あの日見た景色は 沖縄戦から79年
毎日新聞 / 2024年6月22日 16時0分
1945年6月13日、戦線は南端へと迫る。最南端の荒崎海岸では追い詰められた住民たちが岩陰に身を潜めていた。ひめゆり学徒隊は同月18日の解散命令後、この海岸で自決などして命を落とした女学生も多い=糸満市で2024年6月13日、喜屋武真之介撮影
第二次世界大戦末期の1945年、沖縄では多くの住民を巻き込む激しい地上戦が繰り広げられた。犠牲者は日米合わせて約20万人で、一般住民は約9万4000人に上る。しかし、「鉄の暴風」と言われた艦砲射撃や空襲によって焼け野原になった島も、復興が進むにつれて当時の面影は薄れ、凄惨(せいさん)な戦場を思い起こせる場所は少ない。
激戦地の一つ、那覇市内にある「シュガーローフ」と呼ばれた丘の周辺は、開発によって大型商業施設や高層マンションの建ち並ぶ「新都心」となった。各地にあった日本軍の壕(ごう)や住民たちが避難したガマ(自然壕)の多くは崩落し、平和学習での活用も困難になりつつある。
それでもなお、変わらないものもある。敵も味方も赤く染めた夕日。自決を迫られたガマの暗闇。あの年は今年と同じように、4月下旬から雨が続いていた。初夏に咲く白ユリに、ほんのわずか心を留めた人もいたかもしれない。艦砲射撃のやんだ夜に見上げた星空は、今よりも美しかったのだろうか。
日ごと移り変わっていった地上戦の経過をたどりながら、79年前と同じ場所を歩き、今につながる「あの日」の景色に思いをはせた。【喜屋武真之介】
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