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3月25日に最終回迎えた『ボルテス』と『ザンボット』。テーマも共通だが異なる結末に…

マグミクス / 2021年3月25日 8時20分

3月25日に最終回迎えた『ボルテス』と『ザンボット』。テーマも共通だが異なる結末に…

■両作品とも根底には「差別問題」が

 43年前の1978年3月25日、『無敵超人ザンボット3』と、『超電磁マシーン ボルテスV』という2本のロボットアニメがともに最終回を迎えました。筆者が住んでいた地域では『ボルテスV』はロボットアニメのヘビーローテーション枠に入っており、『機動戦士ガンダム』『超電磁ロボ コン・バトラーV』『ボルテスⅤ』の3作品が終わっては始まり、終わっては始まりを繰り返していました。

 しかし『ザンボット3』を見る機会はなく、当時は配信はおろかビデオもなかったため、小さいころに見たという友人から「人間爆弾っていうのがあって、怖くて今でも忘れられないんだよ」と聞かされ「何それ……」とドン引きした思い出しかな無かったのです。

 そんな状況を変化させたのが、『第4次スーパーロボット大戦』でした。この作品には『ザンボット3』も参戦したため、人間爆弾のエピソードも収録されており、回避することも可能ではありますが、分岐次第では確実にアキが爆死してしまうのが精神的にかなりきつかったことを覚えています。

 その後しばらくして『ザンボット3』のLD-BOXが発売されたのでようやく本編を観ることができたのですが、「富野監督、これ、本当に子供に向けて……作ったの?」と、絶句するほどの凄惨な描写の連続で、最後まで観るのが本当に苦しい作品だったのです。

 特に厳しいと感じたのが、それまでごく普通に暮らしていた主人公たち神ファミリーが、異星人の子孫であることが明らかになり、地球人から厳しい迫害を受けるシーンでした。「お前たちが地球に来たからガイゾックも来てしまったんだ」と石を投げられ、罵られながらも歯を食いしばり、地球のために戦い続ける神ファミリーたちの姿は、忘れようがありません。

 それでも、最後は誤解も解けて地球人と神ファミリーは手を取り合ってガイゾックと戦い、多くの犠牲を払いながらもかろうじて勝利とも呼べない勝利をつかみ取りました。ラストシーンでは生き残った勝平のもとに地球人たちが駈け寄るという希望が見える終わりを迎えましたが、このシーンにはもうひとつ、別の意味が隠されていたのです。

 富野監督が執筆した小説版『ザンボット3』(未発表)では、最後駆け寄ってきた民衆は、宇宙人の最後の生き残り、すなわち勝平を始末しに来たことが暗示されているそうです。命がけで戦い大切な家族を失った勝平に対しても差別感情は消え失せることはなかった。人の業を描き続けてきた富野監督らしいと言えばらしいのですが、あまりにも悲惨極まりないラストではないでしょうか。

■差別に打ち勝った『ボルテスV』

『超電磁マシーン ボルテスV』DVD VOL.1 (東映)

 差別に対する問題は、『ボルテスV』でもメインテーマのひとつとして取り上げられています。地球に攻め込んできたボアザン星人は、生まれながらに角があれば貴族、無ければ労奴として扱われるという厳しい身分制度が敷かれており、仮に労奴の子供に角があっても差別対象であることは変わりません。

 主人公・剛健一と弟の大次郎、日吉の3人の父親である剛健太郎は、実はラ・ゴールという名のボアザン星人であり、前皇帝の弟が父親という高貴な身分として生まれながらも、角がなかったために人工の角をつけることとなり、皇位継承権を争うなかで秘密を暴露され労奴に落とされた過去の持ち主です。そのとき離縁させられてしまった身重の妻が産んだのが、後のプリンス・ハイネルです。

 当時の筆者の幼心にも、ラ・ゴールが生まれてから突然労奴に堕とされるまでの一連のシーンは強く印象に残っています。特にラ・ゴールの誕生を喜んでいた父親が、角が無いことに激怒して殺そうとするシーンは、ボアザン星の身分制度がどれほど苛烈なものなのかを非常にわかりやすく示した名シーンであると思えます。

 ラ・ゴールはその後反乱を起こすも失敗、地球に逃げ出して結婚し、3人の息子をもうけます。そして謀反人の子として辛い思いをしていたハイネルは地球征服軍司令官に着任し、ボルテスVとの死闘へと突入するのです。戦っている相手が弟たちだとは知らずに。

『ボルテスV』は最後に、ボルテスチームのボアザン星への突入と労奴解放運動の成功により、貴族制度は崩壊します。

 差別を克服しきれなかった『ザンボット3』。
 差別と戦い抜いた『ボルテスV』。

 実は『ボルテスV』の前半では、富野監督は「とみの喜幸」名義で演出として辣腕を振るっており、両作品に大きな影響を与えています。富野監督と長浜監督、同じ時代を生きた異なる個性によって同時期に世に送り出された作品たちが、共に差別を正面から取り扱い、まったく異なるラストを迎えたことは、おそらく偶然ではないのでしょう。

(早川清一朗)

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