震災直前に誕生、病院で生き埋めになった赤ん坊 通りがかった青年に救出され…避難所で命名された名前は 被災した30歳ミュージシャンの現在地
まいどなニュース / 2025年1月16日 7時40分
がれきの中から奇跡的に救出された赤ん坊は、「力(ちから)」と名付けられたー。30年前の1月15日、神戸市東灘区の病院で生まれた大山力さん。誕生2日後の阪神・淡路大震災で被災して生き埋めになったが、奇跡的に救出された。「やっぱり胸を張れるように生きないといけないと思う」。節目の今、自身の経験に改めて思いを馳せた。
「ぺしゃんこ」になった病院
大山力さん(30)が生まれたのは、JR摂津本山駅から南西に5分ほど歩いたところの産婦人科医院。震災があった時、力さんは1階にあるベビー室の保育器にいた。建物は全壊して2階が落ちる形となり、1階が潰された。力さんの母・繭子さんは建物から這い出すことができたが、ベビー室は「ぺしゃんこ」になっていた。繭子さんや看護師の力では、中に入ることは到底できなかった。発災から1時間ほどが経過し、あせる気持ちが募った。
「大丈夫ですか?」。通りがかった青年が、倒壊した建物の外から声をかけてきた。高校生か、大学生くらいだろうか。繭子さんが「この下に赤ちゃんがいます!」と伝えると、窓から建物内部に入ってきてくれた。青年は裸足だったため、履いていたスリッパを譲った。青年はがれきをどけながら這ってベビー室に入りこみ、何とか保育器ごと、力さんを引っ張り出してくれた。力さんは元気に泣き声を上げていた。
冷え込む暗闇の中、青年はさらに缶のミルクと紙オムツも取り出してくれた。「ありがとうございます、ありがとうございます…」。青年もどこかへ急いでいる様子だった。親族や友人を助けに行く途中だったのかもしれない。長く引き止めるわけにもいかず「お名前だけでも教えてください」と聞くと「ミヤガワです」と名乗り、再び窓から出て走り去って行った。
「いつか会ってお礼が言いたい」
力さんの肌着が土で汚れていたため繭子さんが脱がせたところ、保育器のガラスの破片が大量に体に付着していた。それでも目立った怪我はなく、奇跡としか言いようがなかった。力さんの体温を下げないようにタオルと毛布を体に巻き、建物の外へ這い出た。しばらくは病院のすぐ前にある公園のベンチに座り、呆然としていた。
力さんの父と姉の無事も確認でき、その晩は本山第一小学校に避難。繭子さんは「お湯がなかったので、カイロで水を少し温めてミルクを飲ませたことが印象に残っています」と話す。
悲しい知らせもあった。親戚の子ども2人が亡くなっていた。父・直也さんの兄の息子2人だ。1人は力さんと同い年で、もう1人は力さんの姉と同い年。直也さんはことあるごとに、「生きていることに感謝しなさい」と言って力さん姉弟を育てた。
なお、助けてくれた青年「ミヤガワさん」とはそれっきり会えておらず、どこの誰なのかも分からない。今は50歳ぐらいになっているだろうか。家族で震災の話になるたび、「いつか会って、あの時のお礼がしたいね」という話になるそうだ。
希望を込めた名前
大山家は震災後、1週間ほど避難所や車中、親戚の家などで避難生活を送った。両親は息子に「力」と名付けた。「このまま力強く生きてほしい」。奇跡的に生き延びた赤ん坊にそう願いをこめた。
読み方を「りき」とする選択肢もあったが、世話をしてくれていた、避難所の他の被災者たちの意見で「ちから」となった。力さんは自身の名前について「いろんな方々の思いがこもった名前だと思う」と語る。
震災の時の話はこれまで、両親から何度も聞いてきた。「僕自身は記憶がないから、本当に震災のことを知っているわけじゃない。でも、両親が震災について話す時の声のトーンや表情はいつも鬼気迫るものがある。それで色々なものが伝わってくる」。身近でたくさんの人が亡くなり、自分の子どもの死すらも覚悟した両親の思いは、いつも真っ直ぐに力さんの胸に突き刺さる。力さんは「自分にもいつか子どもができたら、そうやって震災のことを語り継いでいきたい」と話す。
「胸を張れるように生きたい」
力さんは幼少期からサッカーに打ち込み、大学進学もサッカーでスカウトされた環境を選んだ。プロを目指していたが、大学のあまりのレベルの高さに挫折。入学して半年で退部した。ふがいなさで自暴自棄になり、精神的に不安定になる時期もあった。大学は1年間休学した。
サッカーに代わる何かに打ち込みたいー。力さんを救ってくれたのは「歌」だった。もともとカラオケなどで友人から上手いと言われることは多かったが、大学在学中にボーカルトレーニングに通い始めるとさらに上達した実感があった。「この道なら一流になれるかもしれない」。思い切って就活はせず、ひたむきに夢を追うことにした。
現在は神奈川県相模原市で暮らし、配送のアルバイトをしながら東京を拠点に音楽活動を続けている。伸びやかな歌声で自作曲のほか、洋・邦楽のカバー曲をしっとりと歌い上げる。今年からはバンド活動にも力を入れ、まずは「バンドのインスタグラムのフォロワー1000人」の目標を掲げて奔走。その後、より多くの人に自身の歌を届けるのが夢だ。
「やっぱり、胸を張れるように生きたいという思いが強い」と力さんは話す。この正月に神戸に帰省した際も、亡くなった親戚の子どもたちの墓に手を合わせに行った。「震災のことを思い出すたび、2人のことも思い出す。いただいた命だから、毎日を一生懸命送るしかない、と思います」。30年の節目となる今年の1.17は、いっそう特別な思いで迎える。
(まいどなニュース・小森 有喜)
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