「梅酒は店で買うのが当たり前になる」 販売から15年、倒産寸前の「チョーヤ」を救った時代の転換 市場競争を勝ち抜いた本物の味
まいどなニュース / 2024年11月2日 10時30分
梅酒といえば、TVCMでもお馴染みの「チョーヤ」。そんな「チョーヤ梅酒」がもともとワインメーカーだったことをご存知でしょうかか?好調だったワイン製造から梅酒へと転換したきっかけ、梅酒は家庭で作るもので外で買うものではなかった時代との戦い…。今や海外からも注目されるようになった梅酒。その大ヒットの裏側には、人生をかけた一族のストーリーがありました。
大阪・羽曳野発!大ヒット商品を生み出す開発チームはわずか2人!?
本社があるのは大阪・羽曳野市。のどかな場所にある本社の建物は、思ったよりも小さな造りです。
創業者の孫にあたる、チョーヤ梅酒株式会社専務・金銅俊二さんに聞いてみました。「よく言われますが、梅にこだわった一物一価の会社ですのでこの規模の社屋で十分やっていけます!」とのこと。その知名度から、さぞかし大企業かと思いきや社員数は約130人。さらに、数々のヒット商品を生み出す商品開発チームはたった2人なのだそうです!
そんなチョーヤ梅酒のお膝元・羽曳野は昔からブドウ栽培が盛んな地域。会社も実はブドウ農家からスタートしたのです。なぜ、ブドウ農家が梅酒を作ることになったのでしょうか?
元々はワイン製造で成功していた「蝶矢」 。しかし…創業者の「ある行動」がきっかけでワインを捨てる決意!
創業者・金銅住太郎氏は羽曳野でブドウ農家を営んでいました。1924年からはワインの製造を開始します。味も品質も良いと評判になり、ワインメーカーとして安定した業績を上げていました。1957年、住太郎氏は60歳で引退を決め、3人の息子たちに会社を託します。
その後、ワインの本場・ヨーロッパへ引退旅行へ向かいます。フランス・ボルドーのワイナリーを訪れ、そこで飲んだ本場のワインのレベルの高さに驚愕。「これが日本に入ってきたら、日本中のブドウ酒は太刀打ちできない!」と大きなショックを受け、慌てた住太郎はすぐに帰国します。
当時の日本は酒の輸入制限があり、海外のワインが自由には入ってきていませんでした。本場とのレベルの違いを目の当たりにした住太郎は、将来輸入制限が解除された時の倒産の危機を感じたのです。そこで、生き残る道はただ一つ、≪世界で勝負できる、日本でしか作れない酒を造る≫ことだと息子たちの前で決意します。父親のワインの美味しさを信じていた息子たちは驚きましたが、連日連夜の会議の末、3つの【新商品の条件】を決定します。
①日本独自で将来的に輸出販売できる
②あまり国内で手掛けられていない
③突飛なものではなく身近で親しみやすい
この3つを全て満たすのは、日本酒でも焼酎でもない、そこで考え付いたものが「梅酒」でした。
梅は欧米にはなく、質も量も日本が世界一。日本人はその美味しさも、健康にいいことも知っています。さらに当時は家庭で作るのが当たり前だったため商品化もされていませんでした。しかも、山を越えたお隣は日本一の梅の産地・和歌山。【梅文化が根付く日本】で【世界で勝負できる酒】=【梅酒】と判断したのです。
そして『近い将来、梅酒は家庭では作らなくなり、市場から買う時代が来る』という仮説にかけ、梅酒製造を開始しました。
『梅酒で成功しなければ人生を諦めろ!』背水の陣で挑み、奮起する息子たち
住太郎は『うちがこの先生き残るには、梅酒しかない。成功しなければ、人生を諦めろ!』と、先祖代々の田畑を売り払い退路を断ちます。背水の陣で挑む梅酒製造。息子たちも覚悟を決めました。
こうして1959年に世界最高品質を誇る日本の梅を使用した、蝶矢「本格梅酒」が誕生し、新たなスタートを切ります。
逆風だらけの船出!梅酒は「家で作る物」だった時代。さらなる追い討ちをかたけのは...
しかし、茨の道はここからでした。父の後を継いだ息子たちは、完成した梅酒の取引先を必死で探しまわりますが…当時、梅酒は「家で作るモノ」だった時代。「わざわざ買う客はいない」と、ほとんどの酒店に断られます。挙句の果てには社員からも梅酒製造への不満が続出する始末。しかし、2代目社長・和夫は「味噌も醤油も昔は家で作るのが当たり前だったのが、今は店で買うのが当たり前になった。梅酒もいつか買う時代が必ず来る」と信じ続けます。
そんな中、さらなる追い打ちが…1962年に酒税法が改正され、実は違法だった家庭での梅酒作りが公に認められることになります。こうして空前の「ホームリカーブーム」が到来しました。1970年には恐れていたワインの輸入自由化も始まり、梅酒は売れないまま10年が経過してしまいます。絶体絶命の状況…しかし梅酒に人生を賭けると決めた和夫は諦めませんでした。
「ホームリカーブーム」にワインの輸入自由化。会社存続の危機に決断した攻めの作戦とは!?
