『この世界』の片渕監督の隠れた名作、『マイマイ新子』が引き寄せた大切な縁
マグミクス / 2021年5月15日 17時10分
■巨匠たちの薫陶を受けた片渕監督
劇場アニメ『この世界の片隅に』(2016年)は、太平洋戦争中の広島市や呉市で暮らす人びとの暮らしをリアルに再現し、単館系での公開ながら興収27億円を越える大ヒット作となりました。『この世界』での細やかな演出で一躍脚光を浴びたのが、片渕須直監督。庵野秀明監督と同世代のベテランアニメーターです。
片渕監督がこうの史代さんの原作コミックをアニメーション化するきっかけとなったのが、前作『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)でした。すでに『マイマイ新子と千年の魔法』でも、リアルな日常描写を披露しており、そこで培ったノウハウやスタッフワークが『この世界』へとつながったことが分かります。
2021年5月16日(日)のBS12では夜7時から、『マイマイ新子と千年の魔法』が放映されます。片渕監督は若手時代に、宮崎駿監督や高畑勲監督らの薫陶を受けています。そんな片渕監督ならではの、繊細な演出とカメラワークが冴え渡った本作の見どころを紹介します。
■昭和30年代と平安時代を結ぶ物語
山口県防府(ほうふ)市出身の芥川賞作家・高樹のぶ子さんの自伝的小説『マイマイ新子』が、本作の原作です。物語の舞台となるのは、昭和30年代の防府市。小学3年生の新子(CV:福田麻由子)は、大好きな祖父・小太郎から自宅前にある麦畑には1000年前に街があったことを教わります。好奇心を刺激され、マイマイ(つむじ)のある額の髪がピンと跳ね上がる新子でした。
防府市はかつて「周防の国」の都であり、清少納言が少女時代を過ごした土地でした。新子は1000年前に生きていた女の子のことを想像し、友達になることを夢見るのです。
そんなとき、新子の学級に東京から引っ越してきた貴伊子(CV:水沢奈子)が転入します。お嬢さまっぽい貴伊子のことが気になった新子は、学校帰りに自宅までついていきます。貴伊子の父親は医者で忙しく、母親は若くして亡くなっており、貴伊子はいつも寂しそうにしています。
ふたりが親しくなったアイテムは、舶来品のチョレート菓子でした。新子の家を訪ねた貴伊子は、父親が持っていた菓子箱を手土産にします。新子の幼い妹・光子も加えた3人で、高級そうなチョコレート菓子を次々と口にします。
このとき、3人が食べたのはウイスキーボンボンでした。チョコレートのなかに入っていたお酒で、女の子たちが酔っぱらうシーンは抱腹絶倒ものです。『赤毛のアン』でアンが親友のダイアナにジュースと間違ってぶどう酒を飲ませてしまうエピソードを彷彿させます。
酔っぱらい事件以降、新子と貴伊子はすっかり打ち解けるのでした。
■まるでタイムスリップしたかのような感覚
『マイマイ新子と千年の魔法』が引き寄せた縁は、2016年に公開され大ヒットした『この世界の片隅に』結実した。 (C)こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会
親友となった新子と貴伊子は、秘密を共有するようになります。新子は1000年前にも、自分たちと同じような少女がいたことを貴伊子に伝えます。
「友達になりたい」。新子と貴伊子の純粋な想いと、1000年前の時代を生きていた少女・なぎこ(CV:森迫永依)の孤独な想いが、時空を越えて求め合い、不思議な体験を招くことになるのです。
本作を観ていると、昭和30年代のノスタルジックな世界を体験するだけでなく、さらに1000年前の平安時代にまでタイムスリップしたかのような感覚が味わえます。
昭和世代には懐かしいグリコのおまけの数々に、ポン菓子の製造に加え、平安時代の国司の館でひとり遊びするなぎこの様子などが時代考証に基づきディテールたっぷりに再現されています。原爆が投下される前の広島市を微細に再現した『この世界』と同様に、繰り返し観ることで細部を確認する楽しみが本作にはあります。
■「千年の魔法」がもたらした出会い
少女時代を満喫していた新子たちは、やがて大人の世界に触れ、イノセントな時代が終わりを告げるところで物語は幕を閉じます。劇場アニメとしては非常に完成度が高かった本作ですが、片渕監督いわく「アニメ制作で予算を使い果たし、宣伝費がまったく残っていなかった」ために、劇場公開はひっそりとしたままで打ち切られてしまいました。
でも、片渕監督たちが『マイマイ新子』のアニメ化に全力を注いだことは、大きなリターンとなって還ってきたのです。片渕監督がロケハン協力してくれた防府市で映画のPRも兼ねてトークイベントを開いたところ、トークイベントの司会者兼企画者が持っていたクリアファイルに片渕監督の目が留まりました。
そのクリアファイルには、マンガ家・こうの史代さんを有名にした『夕凪の街 桜の国』のイラストが入っていました。このクリアファイルが起点となり、片渕監督は山口県のお隣・広島県を舞台にしたマンガ『この世界の片隅に』と出会うことになったのです。
もうひとつ、出会いがありました。興行的にはさんざんだった『マイマイ新子と千年の魔法』ですが、今敏監督の『千年女優』(2002年)などを手掛けた映画プロデューサーの真木太郎氏はそのクオリティの高さに惚れ込み、『この世界』の製作を引き受けることになったのです。「千年の魔法」が片渕監督にいろんな出会いをもたらしたのです。
ひたむきな想いが時を越え、場所を越え、人から人へと広がり、また新しい名作が生まれることになったのです。片渕監督にとっても、『この世界』のファンにとっても、『マイマイ新子と千年の魔法』はかけがえのない作品となっています。
(長野辰次)
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