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年収たった7万…? 「アニソン界のプリンス」影山ヒロノブの「へっちゃらじゃなかった」逸話

マグミクス / 2021年12月26日 14時31分

年収たった7万…? 「アニソン界のプリンス」影山ヒロノブの「へっちゃらじゃなかった」逸話

■不本意にアイドルデビューさせられ…

「チャ~ラ~! ヘッチャラ~!」

 アニメ『ドラゴンボールZ』の主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA」は、アニソン歌手・影山ヒロノブさんの代表曲。「何が起きてもへっちゃら」的な元気ワールドは聞く人みんなに勇気を与えてくれます。けれども、影山さんの歌手人生は決して「へっちゃら」なことばかりではありませんでした。今回は「アニソン界のプリンス」と呼ばれるまでになった影山さんの、「へちゃらじゃなかった」エピソードをご紹介します。

●ハードロックでデビューするはずが……

 影山ヒロノブさんは1977年にバンド「LAZY」のボーカリスト、ミッシェルとして16歳でデビューしました。キャッチフレーズは「史上最年少のロックバンド」。「赤頭巾ちゃん御用心」が大ヒットして寝る間もないほどの人気アイドルとなりましたが、本人たちにはまったく不本意な売れ方だったそうです。

 というのも「LAZY」は、のちに日本を代表するヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」を結成する高崎晃さん、樋口宗孝さんもメンバーだったように、本格的ハードロックを志して結成されたバンドだったのです。

 ところがスカウトされてデビューが決まると、レコード会社やプロダクションの意向で、当時流行っていたベイ・シティ・ローラーズのようなアイドル路線に変えられてしまったのだとか。ミッシェルという愛称も、もちろん大人に決められたもの。「おまえは今日からミッシェルだ」と言われても、16歳の少年は頷くしかなかったのだそうです。

 音楽をやるためにデビューしたのに、時代劇のカツラをつけてコントをさせられ、芸能人水泳大会に出場させられ……とても「へっちゃら」な気分ではなかったようで、「LAZY」はわずか4年で解散してしまいました。

●37歳までアルバイト生活

「LAZY」解散後ソロとなった影山さんですが、音楽生活は軌道に乗りませんでした。それでも歌いたい影山さんに、事務所の社長が提案したプランは、なんとノーギャラライブ。歌える場所があるのならと無茶な話を受けて、年間100本ものライブをこなした影山さんですが、ミュージシャンとしての年収が7万円ということもあったそうです。

 当然それでは食べていけないので、切羽詰まって始めたのは工事現場のアルバイト。「キツい、汚い、危険の3Kを絵に描いたような仕事」だったと振り返る影山さんですが、このアルバイト生活は、のちに「CHA-LA HEAD-CHA-LA」のヒットを飛ばしたあとも37歳になるまで、15年間も続きました。羽田空港の国内線管制塔や横浜ランドマークタワーなど、通りかかるたび「これは俺が作ったな」と思う建物が、実はたくさんあるのだそうです。

●転機のアニソン第1作目で激怒される

 転機が訪れたのは1985年。『電撃戦隊チェンジマン』主題歌のオファーが来ました。アニソン界にもロックテイストが求められ始めた時代に、影山さんの歌声がぴったりだと白羽の矢がたったのだとか。けれどもここでも「へっちゃらじゃない」事態が起こります。

 期待に応えるべく、ロックテイスト全開で歌いあげたレコーディングでは、ディレクターに「そんな歌い方で子供たちに伝わると思っているのか!」と激怒されてしまったのです。ロック調にと駆使した巻き舌やアレンジも「全然ダメ、話にならない」とバッサリ切られてしまいました。何度歌い直してもOKはもらえず、しまいには歌詞を朗読するように言われる始末。ボーカリストがマイクを前にして歌えないなんてと、泣きそうな気分だったそうです。

「自分に求められているのは何か」を必死に考え、翌日は無事にOKをもらいましたが、この体験で影山さんはアニソンとは何かを学んだそうです。アニソンとはあくまでも、聞いてくれる子どもたちに届ける歌で、自分が気持ちよく歌うだけではダメなのだと。

 そして今では、番組の「主人公への応援歌」であるべき、主人公にパワーを送る歌なのだとも、思っているそうです。

●「CHA-LA HEAD-CHA-LA」の歌詞に衝撃を受ける

 影山さんはこれまで『ドラゴンボールZ』に関する歌を約70曲も歌ってきたそうですが、その始まりはもちろん「CHA-LA HEAD-CHA-LA」。今や世界中で愛され、ワールドツアーで歌えば各国のファンが大合唱してくれる熱~い1曲です。

 けれども最初にこの曲をもらった時、その歌詞に影山さんはかなりとまどったといいます。まず、「HEAD-CHA-LA」はわかるけれど、なぜ「CHA-LA」がついているのかわからない。「へのへのカッパ」や「お尻」など小学生が喜ぶような言葉は話題にはなっても、そこまでヒットはしないだろうと感じたのだとか。まさか、後の代表曲になるとは思いもしなかったようです。

 海外のファンからはよく「CHA-LA HEAD-CHA-LA」の意味を聞かれるという影山さん。「HEAD-CHA-LA」はノープロブレム、「CHA-LA」はそれをもっとmoreにした感じ……などと答えているそうですが、そもそも自分でもよくわからなかった言葉を世界に教える立場になるとは、これも当時は思いもしなかったことでしょう。

 影山さんは今、アニソンを通じて「今日は勝てなくても、仲間と力を合わせて頑張れば、きっと明日は勝てる」という想いを伝えていきたいと語っています。それは、影山さんが乗り越えてきた「へっちゃらじゃなかった」人生と重なる気もします。アニソンは影山さんから私たちへの、元気玉なのかもしれませんね。

(古屋啓子)

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