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創刊40周年『コミックボンボン』の思い出 「ガンダム」と共に歩んできた歴史

マグミクス / 2021年10月15日 6時10分

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■「ガンプラ」ブームに後押しされた創刊期

 かつて子供たちに愛された雑誌がありました。「コミックボンボン」。今から40年前の1981年10月15日に創刊され、2007年11月15日に最終号が発売されました。

「ボンボン」の創刊には、ライバルとなる「月刊コロコロコミック」の存在があります。昔からライバル関係にあった講談社と小学館は、それまでも競うように雑誌を生み出してきました。「週刊少年マガジン」と「週刊少年サンデー」、「テレビマガジン」と「てれびくん」などです。

『ドラえもん』をはじめとする藤子不二雄作品のアニメ化で勢いのあった「コロコロ」に対抗するべく、「テレビマガジン」の編集長だった田中利雄さんが初代編集長として立ち上げたのが「ボンボン」でした。当時の人気アニメだった『ドラえもん』に対抗するべく、当初はジョージ秋山先生のマンガ『スパットマンX』をアニメ化することで勢いをつける予定でしたが、諸般の事情からアニメ化には至っていません。

 そんな「ボンボン」の最初のメインコンテンツになったのが、当時、劇場公開で盛り上がっていた『機動戦士ガンダム』でした。もともと講談社で『ガンダム』関係の書籍を展開しており、さらに「ガンプラブーム」の真っただなかだったことで、人気アニメ『ガンダム』が「ボンボン」の中心となったわけです。

 これには「テレビマガジン」が『ガンダム』以前から日本サンライズ(現在のサンライズ)と良好な関係にあったことも大きな要因でした。そのため、創刊号には『太陽の牙ダグラム』のコミカライズを掲載、その後もサンライズのテレビアニメ作品を掲載したほか、映画公開時には『伝説巨神イデオン』や『クラッシャージョウ』なども掲載しています。この日本サンライズ作品との太いパイプが当時のアニメ雑誌乱立期にマッチして、本来のターゲットである小学生以外、高校生や大学生なども「ボンボン」を手に取るきっかけになりました。

 また、当時はガンプラでようやく塗装をおぼえた子供たちが多いなか、いきなり改造といった比較的難易度の高い技術が誌面にあったことも特徴です。一定以上の年齢層には簡単に思える改造も、道具も知識もない当時の子供たちにはハードルが高く、時には読者の保護者からクレームが寄せられ、なかには無駄になった材料費を請求されたこともありました。

 そんなガンプラブームをより熱狂的にするマンガが1982年2月号から連載を開始されます。それが、原作がクラフト団、作画やまと虹一先生によるマンガ『プラモ狂四郎』でした。

■子供たちの流行と共に誌面は変化していった

『プラモ狂四郎』は『ガンダム』のなかった時期にその代わりを務めたと言っても過言でない作品でした。当初は足首が動かない、改造して動くようになった間接、糸ハンダで作ったムチ……などのガンプラあるあるの戦いでしたが、途中から実際のガンプラを改造して別の機体にするという展開になります。この過程で生まれたのが「パーフェクトガンダム」でした。

 グラビア記事で紹介されたMSV(モビルスーツバリエーション)と合わせ、当時の子供たちには「生きたガンダムコンテンツ」として認識されていたと思います。余談ですが、昨今では一般にも使われることの多い「魔改造」という言葉も本作が生み出した言葉ですが、本来は「スケールモデルにアニメモデルの性能をもたせる秘技」(マンガ内では実はインチキ)でした。「黒歴史」同様、言葉が独り歩きした現象ですね。

 流行り廃れが激しい子供の興味はやがてゲーム、「ファミコン」へと変わっていきます。そして、この時期に『ファミコン風雲児』、『ファミ拳リュウ』といったマンガが「ボンボン」の中心となっていきました。こういった「ファミコン」ゲームで競い合うといったタイプのほかにも、ゲームのストーリーに沿ったマンガも数多く生み出されていきます。

 その後、おまけシールブームの時期は「コロコロ」が『ビックリマンチョコ』を主軸にしたことに対抗し、アニメ化もした『レスラー軍団』や『秘伝忍法帖』を中心に誌面を展開しました。

 そして、「ボンボン」が発行部数で頂点に達した時期にメインとなったのが『SDガンダム』です。もともと『プラモ狂四郎』からの流れで、ホビー系のガンダムを扱ってきた「ボンボン」でしたが、この『SDガンダム』の隆盛で一気にブレイクしました。

『SDガンダム』の生みの親である横井孝二先生の4コママンガ『元祖!SDガンダム』を中心に、他の作者による「SDガンダム」シリーズのマンガが数作、さらにカラーグラビアに至るまで誌面が『SDガンダム』で埋まっていた感じです。この時期の「コロコロ」の主軸は『ダッシュ!四駆郎』を中心とした第一次ミニ四駆ブームで、男の子のホビーとして住み分けができていたのかもしれません。……というか、男の子はどちらも買っていたと思います。

 この『SDガンダム』ブームの勢いが、「平成ガンダム」シリーズと言われる作品を生み、それがきっかけでときた洸一先生が本格的な漫画家活動を始めることになりました。ときた先生はもともとバンダイやナムコでイラスト関係の仕事をしていたほか、『プラモ狂四郎』、『超戦士ガンダム野郎』などに登場するメカのデザインをしていたそうで、本格的なデビュー作となる『機動武闘伝Gガンダム』のコミカライズで一躍脚光を浴びることになります。

 このように数多くのヒットコンテンツを生み出してきた「ボンボン」が、今は存在しないことは寂しいものですが、思い出してるだけであの頃のワクワク感がよみがえってきますね。今でも「ボンボン」のくれた何かが、みなさんのなかにも残っているのではないでしょうか?

(加々美利治)

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