しました。とりわけ、絵を見ただけでほっこりした気分にさせる、かわいい動物キャラクターを得意としていました。

 誠実な人柄で、宮崎駿監督ら後輩アニメーターたちから慕われていた森康二氏ですが、東映動画上層部の経営方針の転換から退職を余儀なくされ、TVアニメの世界で働くようになります。『日本アニメーションを築いた人々』(叶精二著、復刊ドットコム)には、【テレビの過密スケジュールと格闘しながら、膨大な原画チェックに追われた】【テレビの激務は森氏の身体を蝕んだ】と記されています。失明の危機に晒されながら、森氏は作画監督、およびキャラクターデザインの仕事を続けたそうです。

 アニメーション制作は大変なハードワークです。体を壊す人や給料の安さから辞めていく人が少なくありません。絵を描くことに純粋な喜びを感じていたネロの生き方は、森康二氏をはじめとする黎明期のアニメーターたちの姿とどこか重なり合うものを感じさせます。

 自分の好きな道に進み、その道で食べていくことができればどんなに素晴らしいことでしょう。1975年にTV放映された『フランダースの犬』は、自分らしさを失うことなく、現実世界で生きていくことの難しさを子供たちに問いかけた社会派アニメーションだったと言えるのではないでしょうか。クリスマスが近づくと、ネロとネロに寄り添うパトラッシュの姿が思い浮かびます。

(長野辰次)

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