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闘病中も「キレイ」追求…がんで亡くなった42歳の美容外科医 ブログで明るく発信続け、最後は数時間かけて執筆

まいどなニュース / 2024年6月30日 17時0分

闘病中も常に前向きにブログで情報発信を続けた居原田さん。写真は居原田さんによる最後の投稿に添えられたもの(2023年12月)

<闘病中でも、楽しく美しく美しく美しく♡笑>。そう自己紹介する人気ブログの筆者で滋賀県草津市在住の女性が今年1月、42歳の若さで亡くなった。美容クリニックの経営、4人の子の母、滋賀のサッカークラブのサポート…。病に苦しみながらも「キレイ」を追求し、明るく前向きに人生を楽しむ姿は多くの人に愛された。

女性は同市で生まれ育った居原田麗(いはらだれい)さん。京都市内の中高に通った後、滋賀医科大を経て美容外科医になった。

きっかけは、中学時代に顔のほくろをからかわれたこと。手術で除去すると、自己肯定感も高まった。同性の女性が自信につながるお手伝いをしたいと考え、選んだ道だった。

2011年、30歳で草津市内に「麗ビューティー皮フ科クリニック」を開業。私生活でも09年に結婚し、4人の子どもに恵まれた。だが20年3月、38歳の時に予期せぬ事態に直面する。

声を上げて泣いた

体調不良のため詳しく検査すると、子宮頸(けい)がんと分かった。それも極めてまれで進行の早い小細胞がん。別の患者は1年半で亡くなったことも知る。診療室を出て、夫の河原一賢さん(45)と声を上げて泣いた。

それでも、すぐに気持ちを切り替えた。小さな子どもたちを残して死ぬわけにはいかない―。子宮の全摘手術を受け、抗がん剤治療を始めた。

居原田さんにとって、「女医R~そんな女の独り言~」と題したブログは10年以上続くライフワークだった。病を得てからは手術や治療の内容を丁寧に説明するとともに、これまで通り、美容や身の回りのことも絵文字入りで軽やかにつづった。

<闘病中もきれいでいたい><たまにメイクをするだけで気分が上がる♡>

抗がん剤で髪が抜けた時は変化の様子を写真付きで載せ、ウィッグや帽子で着飾った。仕事に復帰すると20年12月に大阪府高槻市に新たなクリニックを開き、学会や旅行などへ精力的に出かけた。<いろんなこと、諦めずに、人生楽しみましょうね!!!>。沖縄ではウィッグ姿でダイビングにも挑戦した。

子宮頸がんワクチンの大切さも発信

河原さんは「医師なので病気や脱毛への恥ずかしさはなく、有意義な情報を伝え、同じ立場の人を励ましたいという使命感があったと思う」。がん検診や子宮頸がんワクチンの大切さも発信していた。

ブログはドクター部門ランキングで1位になるなど多くの読者を引きつけた。20年に乳がんが見つかった彦根市の女性(53)もその一人。「私は不安でいっぱいで周囲を思いやる余裕は正直なかった。前向きな姿勢や温かみのある文章に勇気づけられた」と話す。

時には苦しさも吐露した。21年8月に肝臓などへのがん転移が分かり、手術後は激痛に襲われた。<陣痛が永遠にやってきているような感じで、ずっと泣いています><あまり痛いのとか辛(つら)いのとか投稿したくないけど、やまない雨はない 明けない夜はない>

「ままだいすき」

一方、退院して子どもと久々に再会した時はすっかり母の顔に。<ママの取り合いをしてくれました。ぎゅーっとずーっと抱きしめました><三男から手紙ももらいました。ひたすら、ままだいすき、って書いてあるラブレターでした>

その後もさまざまな治療法を試し、入退院を繰り返した。23年12月には原因不明の腹部の痛みもがんの転移と判明。それでもブログは続け、同16日には長女の幼稚園のお遊戯会に出席したことを報告した。<息苦しさもなく…奇跡の数時間だったなぁと思います>

その3日後。ベッドに横たわる写真を添え、<明日一泊家に帰る予定です。退院じゃなくて転院か…少し悲しい>と漏らし、自らを鼓舞するように<ファイティン♡♡♡>と締めくくった。これが、最後の投稿となった。

年が明けた1月11日。「ご報告」と題し、その前日に居原田さんが永眠したことを夫の河原さんが伝えた。「見ているのもつらいほど『痛い、痛い』と苦しんでいたが、イライラしたり誰かに当たったりすることは決してなかった」と闘病生活を振り返る。最後は思うように動かない手で、数時間かけてブログの文章を打っていたという。

死去から約1カ月後に「お別れの会」が開かれた。スクリーンに在りし日の姿が次々と映し出され、友人や病院関係者ら約1200人が早すぎる別れを惜しんだ。

式場には、サッカーのアマチュア最高峰・日本フットボールリーグ(JFL)に所属する「レイラック滋賀」のユニホームも飾られた。居原田さんのクリニックは、県勢初のJリーグ入りを目指す同クラブのメインスポンサーを務めている。大好きな滋賀や子どもたちのために、との思いを込めて。昨シーズンは惜しくもJ切符を逃して号泣し、<昇格の瞬間を目に記憶に焼くために、私は頑張って生きる。。。>と誓っていた。

遺影を抱いて

3月10日に彦根で行われた今シーズンの開幕戦。試合前に観客が黙とうをささげ、選手は喪章を付けてプレーした。友人で美容皮膚科医の曽山聖子さん(49)は鹿児島から駆け付け、遺影を抱いてチームの勝利を見届けた。「一緒に開幕戦を見ようと約束していたので。麗ちゃんがずっと大事にしていたクリニックやレイラックをこれからも応援したい」と思いを語った。

多方面に情熱を注いできた居原田さん。河原さんは妻の逝去を伝えた投稿で周囲の励ましや支えに感謝し、末尾にこう記した。<彼女は本当に優しくて、強くて…そんな、素敵な女性がいたということを皆様の心に残していただければきっと彼女も喜ぶと思います>

その願い通り、懸命に生きた証しであるブログは今なお、多くの人に読まれ続けている。

(まいどなニュース/京都新聞・堤 冬樹)

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