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能登半島地震で被災の金沢城跡 石垣復旧に少なくとも15年

毎日新聞 / 2024年6月22日 11時0分

能登半島地震により金沢城跡の石垣は崩落などの被害を受けた=1月撮影、石川県提供

 能登半島地震で被害を受けた国史跡・金沢城跡(金沢市)の石垣復旧について、石川県は今月、少なくとも15年程度は必要との見通しを明らかにした。江戸時代最大の大名・加賀前田家の居城で、現在は金沢城公園として親しまれており、県は20年以上前から櫓(やぐら)や門などの復元整備を進めてきた。今年度は中枢施設の二の丸御殿について当初の予定通り着工する方針だ。今後、石垣復旧と御殿の復元整備がともに進められることになる。

元日の地震で石垣に被害

 金沢城は「石垣の博物館」と呼ばれる。多種多様な石垣があり、その技術力や芸術性の高さを誇る。しかし元日の地震で石垣28カ所に被害が出た。5カ所で崩落し、残る箇所も傾斜が外側から見て手前に傾いたり、一部が押し出されたりした。隣接する国特別名勝・兼六園でも被害があり、4月には、石垣などの復旧に向けて専門家会議が開催された。

 馳浩知事は6月の議会答弁で、東日本大震災で福島県白河市の小峰城に生じた被害規模や復旧事例にふれて「崩落した石垣の復旧には3~5年程度、石垣全体の復旧には少なくとも15年程度かかるのではないかと考えている」と説明した。まずは崩落した5カ所の復旧を進める方針で、夏ごろには崩落した石材を取り除き、文化財調査のための足場などを設置する予定という。

進められてきた復元整備

 金沢城跡が現在の姿になったのは近年のことだ。戦前は旧陸軍が、戦後は金沢大が城跡を利用してきた。大学移転後の2001年に菱櫓(ひしやぐら)・五十間長屋・橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)が完成し、その後も河北門や鼠多門(ねずみたもん)などの整備が続いた。完成した建物群は、江戸時代から現存する石川門などとともに、来園者を魅了している。

 二の丸御殿は1631年に造営された。江戸時代に二度の火災による焼失・再建があり、県は江戸後期の姿の復元を目指している。儀礼や政務の場である「表向」、藩主の日常の生活空間の「御居間廻(おいままわ)り」、女性たちが暮らす「奥向(おくむき)」に分かれる。復元整備は表向主要部が対象で、第1段階として玄関周辺から着手するが、調査も伴うことから全体の完了時期は示していない。

御殿復元整備は

 県は今年度、工事に必要な電気設備や仮設建物の整備に加え、障壁画の下絵の制作に着手する。第1段階の内外装工事のピークは約5年後からと見込み、関係団体も材料・職人の確保は対応可能としているという。

 金沢城公園・鶴の丸休憩館では、二の丸御殿の内外装の様子などを紹介するVR(仮想現実)映像を放映している。また今後、工事現場の見学や、伝統技術による施工を体験できるツアーなどを考えているという。

 馳知事は御殿の復元整備について「金沢城の価値や魅力を高めることに加え、被災した能登の職人のなりわい再建や、次世代に技術を継承するための研さんの場としての役割など多面的な意義を有する。多くの人に愛着を持ってもらいながら工事を進めたい」としている。【深尾昭寛】

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