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民家から始まった大阪のモスク 18年、地域社会に根付く

毎日新聞 / 2024年6月15日 16時0分

ラマダン明けの祝祭「イード」を迎え、モスク内に入りきらず屋上で祈るムスリムたち=大阪府茨木市で2024年4月10日、久保玲撮影

 まだ肌寒さが残る4月10日の朝、大阪府茨木市の住宅街にムスリムたちが続々と集まっていた。この日はラマダン(イスラム教の断食月)明けの祝祭「イード」。金色の装飾がまぶしい「大阪茨木モスク」には中東や東南アジアなどの出身の人たち約300人が訪れた。礼拝時には2階建てのモスクに入りきらず、屋上で祈る姿もあった。

 日本のムスリム人口は増加している。日本のムスリムコミュニティーに詳しい早稲田大の店田廣文(たなだひろふみ)名誉教授によると、推計約3万人だった1990年末から2010年末は約11万人、20年末は約23万人にまで増えた。在留外国人統計や国別のムスリム人口比率、「日本ムスリム協会」などの資料を参考に算出し、23年末は概算で27万人超としている。

 バブル経済期に労働者として来日し、その後定住して家族形成が進んだことや、留学や研究、技能実習も増えたことが要因といい、日本人の入信も増えている。80年代末に国内3カ所だったモスクも08年に50カ所、17年には100カ所を超え、24年5月時点で全国に少なくとも133カ所ある。

 大阪茨木モスクは近くにある大阪大の留学生や研究者、その家族を中心に普段は約100人が通う。留学生が中心となり約30年間寄付を募り、06年に開設された。当初は市街地での開設を目指していたが費用面で難しく、大学に近い木造2階建ての民家を購入して改装した。

 「最初は早く引っ越してほしかった」。隣に住む中島邦子さん(72)は振り返る。開設当初は仕事に忙しく関わりがなかった。外国人に恐怖感もあった。モスクに来た人たちの自転車が自宅前まで並んでいたり、ごみが散らかっていたりして注意したこともある。しかし6年前に仕事を辞め家にいる日が多くなると、顔なじみも増えあいさつを交わしたり、おみやげをもらったりするようになった。今では近所の草むしりを一緒にしたり、モスクにある植木の手入れを手伝ったりする仲だ。「共生、共存のためです。トラブルの時は『申し訳ございません』とすぐに謝ることも大切です」。長年モスクに通うインド出身で大阪大大学院助教のモハンマド・モインウッディンさん(45)は話す。

 「知らん間にできてた」「看板しかなかったからお店かと思った」。住民たちが話す中でムスリムたちは地域の祭りやフットサル大会に参加したり、学校の地域学習や市主催の人権講座などでモスクの見学や交流会を開いたりしてきた。カレーなどを近隣に分けたり、モスクへの出入りが増えるラマダンが始まる前にはお菓子、新型コロナウイルス禍ではマスク、感染が落ち着いたらタオルなどを添えてあいさつに行ったりするなど近所付き合いも大切にしてきた。留学生夫婦の子供が待機児童となり授業に出席できずにいた時は、保育施設が決まるまでコミュニティーセンターに通うお年寄りたちが面倒を見たこともあったという。

 モスクに通う人が増えて建て替えが決まった時、ムスリムたちの間ではより交通の便が良い場所への移転も検討されたが、費用が抑えられることに加え、地域との関係が築けていたことから同じ場所に新築された。国内やクラウドファンディングを通じて世界中から寄付を募り1億円以上かけて完成したモスクは、11年の東日本大震災でムスリムの被災者を受け入れ、18年の大阪北部地震でモスクを含めて地域も被害を受けたことから20枚以上のソーラーパネルを設置。プロパンガスも備え、災害時には避難所として近隣住民にも利用できるようにした。23年9月のオープニングセレモニーでは住民も招かれ、茨木市長もあいさつした。

 店田名誉教授は「多文化共生の観点からも地域とのつながりはますます大事になる」と話す。エジプト出身でモスクのイマーム(指導者)、モフセン・バイユーミーさん(55)は話す。「私たちは地域の一員として過ごしているので、地域の人たちを理解し、理解されるよう努めることは当然のことです」【久保玲】

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