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【保存版】『シャーマンキング』の神回「恐山ル・ヴォワール」の舞台・青森を訪ねる(中)

マグミクス / 2021年1月3日 17時10分

写真

■第4章 恐山への道

 マンガ『シャーマンキング』の主人公・麻倉葉が幼少期にヒロイン・恐山アンナと初めて出会う一連のエピソード「恐山ル・ヴォワール」編(講談社『シャーマンキング 完全版』19巻、20巻に収録)は、青森県むつ市街と霊場・恐山を舞台としています。

 劇中で描かれた場所の現在の様子と劇中の描写を比較しながら紹介する、聖地レポートの中編をお届けします。今回は恐山に舞台を移して紹介します。引き続き単行本を片手にお楽しみ下さい。

【聖地レポート(上)はこちら】

* * *

●葉とマタムネたちが恐山へと向かう道

 1枚目の画像は、恐山街道を進む葉とマタムネたちが山を越えて最後の長い下り坂を下りていく時に目にする光景です。前方に小さく三途の川と太鼓橋が描かれており、カーブを進んだ左奥が恐山です。

恐山に向かう道路のナビ板は、2020年11月現在(左下)では書式が変わっているが、2002年の執筆当時はマンガで描かれたような書き方だった。9キロ手前にある1998年当時の看板(右下)を見るとそれが分かる

 恐山に向かう道路のナビ板も、今ではデザインこそ変わっていますが、変わらず存在します。なお薬研(やげん)というのは、周りを原生林に囲まれた温泉地の地名で、その開湯は約400年前と言われます。奥薬研と呼ばれる場所はさらに古く、約1150年前だと言われています。恐山を開山した円仁(えんにん・慈覚大師)がこの地で迷って怪我を負った際、河童が導いてくれたことで発見された……という由来があるそうです。

●「三途の川」と太鼓橋

恐山の手前にある太鼓橋。現在の太鼓橋(下)は、老朽化のため通行止めとなっている

 山を下ってくると、左手にはカルデラ湖・宇曽利山湖(うそりやまこ)が広がっています。そして恐山まで残り500mほどのところに、「三途の川」とそれにかかる太鼓橋があります。筆者の母曰く、ここには幼い頃からすでに道路があって、太鼓橋はその脇に佇んでいたとのこと。つまり使わない橋でした。

 しかし、この橋は「生者が渡って良いものではない」と教えられたので、不思議はなかったそうです。ただ、今でこそ老朽化で通行禁止ですが、近年までは生者でも渡ることができました(笑)。

 その代わりと言ってはなんですが、ここで写真を撮ると必ず心霊写真になると言われたものでした。また「帰りは振り返るな」とも言われました。ほかに「太鼓橋の急な勾配は悪人には針の山に見えて渡れない」とも言われているようで、筆者はそこまでは知りませんでしたが、渡ることができたので少なくとも当時は悪人ではなかったようです……。

 なお「三途の川」というのは、宇曽利山湖から流れ出ている唯一の川・正津川(しょうづがわ)のことです。三途の川にしては細いのですが、罪の重さによって川の幅は変わるといいますから、死者の目にはさまざまに映るのかも知れません。

 ところでこの太鼓橋は、数年以内に石造りの橋に掛け替える計画があるようですね。確かにこの橋が落ちると死者は困ってしまうので、永劫に朽ちない石造りにするのは良いと思うのですが、風情という点で言うと、その橋に趣が出てくるのは数十年先でしょう。ですから、興味のある方は過去50年の歴史を背負った、木造橋の最後の姿を記憶に留めておくのも良いでしょう。

●大鬼に破壊される地蔵

恐山で大鬼に破壊される地蔵は、右上の写真手前の六大地蔵。撮影時は冬季閉山の数日前だったため、地蔵が持っていた小物などは外されていた。1998年撮影の写真(右下)を見ると、小物がマンガと同じであることが分かる

 三途の川を越えて行き止まりまで進むと、ついに恐山に到着です。総門の前には広大な駐車場が広がっており、総門の脇には6体の地蔵菩薩が鎮座しています。恐山の本尊は延命地蔵菩薩です。

 作中では、大鬼がこの「六大地蔵」の1体を「パン」と破壊してしまったわけですが、このコマに描かれている門は、正門ではなく横の門です。総門は右に90度首を向けた先に見えます。

●恐山の門

「恐山ル・ヴォワール cinq5」扉ページに描かれている背景は、恐山の山門(右上)。最初にくぐるのが総門で、その次がこの山門となる。下は1998年撮影の写真。左側の赤い屋根のは、イタコが口寄せを行う場所

 入場料を払って総門をくぐると、真っ正面にこの壮大な山門が見えます。写真で位置関係を確認してみてください。一番手前にあるのが入場料を払ってすぐにくぐる総門、その奥に壮大な山門が見えていますね。写真左の赤い屋根の建物は、恐山大祭などの時にイタコが常駐し口寄せをしてくれる場所です。

 普段、イタコはいません。以前は普通の週末でもひとりふたりいたようですが、現在はイタコの数自体が少ないので、そういったことはないようです。

 なお、誤解されている方も多いと思うのでご説明しますが、イタコは恐山(恐山菩提寺というお寺さん)の所属というわけではなく、お寺の境内を利用して口寄せをしているだけです。寺社の境内で子供たちが遊んでいても無関係なのと同じです。

 恐山の長い歴史のなかで深いつながりがあるのは確かでしょうが、それぞれは独立したものなのです。ですから、お寺の方にイタコについて訊ねても、答えてもらえません。以前、筆者が恐山を訪れた際、観光客の方がイタコについて訊ねていましたが、そういう理由でわからないのだと言われていました。

 また、恐山菩提寺を管理しているのは、むつ市内にある円通寺というお寺さんなのですが、そのお寺の所在地は、前回紹介した「第3章 むつ市街」で鬼が上がってきた田名部川のすぐ対岸です。武井先生はそんなこととは知らずに取材をしたわけですが、奇妙な縁を感じますね。

●岩場でクルクル回る風車

作中の恐山の描写をイメージできる写真(下)

 さて、阿吽(あうん)でお馴染みの仁王像が立っている壮大な山門をくぐって奥に進むと、いよいよ皆さんが良く知る、「お地蔵様」、「ゴツゴツした岩」、「積まれた石」、「風車」……という、恐山独特の地形へと足を踏み入れることができるようになります。

 足場が悪く高低差もかなりあるため、想像以上に疲れます。歩いていると、ところどころで煙が立ち上っていて硫黄の香りがしますが、これは火山性ガスなので、ありがたがって深く吸い込んだりしないでください。
(その他、恐山の岩場の風景は画像ギャラリー参照)

●大鬼が「オノレ……ネコマタ」とつぶやく高台

大鬼が境内を見下ろす場面をイメージできる写真(下)。マンガのように境内を見下ろすことのできる高台は、実際には少し離れたところにある

 大鬼が境内を見下ろすコマの表現は、それほど大げさでもありません。岩場の高いところではこうした場所もありますが、見て回る際に必ず通るわけではないので、将来的に観光を考えている方もご安心下さい。ある程度順路のようなものはありますが、基本的には大きな公園の中を自由に歩ける……というイメージです。

 それにしても、どれほど観光地的であっても、晴天の昼間であっても、「静かに参る」という神妙な気持ちが心から離れません。やはりここは霊場なのだと思い知らされます。

「恐山ル・ヴォワール」の舞台を訪ねる旅は次回で完結します。お楽しみに!

※掲載写真は全て筆者による撮影です。

(タシロハヤト)

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