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太平洋戦争末期の「西部軍事件」 処刑された米軍捕虜、追悼法要

毎日新聞 / 2024年6月20日 18時56分

処刑された米軍捕虜らを追悼して焼香する冬至克也さん(中央)ら法要の参列者=福岡市城南区で2024年6月20日午後1時55分、青木絵美撮影

 太平洋戦争末期の1945年6月20日、福岡市にあった旧陸軍の西部軍司令部関係者によって処刑された米兵捕虜らの追悼法要が20日、同市城南区の油山観音で営まれた。捕虜の親族や、処刑に関わった元戦犯の親族などオンラインも含め日米の計約30人が参列し、哀悼の意を表した。

 法要は日本各地で米軍爆撃機B29の墜落記録を調べ、搭乗していた米兵の遺族と交流もある戦史研究家の深尾裕之さん(53)が2020年に始め、今年で5回目。

 「西部軍事件」と呼ばれる一連の事件では、西部軍が軍律会議を経ず45年6~8月に3回にわたり、米軍捕虜約30人を処刑した。捕虜を巡っては、同年5~6月に九州帝国大に運ばれた8人が実験手術を受け死亡した事件も起きている。

 法要に参列した冬至(とうじ)克也さん(70)=同市中央区=の父堅太郎さん(83年に68歳で死去)は元陸軍主計大尉で、福岡大空襲翌日の処刑で捕虜4人を手にかけた。戦後、戦犯として収監され絞首刑を言い渡されたが、後に減刑。出所後は家族に自身の過去を語るとともに、自宅庭に地蔵4体をまつり彼らを供養し続けた。地蔵は現在、油山観音の境内にある。

 「わが子らとわが処刑せし米兵の子が相あはむこともあらむか」。

 法要であいさつした冬至さんは、父が子供たちの時代の平和を願って獄中で作った短歌を紹介した。そしてオンラインで対面した米兵遺族や参列者に向けて「私たちの出会いと地蔵は太平洋を越えた平和の証し」と語りかけた。

 また、米軍爆撃機の搭乗員で現在の八女市付近で捕らえられた後に処刑されたチャールズ・アップルビーさんの孫、ヘザー・ブキャナンさんもオンラインでスピーチ。今も世界各地で続く戦争の脅威に触れ、「私たちの国同士の友情と交流は、私たち全員が夢見る平和を生み出すことにつながる」と語った。

 参列した同市博多区の福田コウさん(99)は、当時西部軍司令部の情報隊で働き、米軍捕虜たちを目撃したという。「おどおどした表情が頭にこびりついている。終戦の日が近づくと思い出して苦しかった」と話し、静かに手を合わせていた。【青木絵美】

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