「新千円札の顔」北里柴三郎の偉業とは? …ひ孫が語る『近代日本医学の父』の生涯と教え
まいどなニュース / 2024年7月2日 7時10分
新千円札の肖像となる北里柴三郎博士(1853〜1931年)は「近代日本医学の父」といわれ、世界的な細菌学者として名高い。生誕地の熊本県阿蘇郡小国町にある「北里柴三郎記念館」の館長を務めるひ孫の北里英郎さん(67)に、柴三郎博士の功績や人となり、いま私たちに伝えたいことなどについて話を聞いた。
ー曾祖父が新千円札の「顔」になりました。今のお気持ちは?
英郎さん(以下同) みなさんと同様、実際にお札を手にするのが嬉しいかぎりです。新1万円札や新5千円札もそうですが、それらを手にしたときに、いま一度、新しい肖像になる人が何をした人なんだろうと振りかえってもらえたら。
ー北里柴三郎記念館の来場者は、昨年度の3万人余に比べ、かなり増えているとお聞きしました。
はい。おかげさまで去年に比べ3倍くらいのペースで増えています。柴三郎はどんな人だったのか、なぜ千円札の肖像になるのか、といった興味関心を抱かれる方が、熊本や福岡をはじめ全国からいらしてくださっています。昨年9月、デジタルコンテンツを通じて柴三郎の生涯を振り返る「ドンネル館」が完成し、柴三郎の偉業や人となりをわかりやすくまとめた約20分の映像が好評です。そのほか敷地内には北里文庫、貴賓館、少年時代を過ごした生家の一部(移築)があり、柴三郎が愛した「小国富士」といわれる涌蓋山(わいたさん)を遠くに眺めながら、自然の中でゆったりと過ごせるのがこの記念館の魅力です。
ー柴三郎博士は18歳のとき、熊本医学校に入学されました。
そうですね。そこでオランダ人軍医マンスフェルトと出会い、マンスフェルトの人格と顕微鏡学を中心とした学問に魅せられ、医学の道を進むことを決意します。21歳で東京医学校(のちの東京大学医学部)に入学し、卒業後は内務省衛生局に就職。そこで細菌学と出会い、コレラの予防に尽くしたことで国費留学生として、最先端の医学を学ぶため、ドイツに留学します。
ー柴三郎博士の主な功績について聞かせてください。
ドイツ留学時代、柴三郎は炭疽菌の研究や結核菌、コレラ菌の発見で知られる病原微生物学研究の第一人者、ローベルト・コッホ博士に師事していました。一番の功績は、破傷風の純粋培養とその毒素を使った血清療法を世界で初めて確立したことです。破傷風とは傷口に菌が入ることで痙攣など神経毒により亡くなる割合が高い病気。当時、抗菌薬はなかったので、血清療法が唯一、感染症と戦う人類の術となったのです。
ーこれまで1万円札の顔だった福澤諭吉先生も恩人の一人だそうですね。
はい。ドイツから帰国後、柴三郎は日本にも感染症を専門に研究する機関が必要だと主張し、それに共鳴して手を差し伸べてくれたのが福澤諭吉先生でした。先生の援助のもと、日本初の伝染病の研究施設である伝染病研究所を建設し、所長となりました。その後は、ペストが流行する香港でペストの病原菌を発見。慶應義塾大学医学部や日本医師会の創設に携わり、日本の伝染病予防法など、感染を未然に防ぐ法整備の核となる組織を築きました。それが「近代日本医学の父」と呼ばれるようになったゆえんです。当時は不治の病だった結核の予防と治療法を広めるため、わかりやすく解説した絵解き図(柴三郎博士が監修)なども残っているんですよ。医の基本は予防にあり、日本の国力をあげるためには国民を病気から守ることが最も大切だとの信念がありました。
ーそうした信念が育まれた背景は?
幼い頃、弟や妹をコレラで亡くしたことや、東大時代、自分で学費や生活費を稼ぎながら9年かけて卒業する中で、その基礎を育んだと思います。それとドイツ留学から日本に戻ってきて、あまりにも公衆衛生の状態が違いすぎると。上下水道などインフラにしてもドイツでは完備されているのに、日本はまだ上水道さえないところもあった。明治時代は多くのアジアの国々が植民地化されていた時代。そんな中、国力をあげるために最も重要なのは、軍事ではなく国民の健康を向上させることだと考えたと思います。
ー柴三郎博士の人となりや生き方から、私たちがいま学ぶべきことはどんなことでしょう?
柴三郎には3人の恩師がいます。前述したマンスフェルト先生、コッホ先生、福澤諭吉先生です。彼らに対しては生涯、懸命に恩を返す、つまり「報恩」を決して忘れませんでした。また、自分が感染症と戦って公衆衛生を向上させるんだと決心したら絶対にブレない。終始一貫、感染症と戦った人生でした。さらに「人を任じて疑うことなかれ。疑いて人を任ずることなかれ」という言葉を残していますが、一度雇ったら部下を徹底的に信じる。ミスをしたらもちろん怒るけれど、外に対しては自分が責任を負う。だから「雷(かみなり)親父」と呼ばれ親分肌でしたが、多くの人たちから慕われていました。だからこそ、様々な偉業を達成できたんだと思います。
ー座右の銘には「終始一貫」のほか、「人に熱と誠があれば何事も達成する」もありますね。
やはりパッションを失ったら何もできないと。破傷風菌の純粋培養なんてまさにそう。語学ができたのでドイツ語でコッホ博士に直訴し、そのテーマの研究を勝ち取ったわけです。留学中は行き詰まるなど様々な葛藤もあったそうです。国費留学生ですから、国を背負っているという重圧もあったはず。そんな中でも偉業を達成できた原動力は、やはり情熱と誠実さだったんですよね。
ー最後に、英郎さんは今後どのようなことに力を入れていかれますか?
北里大学で微生物学を長年専門とし、定年退職後、2022年7月にこの記念館の館長に就任いたしました。これまでどおり柴三郎の顕彰活動を続けていくのはもちろんのこと、私も欧州で9年間、ウイルス学の研究をしてきたので、そうした経験を活かして、現在、熊本県内の高校生にキャリアデザインの講義を行なっています。柴三郎の話だけでなく自分が研究してきた微生物の話もします。たとえば健康な人でもお腹の中には1キロも常在腸内細菌がいるんだよとか、皮膚にも100グラムいて、その細菌たちが僕たちを守ってるんだよという話から入っていくと、びっくりしてそうなんだと。哺乳類はすべて細菌と共存しているといった話などを通じて、少しでも若い世代の進路選択に役に立てればと思っています。
【北里英郎さんプロフィール】
1987年慶應義塾大学医学研究科修了。博士研究員として欧州(フランス、ドイツ、チェコ)でヒトパピローマウイルス(HPV)の研究を行う。帰国後、聖マリアンナ医科大学難病治療センター、北里大学医学部微生物学研究室を経て、北里大学医療衛生学部微生物学研究室教授(2004〜2022年)。定年退職後、北里柴三郎記念館館長に就任。医学博士、北里大学名誉教授、藤田医科大学客員教授。
(まいどなニュース特約・西松 宏)
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