会社存続の危機…ここで社長の和夫は一つの決断をします。それは、「会社が潰れるまで梅酒のコマーシャルを打ち続ける」という攻めの作戦。まずは梅酒が買えることを認知させるべく、中小企業では考えられないほどの巨額を投入しCM制作を開始しました。1972年に初めて放映されたCMには社名の「蝶」矢にかけて、人気漫才師・ミヤコ蝶々さんを起用します。
結果は返品の嵐…。ワインや飲料の売り上げを全てを全て梅酒の広告につぎ込んだため、会社の経営はさらに苦しい状態が続きます。それでも「広告は辞めないことが基本だ」という和夫に社員の不満は爆発し退社する者が続出。それでも和夫は決して信念を曲げませんでした。
歴代の社長は「世界中に梅酒を売りたい」と常々社員に語っていたそうです。和夫はそのビジョンを諦めませんでした。チョーヤが掲げるキャッチコピー「どどけ、梅のちから。」これは、切なる思いから生まれた言葉なのです。
梅酒発売から15年、倒産寸前の会社を救った「核家族化」。さらに時代に合わせた容器で大ヒット!
梅酒が売れないまま15年以上たった1975年、ある変化が。なぜか急に梅酒が売れはじめたのです。それは、急速に核家族化が進み、家に作り手(主におばあちゃん)が不在になったからでした。共働きの家庭も増えて、家庭での梅酒づくりが下火になったところにCMを打ち続けていたことで「梅酒は買える」という認識が浸透していたのです。「梅酒は作るものから買うもの」へ。とうとう、時代が追いつきました。
さらに、容器の形状をつぼ型からスリムな容器に改良した「紀州」を発売。以前は押入れなどで保管していた梅酒を、当時普及していた冷蔵庫のドアポケットに収まるサイズに変更。開けるたびに目につくことが消費につながり、発売初年度から年間100万本を超える最大のヒット商品になりました!
梅酒市場の競争激化で再びピンチ!売り上げ減少も、こだわり続けた本物の味
しかし、そんなチョーヤに再び危機が訪れます。大手酒造メーカーを含めた他社が梅酒市場に続々と参入したのです。これにより価格競争が激化し、売り上げが落ちてしまいました。
中には少ない梅の数で酸っぱさを出すために、酸味料を加えて価格を抑えていたところもありました。一方のチョーヤは無添加の「梅・砂糖・酒」のみの本格梅酒を作り続けていたため、大量に梅を必要とするため価格を下げることは不可能でした。
そんな中、社員から低コストの梅酒作りをしないかという提案が…和夫は「私たちだけがこだわり続けてきたからここまで来れた。本来の梅酒の美味しさを伝えることが使命だ。」とそれを許しませんでした。
さらに、和歌山の梅農家約6500戸のうち約4000戸から梅を供給してもらっているチョーヤが梅の量を減らすことは、強い絆で結ばれた農家への裏切りとなると同時に、日本の梅文化を衰退させると考えたのです。元は農家から始まったチョーヤは、農産物の大切さを知っているからこそ価格競争には乗らず本格的な梅酒の味わいを守り続けたのです。
若者にも刺さるよう、次々とヒット商品を開発。「体験」型も人気に。
こうして他社に対抗するべくとった作戦は…「梅酒のイメージを変える」。これまでは年配の世代が飲む「健康酒」のイメージが強かった梅酒。それを若者にも飲んでもらえるよう「食前酒」という新たな飲み方で打ち出すべく、若者世代に刺さる商品を続々と開発します。
1987年には日本初の缶入り梅酒ソーダ「ウメッシュ」、89年にはオシャレで鮮やかな見た目の赤い梅酒「ペリーラ」、さらに96年にはアルコール度数を下げ、甘さも控えめに飲みやすさを重視した「さらりとした梅酒」などを発売し、若い世代も日常的に飲むお酒として20代~40代女性の新規顧客層を獲得します。こうしたヒット商品の連発により「梅酒といえばチョーヤ」という確固たる地位を確立しました。
最近では、「体験」を重視。梅酒や梅シロップ作りが体験できるお店として、京都に梅体験専門店「蝶矢」を開業。若い世代の方に楽しんでもらい、拡散を通じて梅の良さをより多くの人に知ってもらいたいという狙いが当たり、予約が殺到しています。
こうして梅が消費され、いずれは梅農家の後継者問題の解消につながればと、チョーヤは考えています。
そんなチョーヤのもしマネポイントは「成功しなかったら人生をあきらめろ!」。「諦める」はネガティブではなく、目標に向かって諦めがつくまで努力をしたかが重要だと金道さん。ブドウ酒から梅酒に切り替えた時に多くの労力と資金を費やしても、諦めがつくまで努力をした結果、今があると語ります。
番組情報
〇番組名
日経スペシャル もしものマネー道もしマネ
〇内容
『もしもの時』に備えるマネー道!マネー活用バラエティ!
〇放送日時
テレビ大阪 第1~3日曜日 午後2時放送!放送終了後はYouTubeチャンネル、TVerで無料見逃し配信中。
(まいどなニュース/クラブTVO編集部)
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