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『ウルトラマンA』と『変身忍者 嵐』の視聴率争い 二者択一を迫られた子供たちの対応は?

マグミクス / 2022年4月7日 6時10分

『ウルトラマンA』と『変身忍者 嵐』の視聴率争い 二者択一を迫られた子供たちの対応は?

■意欲的だった、ふたつの特撮ヒーロー番組

 本日4月7日は、半世紀前の1972年にTBS系列で『ウルトラマンA』(以下、A)が放送開始した日です。そして、この同じ日に毎日放送・NET(現在のテレビ朝日)系列では、『変身忍者 嵐』(以下、嵐)が放送開始しました。ともにキー局では金曜日19時からスタートした2本の特撮ヒーロー番組。激しい視聴率争いをしたふたつの番組について、当時の思い出も交えて振り返ってみましょう。

『A』は前年に復活した「第2期ウルトラシリーズ」の第2作目。今までのシリーズになかった意欲的な設定が、いくつか組み込まれていました。そのなかでも、北斗星司と南夕子による男女合体変身で「ウルトラマンエース」になるという点は、それまでにない大きな試みのひとつです。

 この他にも「異次元人ヤプール」という組織的なレギュラー悪役が登場し、怪獣を超えた生物兵器たる「超獣」の存在など、これまでのウルトラシリーズになかった設定をふんだんに組み込んだ意欲作でした。

 さらに、それまで雑誌などでしか見られなかったウルトラマンたちの共演。「ウルトラ兄弟」が本格的に画面へ登場したのは『A』が初めてのことでした。

 ちなみにタイトルは試行錯誤の結果、当初『ウルトラA』という名称で発表されます。しかし、この名前は玩具会社の商品として存在していたことから、商標登録の問題で『ウルトラマンA』へと変更されました。これがきっかけで、以後のシリーズは『ウルトラマン○○』というネーミングが定着します。それゆえ、以前の作品である『ウルトラセブン』を、興味のない人たちが『ウルトラマンセブン』と誤っておぼえる原因ともなりました。

 一方の『嵐』は当時、大ブーム中だった『仮面ライダー』に続くべく製作された作品です。そのため、制作会社はもちろん、原作者、放送局、メインライター、監督、ナレーター、敵の首領の声も『仮面ライダー』と一緒という布陣で挑んでいました。

 この敵首領・血車魔神斎の声を演じたのは声優の納谷悟朗さんですが、実は納谷さんは裏番組の『A』では主人公のエース役で出演しています。もっとも『A』の納谷さんはノンクレジットだったため、『嵐』のスタッフのなかには『A』に出演していたことを知らなかった人もいました。

『仮面ライダー』と同じ布陣で挑んでいることから、その差別化のため、『嵐』は時代劇という舞台を選択したそうです。本来なら時代劇のために、東映京都での制作を予定していたそうですが調整が上手くいかず、東映東京での制作になりました。そのため、東京近郊での撮影が基本となり、撮影場所には苦労したそうです。

 しかし製作側の士気は高く、『嵐』は『時代劇版仮面ライダー』を目指していました。もちろんテレビ局の期待も大きく、放送開始1か月程度のゴールデンウィーク時期に『仮面ライダー』を交えた特番を放送しています。

 これだけ力の入った作品が同時期に見られることは喜ばしいことですが、問題は、まったく同じ時間帯に放送する番組ということ。現代と違い、この当時はビデオのような録画機器は一般家庭には普及していないばかりか、TVが2台ある家庭もごくわずかでした。つまり当時の子供たちにとって、このふたつの番組を二者択一するしかなかったわけです。

■当時の子供たちに「選択」を迫ったTV局の視聴率争い

「変身忍者 嵐 VOL.1」DVD(東映)

 この火花散る特撮ヒーロー番組の視聴率争いは、当時の子供には悩ましい問題でした。しかし、当時のTVというのは人気番組に同じようなジャンルの番組をぶつけることは日常茶飯事だったのです。

 筆者はとにかく『帰ってきたウルトラマン』が大好きな子供だったので、その流れで『A』を観ていました。『嵐』は雑誌の特集やマンガで楽しむ程度。当時はTV作品のマンガ化というものが少なくなかったので、見られないTVは本で妥協するというのが、当時の子供の定番でした。

 一方、製作側はこの視聴率争いを制するため、当初とは異なった方向転換、「テコ入れ」を行います。

『A』では、前述した男女の合体変身、宿敵ヤプールの存在といった本作独特の要素を2クールほどでやめました。代わりに「ウルトラ6番目の弟」として地球人の少年・梅津ダンを登場させます。しかし、このキャラも作品終盤で姿を見せなくなりました。一説によると次回作『ウルトラマンタロウ』で、ウルトラ6兄弟を扱うときに都合が悪くなるからと言われています。

『嵐』ではもっと大胆に行われていました。2クールに入ってから潜水艦や気球、ロボットといった時代考証を考えないものを投入したほか、敵として西洋妖怪を登場させます。これに合わせて主人公の双子の兄である「月ノ輪」というセカンドヒーローも投入しました。

 さらに3クール最後には、この月ノ輪と嵐が合体して「新生嵐」となり、西洋妖怪を陰から操っていた「大魔王サタン」との戦いという展開を迎えます。この他にも原色で派手だった衣装も地味な忍び装束になり、レギュラー陣も入れ替えるなど、細かい点を含めると、かなりのテコ入れがされました。

 こういったテコ入れが、実際にどれほど効果があったのでしょうか?

 実はこのテコ入れで、筆者は『A』から『嵐』に乗り換えています。

 それは当時のこと、筆者は『A』に対して不満に思っていました。それはウルトラ兄弟の扱いです。『A』でのウルトラ兄弟は第5話のゾフィー以外にほとんど活躍がなく、全員そろうと全滅……というイメージがあったからです。当時はまだゲストヒーローの扱いに慣れていなかったからでしょう。

 そんな時、『嵐』を見ていた友達から、「『嵐』に死神博士が出てきた」という話を聞きます。前述の大魔王サタン役を演じているのが、死神博士だった天本英世さんでした。しかも、その後に地獄大使役の潮健児さんも登場します。

 そういったことから当時の筆者は『A』から『嵐』に乗り換え、その後は最終回まで視聴しました。こういったように子供というのは移り気なものですから、自分の興味のある方へ簡単に舵を切ります。実は『嵐』の強化案に、江戸時代にタイムスリップした仮面ライダーと嵐が共演するというアイディアもありました。結局、実現しませんでしたが、もしも共演していれば、当時の人気からして『嵐』の人気はグッと上がっていたかもしれません。

 最終的に、この両者の視聴率争いは『A』に軍配が上がりました。そして、次回作である『タロウ』にバトンタッチします。しかし、TBSとテレ朝が子供視聴者を獲得する戦いはここからが始まりでした。以降もお互いに番組を入れ替えてし烈な視聴率争いを続けるからです。

 ともに創映社(現在のサンライズ)制作、キャラデザインが安彦良和さんの作品である『わんぱく大昔クムクム』対『勇者ライディーン』。東映製作の『宇宙鉄人キョーダイン』対、東映動画制作の『キャンディ キャンディ』といった、仁義なき戦いが繰り広げられていきました。

 そうした争いは最終的には『ドラえもん』というお化け番組の登場で幕を閉じますが、それまでの間、多くの子供たちは何度も選択を迫られる時間帯だったのです。

(加々美利治)

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