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藤子・F・不二雄の一番弟子は「お色気マンガ」の作者 『ドラえもん』に残した多大な影響も

マグミクス / 2022年3月1日 20時10分

藤子・F・不二雄の一番弟子は「お色気マンガ」の作者 『ドラえもん』に残した多大な影響も

■作品を受け継ぐ弟子もいれば エッセンスを受け継ぐ弟子も…

 今をときめく人気マンガ家の多くは、かつて別の先生のところに出向いてアシスタントをしていた経験があります。たとえば『ONE PIECE』の作者、尾田栄一郎先生は駆け出しの頃には『ジャングルの王者ターちゃん』などの大ヒット作で知られる徳弘正也先生のもとで修行しており、作風のみならず仕事に対する姿勢に関しても影響を受けたといいます。マンガ家の師匠と弟子(アシスタント)の影響関係は奥が深く、なかには「え?そうだったの!?」と驚くような組み合わせも存在しています。

 たとえば日本マンガ界の至宝、藤子・F・不二雄先生の「弟子」といえば誰でしょうか。作品を受け継いだという点においては、むぎわらしんたろう先生が有名かもしれません。最後の弟子と言われるむぎわら先生は1988年に藤子プロ入り。F先生の体調が芳しくないときはチーフアシスタントとして活躍し、F先生の急死により途絶えてしまった大長編『のび太のねじ巻き都市冒険記』を完成させました。

 その後、むぎわら先生は『ドラベース ドラえもん超野球外伝』など、ひろく『ドラえもん』関連の仕事を続けていらっしゃいます。

●藤子・F・不二雄先生の一番弟子は……あのお色気マンガの作者!

 時は遡り1973年。まだ藤子先生のおふたりがコンビを解消される以前のこと。のちにF先生の一番弟子となる人物が藤子スタジオを訪れます。名前はえびはら武司、のちに『まいっちんぐマチコ先生』で社会現象を巻き起こす、漫画家のタマゴです。「お色気ギャグの達人」のキャリアは、藤子・F・不二雄先生のもとでスタートしていたのです。

 当時の藤子スタジオは、どちらかといえばA先生の方が忙しく、アシスタントの多くはそちらについていました。比較的画風がF先生と近かったえびはら先生は必然的にF先生を手伝うことになります。

 そしてその時手伝っていた作品こそ『ドラえもん』に他なりません。えびはら先生が手伝っていた頃はまだ『ドラえもん』もブレイク前夜。F先生のモチベーションを維持したのもまた、えびはら先生の功績のひとつでした。

 また「ジャイアン」にもえびはら先生と切っても切れない関係があります。もともと本名を設定していなかった「ジャイアン」ですが、「なぜ名前がないのか」という子供からの投書を読んだF先生は、隣で手伝っていたえびはら先生の下の名前(たけし)をそのままジャイアンの名前に使ったのです(誕生日も)。

 またえびはら先生は『ドラえもん』のメインキャラクターの設定にも大きく関わっています。それが、「しずかちゃんがお風呂好き」という設定。これももともとは読者アンケートでお色気要素が欲しいという意見を受け、本来苦手ながらもF先生がしぶしぶながら取り入れたものでした。

 しかし実際に入浴シーンを描いたのはえびはら先生。F先生はしずかちゃんの顔だけ描いていたとか。このときからすでに「お色気」を描く才能が見込まれていたことがわかります。

 その後、藤子スタジオから独立したえびはら先生はサラリーマン生活をへて1980年『まいっちんぐマチコ先生』を「少年チャレンジ」で連載開始。同作は人気に火がつくと同時にアニメ化が実現しますが、PTAからの苦情も殺到するなど社会全体が注目する作品となりました。

「弟子は勝手に育つ」なんて言葉もありますが、弟子は勝手に学ぶものでもあるようで、師匠のどこからどんな影響を受けて開花するのかどうか、神すらもきっと分からない領域なのでしょう。

(片野)

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