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劇場アニメ『はだしのゲン』 原爆投下を克明に描写した、原作者とスタッフの熱意

マグミクス / 2021年8月6日 8時10分

劇場アニメ『はだしのゲン』 原爆投下を克明に描写した、原作者とスタッフの熱意

■「少年ジャンプ」に連載された衝撃作

 8月6日は広島に「原爆」が投下された「原爆の日」として、日本人の心に刻まれています。第二次世界大戦中だった1945年8月6日、米軍は広島への原爆投下で史上初めて人類に対して核兵器を使用しました。罪のない市民14万人余りがその年の暮れまでに亡くなり、現在も「原爆症」によって多くの人たちが苦しみ続けています。

 原爆の恐ろしさを描いたマンガとして有名なのが、中沢啓治氏が故郷・広島での被爆体験をもとにした自伝的作品『はだしのゲン』です。『はだしのゲン』は1973年~74年に「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載され、その後も掲載誌を変えながら1985年まで連載が続きました。コミック版全10巻は翻訳もされ、世界的なロングセラーとなっています。

 大ヒットした劇場アニメ『この世界の片隅に』(2016年)の原作者・こうの史代氏も、『はだしのゲン』に影響を受けていることを認めています。三國連太郎さん主演作として『はだしのゲン』は1976年に実写映画化、中井貴一さんと石田ゆり子さんが主演した実写ドラマ版も2007年にフジテレビ系で放送されていますが、今回は中沢氏自身が7000万円を調達することで製作にこぎ着けた劇場アニメ『はだしのゲン』(1983年)を中心に振り返りたいと思います。

■「麦のように強く育て」という父の教え

 劇場アニメ『はだしのゲン』の制作スタジオは「マッドハウス」です。「マッドハウス」の設立者であり、劇場アニメ『この世界の片隅に』の企画者だった丸山正雄氏が設計を担当しています。角川アニメ『幻魔大戦』(1983年)の脚本も手掛けた真崎守監督が、第1作を監督(続編『はだしのゲン2』は平田敏夫監督)。美術監督はスタジオジブリ作品でその名を広く知られることになる男鹿和雄氏。音楽は「超時空要塞マクロス」シリーズの羽田健太郎氏……と、スタッフは一流ぞろいです。
 
 主人公は広島市内の小学校に通う中岡元(CV:宮崎一成)。下駄に絵を描く職人である父・大吉(CV:井上孝雄)、身重の母・君江(CV:島村佳江)、やさしい姉・英子(CV:中野聖子)、やんちゃな弟・進次(CV:甲田将樹)に囲まれて、元気いっぱいに暮らしています。

 戦時下ゆえに配給される食料だけでは、育ち盛りのゲンたちのお腹は満たされません。そこで大吉は畑に麦を撒き、「ふまれて ふまれて つよく 大地に根を張り まっすぐにのびて 実をつける 麦になるんじゃ」と子供たちを励ますのでした。貧しいながらも、家族同士がお互いを思いやる幸せな日々が描かれます。

 しかし、時間の流れは止めることはできません。1945年8月6日の午前8時15分が中岡家にも訪れることになります。

■スローモーションで描かれた原爆投下の瞬間

マンガ『はだしのゲン』文庫版1巻(中央公論新社)

 原爆投下の瞬間が、アニメーション表現ならではのスローモーションシーンとして再現されています。思わず息を呑んでしまいます。米軍の爆撃機から投下された原爆が広島市上空で閃光を放ち、その輝きを目撃した市民は瞬く間に溶解していきます。広島県産業奨励館(現在の原爆ドーム)、広島城の天守閣も一瞬にして吹き飛びます。そして、悪魔のように不気味なキノコ雲が広島市の空を黒く覆ってしまうのです。

 学校のコンクリート塀に守られたゲンは、辛うじて命拾いします。街は炎上しており、ゲンは家に残っている家族の安否を確かめるために走ります。その過程では、原作マンガでいちばん強烈なインパクトを与えた、全身の皮膚がめくれてた人たちがぞろぞろと歩く姿も描かれています。熱に苦しみ、防火用の水槽に入ったまま炭になった母子の遺体も、ゲンは目撃することになります。

 広島市が炎上するシーンは、生き地獄としか言いようがありません。さらには生き残った人たちも苦しめる「黒い雨」が、ゲンたちの頭上に降り注ぎます。気軽には観ることができない、トラウマ級の場面が続きます。でも、制作スタッフは単にグロテスクな残酷描写にはならないように最大限に配慮しつつ、原爆の恐ろしさを克明に伝えようとしていることがひしひしと感じられます。

■戦時中の体験がフラッシュバックする過酷な作業

 劇場アニメ『はだしのゲン』では製作と脚本を兼任した中沢氏ですが、マンガ家になった当初は「原爆」をテーマにした作品を描く気はなかったそうです。できるものなら、忘れたい過去だったのです。でも、中沢氏とともに戦火を生き延びた最愛の母・キヨミさんが1966年に亡くなったことから、原爆に対する怒りに正面から向き合うようになります。原爆を扱った短編マンガを、その年から描くようになったのです。

 原爆を扱ったマンガを描くことは、戦時中の体験がフラッシュバックする過酷な作業でした。ゲンは戦争によって家も家族も失い、ゲン自身も原爆症の恐怖に悩まされますが、それでもありったけの元気を振り絞り、母親や戦災孤児たちを励ましながら生きていきます。ゲンの底抜けな明るさ、ひたむきさが、『はだしのゲン』の唯一の救いとなっています。

 中沢氏は2012年に73歳で亡くなりました。同じ広島市出身のマンガ家・こうの史代氏は、「週刊朝日」(2013年8月9日号)の中沢氏追悼特集で、【「ゲン」がなければ、『夕凪の街 桜の国』は描けませんでした。】とコメントを寄せています。『夕凪の街 桜の国』と同様に戦争が残した傷は一生消えないことを描いた『この世界の片隅に』も、『はだしのゲン』の強い影響を受けているといえそうです。

 かつては、小学校や中学校の学級文庫や図書室には、原作マンガ『はだしのゲン』が並んでいましたが、若い世代のなかには「『はだしのゲン』は知らない」という人も少なくないと思います。戦時中、そして戦後をたくましく生きたゲンという少年がいたことを、ぜひ覚えておいてください。そしていつか機会があれば、原作マンガやDVD化されている劇場アニメ版にも手を伸ばしてみてください。

(長野辰次)

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