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伝説のアニソン歌手・ヒデ夕樹の生涯、自費出版で明らかに 『海のトリトン』など歌う

マグミクス / 2021年9月8日 18時10分

伝説のアニソン歌手・ヒデ夕樹の生涯、自費出版で明らかに 『海のトリトン』など歌う

■視聴者の記憶に焼きつく独特な歌声

「子供の頃は空を飛べたよ 草に寝ころび 心の 翼ひろげ どこへだって行けたぼくだった」

 1978年11月からNHK総合で1年間にわたって放映されたSFアニメ『キャプテンフューチャー』の主題歌「夢の舟乗り」は、そんな歌詞で始まります。子供の持つ想像力の豊かさを、大人が慈しむ名曲です。

 日本アニメ史上屈指の名主題歌と評したい「夢の舟乗り」(作詞:山川啓介、作曲・編曲:大野雄二)を、見事な歌唱力で歌い上げたのはヒデ夕樹さんでした。ヒデさんは他にも、『海のトリトン』の主題歌「GO! GO! トリトン」、『あしたのジョー』の後期エンディング曲「力石徹のテーマ」、日立グループのCMソング「この木なんの木」など、視聴者の記憶に焼きつく歌声を披露しています。

 アニソン界の大御所として、水木一郎さん、ささきいさおさんらは今も元気に活躍していますが、残念なことにヒデさんは1998年に58歳で亡くなりました。そのため、ヒデさんに関する情報はとても限られたものとなっています。

 ヒデ夕樹という歌手は、どんな生涯を送った人物だったのか。その疑問に答えたのが、2021年7月25日からインターネット販売されている書籍『ヒデ夕樹とテレビまんが主題歌の黄金期』(ケンケンクリエイト)です。

■アニソンが「テレビまんが主題歌」だった時代

 ものまねタレントとして活動する剣持光氏が、自費出版する形で『ヒデ夕樹とテレビまんが主題歌の黄金期』を出版しました。謎に包まれていたヒデさんの素顔を、剣持氏はヒデさんの仕事仲間や2歳年上の実兄・平野盛之さんらに取材して明らかにしています。

 また、剣持氏はアニソンブームの礎を築いた日本コロムビア学芸部の元ディレクター・木村英俊さんにロングインタビューしたことがあり、かつてアニソンが「テレビまんが主題歌」と呼ばれていた1970年代からアニソン業界全体を振り返った構成となっています。

 1970年代、テレビアニメや特撮ドラマは「ジャリ番」(子供向け番組)と呼ばれ、レコード業界では低く見られていました。歌謡曲を歌う人気歌手には、アニメや特撮ドラマの主題歌は歌わせないことが不文律となっていたそうです。そこで日本コロムビアの社員だった木村英俊さんは、アニメや特撮ドラマを専門に歌う歌手を独自に育てることにしたのです。

 木村英俊さんによって見出されたのが、堀江美都子さん、水木一郎さん、ささきいさおさん、子門真人さんといった後のアニソン界のビッグスターたちでした。明朗な歌声が彼らの特徴ですが、同じく木村さんが目を掛けたヒデさんは異彩を放っていました。コーラスグループやソウルバンドなどを経験してきたヒデさんは、哀愁を感じさせる独特な声の持ち主でした。

 剣持氏は、父親を早くに失ったヒデさんの生い立ち、グループ時代のエピソードなどを盛り込みながら、ヒデさんの人物像を浮かび上がらせています。孤独な男の世界を歌い続けたヒデさんですが、普段は陽気な性格で、酒好き、ギャンブル好きで、そして女性にとてもモテたそうです。大人の魅力の持ち主だったことが分かります。

■「主題歌差し替え事件」の真相

謎に包まれたヒデ夕樹氏の生涯を、剣持光氏が緻密な取材で明らかにした書籍『ヒデ夕樹とテレビまんが主題歌の黄金期』(ケンケンクリエイト)

 ヒデ夕樹さんのファンとしては、やはり気になるのは『キャプテンフューチャー』の主題歌をめぐる一件です。ヒデさんが歌い、好評を博していた「夢の舟乗り」ですが、放送途中からタケカワユキヒデさんのボーカルに差し替わりました。

 もともとタケカワさんが歌ったバージョンを使う予定だったのが、権利上の問題から使えず、そこで急遽ヒデさんが起用されることに。権利がクリアされ、タケカワバージョンが放送されることになった……というのがこれまでの定説でした。しかし、剣持氏の取材では、それとは異なる真相が語られています。

 先述の木村英俊さんによると、「夢の舟乗り」は大人が過去を回想する内容なので、当時26歳だったタケカワさんの声では若すぎると木村さんが主張し、ヒデさんに歌わせたバージョンが正式テイクとなったそうです。ところが、タケカワさんが「ゴダイゴ」として大ブレイクしたため、NHK側は一度ボツにしていたタケカワバージョンを使うことに。NHK側の一方的な決定に、木村さんは抗議したとのことです。

 プロの仕事として、いつもは割り切ってアニメ主題歌を吹き込んでいたヒデさんですが、「夢の舟乗り」にはとても愛着があったことがうかがえます。レコード用に新しく録音したバージョンを気に入り、テレビ放送も新しいバージョンに替えてほしいとヒデさんから申し出たそうです。それゆえに、その後タケカワバージョンに変わってしまった際の、ヒデさんの胸中の想いは計り知れないものがあります。

 この差し替え騒ぎは、子供たちの間にも波紋を呼びました。「朝日小学生新聞」ではヒデさんの歌を支持する派、タケカワさんの熱烈なファン派で、紙上討論が繰り広げられたことについても、剣持氏は触れています。ヒデさんは「朝日小学生新聞」の取材に対し、「しかたのないことでしょうね」と答えていたそうですが、その記事も含め、『キャプテンフューチャー』の関連品をヒデさんは大切に保管していたことが記されています。

■アニメ主題歌から距離を置いた、その後の人生

 ヒデさんはその後、1982年に放映された『南の虹のルーシー』(フジテレビ系)のイメージソングなども歌っていますが、テレビアニメの主題歌は『キャプテンフューチャー』が最後でした。40歳を迎え、ヒデさんはアニメ主題歌の世界からは距離を置いて、新しい人生を歩むことになります。ヒデさんの意外なその後の人生については、ぜひ剣持氏の著書を読んでみてください。

 本書の「CD付き豪華版」では、ヒデさんが1983年に自主制作した2曲「野良犬エレジー」「風花」のCDがセットになっています。なかでも「野良犬エレジー」はヒデさん自身の歌手人生を野良犬に例えた、胸に沁みるブルースとなっています。

 ヒデさんの生涯を知って、改めて「夢の舟乗り」や番組挿入歌「おいらは淋しいスペースマン」を聴き直すと、『キャプテンフューチャー』を初めて観たとき以上に涙腺を刺激されている自分がいることに気づきます。

(c)ケンケンクリエイト

(長野辰次)

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