強制不妊一斉提訴:生身の痛み、共感訴え 「国は真実を」

毎日新聞 / 2018年5月17日 22時23分

不妊手術を強制されたとして、国を提訴するため札幌地裁に入る原告の小島喜久夫さん(手前中央)ら=札幌市中央区で2018年5月17日午前11時19分、貝塚太一撮影

 障害者らに不妊手術を強制した国の責任を問う一斉提訴が17日、札幌、仙台、東京の各地裁で起こされた。提訴に先立ち妻に初めて手術を告白し実名を明かした男性、中傷におびえ名前を伏せつつ「活動名」を名乗ることで生身の人間のつらさをわかってもらおうとしてきた女性……。原告3人が歩んできた人生は、旧優生保護法が1万6475人とその家族に刻んだ「罪の深さ」を象徴する。

妻に打ち明け実名で 札幌

 「妻に反対されたら、死ぬまで(強制手術の事実を)自分の胸にしまっていた。でも、支えてくれたので頑張ろうと思った」

 強制手術を受けた当事者の中で初めて実名で被害を訴え出た小島喜久夫さん(76)は、札幌地裁に提訴した後の記者会見で感謝の言葉を口にした。隣の席には、40年近く連れ添ってきた妻麗子さん(75)が座っていた。

 麗子さんに打ち明けたのは、宮城県の60代女性が初の提訴に踏み切った直後だった。麗子さんは「大きなショックを受けた」が、「お父さん(喜久夫さん)は50年以上ひとりで胸に秘め、悔しかっただろう」と思い直した。そして、実名での訴えを「社会に迷惑をかけるわけでもないから」と励ましたという。

 しかし、現実は厳しかった。名乗り出ると「金がほしいのか」「恥ずかしくないのか」という心ない中傷を受け、精神的に疲弊した時期もあった。

 だが、この日の麗子さんは「いろいろ大変だったけれど、提訴に踏み切れて本当に良かった。名前を出すことで、声を出せない人が出てくれればいい」と吹っ切れた様子で語った。喜久夫さんに「2人とも高齢なので、長生きできるよう頑張ろうね」と笑顔さえ見せた。

 訴状によると、喜久夫さんは19歳だった60年ごろ、同意のないまま不妊手術を強制された。79年に結婚して以来、麗子さんには子どもができない理由を「過去におたふく風邪を引いたため」と説明してきた。悔しさを口にすれば告白することになるから、沈黙するしかなかった。

 全国で強制手術を受けた1万6475人のうち北海道は最多の2593人。2人は、同じような苦しみを抱えている人たちの姿を想像する。

 「国が与えた本当にむごい、拷問のような苦しみ。私も闘うからみんなも出てきてほしい」。小島さんは麗子さんに励まされるように言った。【安達恒太郎】

中傷避け活動名で 仙台

 「今日まで毎日苦しかった」。仙台地裁に提訴した70代の女性は、旧優生保護法が改定された翌1997年から、「飯塚淳子」という活動名で被害を社会に訴え、国に謝罪と救済を求めてきた。その名字は、手術される前の中学生時代、優しくしてくれた女性教師の姓を拝借したもの。仙台市内の記者会見場で20年余にわたる日々をかみしめるように語り始めた。

 飯塚さんは16歳のとき、知能検査で「精神薄弱者、内因性軽症魯鈍(ろどん)」と判定された。直後、連れて行かれた診療所で何も知らされないまま手術された。術後、両親の会話から手術が不妊目的だったと知る。たびたび倦怠(けんたい)感に襲われ、子宮筋腫が原因で子宮と左卵巣の摘出を余儀なくされた。

 手術から半世紀以上、障害者を差別する「優生思想」の影におびえてきた。強制不妊手術を取り上げたテレビ番組に当事者として顔が映ったところ、近所の人から嫌がらせを受けた。恩師の名字を活動名にしたのは守ってもらえると感じたから。心身を傷つけられた生身の人間として痛みを共感してほしかったから。でも「本音では実名で名乗り出たい」。

 今年1月末の60代女性の初提訴をきっかけに、当事者が名乗り出る機運は高まったと感じる。「もう、一人ではない。国は記録が残っていない人の救済を急いでほしい」。三権のうち行政と国会が推進した強制不妊手術を司法の場で問う。語る言葉一つ一つに、社会を変えたいという決意がにじんでいた。【本橋敦子、滝沢一誠】

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