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マンガの巨匠たちの「デビュー作品」 意外なジャンルを描いていた作者も

マグミクス / 2022年3月5日 15時10分

マンガの巨匠たちの「デビュー作品」 意外なジャンルを描いていた作者も

■漫画家たちの原点に物語あり

 どんな漫画家にも、プロとしてのスタートとなったデビュー作があります。たとえば鳥山明先生のデビュー作は1978年に「週刊少年ジャンプ」に掲載された『ワンダー・アイランド』。後に『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの大ヒットを飛ばすことになる作家のデビュー作ながら、読者アンケートの結果は最下位だったそうです。国民的漫画家にもそんな時代があったんですね。今回は、漫画家たちの意外なデビュー作をご紹介します。

※今回の記事では、「連載デビュー作品」ではなく、「初めて商業誌に掲載された作品」を取り上げています。

●マンガの神様も絶賛! 荒木飛呂彦先生のデビュー作

『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生のデビュー作は、1981年に「週刊少年ジャンプ」に掲載された『武装ポーカー』。前年の第20回手塚賞で準入選を果たし(同回では入選作はなし)、そうそうたる審査員たちが絶賛した作品です。

 審査委員長であり「マンガの神様」と呼ばれる手塚治虫先生は「ぬきんでておもしろい。やや大人向けだがスリルがあり、映画を相当見ていると思わせるすぐれた構図がある」と評し、ちばてつや先生は「会話のやりとりがイキで味がある」と、小説家の筒井康隆先生は「文句なしにおもしろかった」とコメントしました。

 物語の舞台は西部劇の世界。すご腕のガンマン2人がお互いの銃をかけて(荒くれ者の世界では命を賭けるのと同じ意味)ポーカーゲームをする話ですが、画風こそまだ確立されていないものの、トリッキーなストーリー展開やシャレた会話、どんでん返しなど、随所に「ジョジョ」シリーズに通じるところが感じられます。

 荒木先生本人はこの作品について「とにかく作品持ち込みで編集者をラストページまで読ませたいと思ったし、途中でページをめくるのをやめて見捨てたりしないでください…と願って描いた」と語っています。今、「ジョジョ」シリーズのページをめくる手を止められないのも、荒木マンガの根底に、同じ強い思いがあるからなのでしょう。

●高橋留美子先生のデビュー作は『うる星やつら』の原型

 36年ぶりのTVアニメ化が発表され話題になっている『うる星やつら』。作者である高橋留美子先生の作品が初めて世に出たのは1978年のことで、「週刊少年サンデー」に掲載された『勝手なやつら』でした。高橋先生自身が振り返って「当時持っていたすべてを出し切った作品」と言っていますが、当時の編集長も高橋先生のことを「すごいのが来た、天才だ」と評していたそうです。

 ちなみに、掲載当時の扉絵には「少年誌界に、20歳の女流作家デビュー!!」の言葉が躍り、女性漫画家の作品が少年誌に掲載されること自体が、まだまだ珍しい時代だったことがうかがえます。

 物語は地球人の男の子を中心に、宇宙人や半魚人など人外も入り乱れてのドタバタ喜劇。タイトルが似ていることからもわかるように、『うる星やつら』の原型とされており、それはキャラ設定にもみられます。『勝手なやつら』の半魚人が語尾に「○○だっぴゃ」とつけるのを踏襲したのが、『うる星やつら』のラムちゃんの「○○だっちゃ」。高橋先生の世界観はすでに、デビュー時から確立していたのですね。

■「ギャグマンガの王様」のデビュー作は少女マンガだった!

●少女マンガからスタートした赤塚不二夫先生

『天才バカボン』や『おそ松くん』などの大ヒット作で「ギャグマンガの王様」とたたえられる赤塚不二夫先生のデビュー作は、意外にも少女マンガでした。

 そもそも赤塚先生が漫画家を志したのは、手塚治虫先生の『ロストワールド』に出会ったのがきっかけです。その壮大な世界感に感動し、「いい知れぬ衝動につきうごかされていて、ボクは、やみくもに、漫画がかきたくなった」のだそう。以来、見よう見まねで来る日も来る日もマンガを描き続けたという赤塚先生。そしてある時、ナンセンスな笑いで人気を博した杉浦茂先生の作品と出会い、自分の描きたいものは人を笑わせるギャグマンガだと確信するに至ったのだとか。

 ただし残念ながら当時のマンガ界には、ギャグマンガの需要はほとんどなかったのだそうです。いつか自分が本当に描きたいマンガを描くためにも、マンガを描き続けていたい……そんな思いから、貸本マンガの出版社と契約してプロの漫画家となった赤塚先生。その最初の作品が、1956年に刊行された少女マンガ『嵐をこえて』だったのです。

 ギャグ漫画家を目指す赤塚先生にとっては必ずしも本意ではなかったかもしれませんが、のちの『ひみつのアッコちゃん』という大ヒット作にもつながる、赤塚マンガにとって不可欠の第一歩だったに違いありません。

●楳図かずお先生のデビュー作は「お菓子の家」?

 恐怖マンガの第一人者として知られる楳図かずお先生は、他にもSF、ギャグ、時代物など、幅広いジャンルを手がける多才な漫画家です。そんな楳図先生のデビュー作は、童話。「お菓子の家」といえば誰もが思い出す、グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」をマンガ化した『森の兄妹』という作品で、貸本マンガとして刊行されました。

 刊行当時、つまりデビュー時は18才の高校生でしたが、驚くべきは作品を描いた年齢。なんと、中学2年生だった14才の時に描いているのです。「改漫クラブ」というマンガサークルに所属していた楳図先生は、同じサークルのメンバーで京都在住だった水谷武子先生に共作を申し込み、共著の形で完成させました。当時は山路一雄という名前で描いていたので、クレジットも「山路・水谷 合作」となっています。

 2022年、85才の楳図先生は「わたしは真悟」の続編を、101点の連作絵画として発表しました。14才の時から少しも変わらぬパワーで、いまだ走り続けているようです。

 漫画家の数だけデビュー作があり、その陰にはきっと、さまざまな物語があるでしょう。デビュー作を知れば、あなたの好きな漫画家の意外な一面が見えてくるかも知れませんね。

(古屋啓子)

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