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『テレビマガジン』が50周年。ライダーもマジンガーも、ブームは誌面から巻き起こった

マグミクス / 2021年11月2日 7時30分

『テレビマガジン』が50周年。ライダーもマジンガーも、ブームは誌面から巻き起こった

■仮面ライダーと二人三脚だった創刊時

 1971年11月に「テレビマガジン」が創刊され、今年で50周年になりました。長い間「テレマガ」の愛称で親しまれ、子供の頃に読んだことのある方も多いことと思います。日本初の児童向けテレビ情報雑誌である「テレマガ」の半世紀を振り返ってみましょう。

「テレマガ」は当時の人気TV作品だった『仮面ライダー』をメインにした子供向け雑誌として企画されました。これは講談社の幼児向け雑誌「たのしい幼稚園」が『仮面ライダー』で販売部数を増やしたことが大きな要因です。この雑誌の対象年齢は「幼稚園生」ですから、小学生までを対象にした雑誌に注目したのでしょう。

 もともと『仮面ライダー』は、「週刊ぼくらマガジン」という子供向けマンガ雑誌で、石森章太郎(石ノ森章太郎)先生がマンガを連載していましたが、この雑誌は「週刊少年マガジン」に統合される形で廃刊します。この時に「少年マガジン」に掲載誌を変えたのが『仮面ライダー』、『タイガーマスク』、『天才バカボン』でした。

 こうして『仮面ライダー』は「少年マガジン」に移籍しましたが、当時は大学生にも読者層を広げて劇画路線に移行していたこともあり、それまでの子供向けの部分から脱却しようと模索していた時期だったのです。そのためか、「テレマガ」創刊とほぼ同時期に『仮面ライダー』の「少年マガジン」での連載は、同じく人気作だった『タイガーマスク』と同じ1971年53号で終了を迎えました。その後の「少年マガジン」は、写真家の篠山紀信さんによるアイドルグラビアなどが掲載されるようになっていきます。

 このような背景から誕生した『テレマガ』は、創刊時はマンガが多く連載される従来のマンガ雑誌と変わらない構成でした。しかし、独自に撮影した写真を多く所有していたこともあり、それを中心としたカラーグラビアページに力を入れていきます。これには「少年マガジン」で仮想記事やグラビアを担当していた田中利雄さんがいたからでした。

 そして、このカラーグラビアが他誌とは違う大きな魅力になります。TVでは見ることのできない写真、TVでは語られない物語など、「テレマガ」だけでしか見れない情報が子供たちのハートをわしづかみにしました。この『仮面ライダー』との二人三脚が、お互いの人気を決定的にします。

 この「テレマガ」の躍進で、秋田書店のマンガ雑誌「冒険王」は特撮やアニメといった「テレビまんが」と呼ばれるジャンルに舵を切るようになり、1年ほど後には競合雑誌となる「テレビランド」が創刊されました。『仮面ライダー』のヒットで、児童向けテレビ情報雑誌は各社から一躍ジャンルとして注目されたわけです。

 また、「テレマガ」で特筆する点は、誌面で募集した「少年仮面ライダー隊」でしょう。実際に作品でも登場し、この企画を盛り上げました。その後、この読者がヒーローをサポートするといった企画は、『マジンガーZ』のマジンガーズクラブ、『ミクロマン』のミクロマンクラブという具合に、その後の「テレマガ」の中心となる作品にも引き継がれていきます。

■マジンガー、ミクロマン、トランスフォーマーもブームに

仮面ライダーとともに歩んできた「テレビマガジン」50年の節目に刊行される「テレビマガジンデラックス252 決定版 全仮面ライダー完全超百科」(講談社)

「テレマガ」では『仮面ライダー』の人気がまだあるころから、次の人気作品となるものを求めていました。それが前述した『マジンガーZ』です。

 もともと「週刊少年ジャンプ」で連載していたことから、「テレマガ」ではアニメ放送直後はそれほど大きく扱えませんでした。しかし、「ジャンプ」での連載終了、「テレマガ」でのマンガ連載開始という流れになり、『マジンガーZ』は『仮面ライダー』と並ぶ「テレマガ」の看板作品となります。

 特にカラーグラビア記事の力の入れようは『仮面ライダー』以上で、実写ではできなかったイラストならではの展開は大きな反響を生みました。マジンガーシリーズの人気キャラとなったボスボロットも、「テレマガ」でデザインを一般公募されています。しかし、後に永井豪先生がご自身でデザインしていたことをマンガの中で明かしていました。このボスボロットの人気は高く、『ジャンジャジャ~ン ボスボロットだい』『おなり~っ ボロッ殿だい』といったスピンオフマンガが連載されます。

 しかし、人気というものは浮き沈みのあるもの。やがてライダーシリーズ、マジンガーシリーズともに終息を迎えました。その後の「テレマガ」を支えたのがTV作品ではなく、オモチャのみで展開していた『ミクロマン』です。森藤よしひろ先生によるコミカライズは当時、パンフレットなどで概要しか明かされていなかった作品世界にストーリーを組み込むことに成功しました。中期のころには商品化される前のオモチャも先に登場して、プロモーションとしても大成功をおさめます。

 この頃にライバル関係となる小学館から「てれびくん」も創刊されました。そして、時代はスーパーカーブームとなり、これに合わせてすがやみつる先生の『ひみつ指令マシン刑事999』が連載されます。その続編『ラジコン探偵団』も大きなブームではありませんが、ラジコンブームの先駆けとして人気がありました。

 それからアニメブームが到来、TV放送時から掲載されていたことで『機動戦士ガンダム』が注目されます。ただ「テレマガ」の読者とは対象年齢に開きがあったことから大きくは特集せず、対象年齢を小学生高学年に向けた兄弟雑誌「コミックボンボン」が創刊されました。

 こうして「ボンボン」との対象年齢の差別化により、低学年向けに舵を切った「テレマガ」は、以前ほど誌面構成に力を入れることが少なくなっていきます。その後、もっとも「テレマガ」が対象年齢以外の層から話題になったのが『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』でしょうか。

 当初は海外作品だったことから絵素材が少なく、『トランスフォーマー』はほとんど描き起こしという誌面構成になります。しかし、担当していたスタジオOXの暴走ともいえるハイクオリティなイラストに、ハイターゲット層が注目しました。結果、アニメ作品とオモチャの人気との相乗効果で「テレマガ」表紙の中央を飾るほどのコンテンツとなります。

「テレマガ」で興味のあった作品は時代によってさまざまですが、今でも同じ作品の話で盛り上がる共通のきっかけになる雑誌だったと思います。

(加々美利治)

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