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「幸せに暮らしている」 平和の礎、魂魄の塔に遺族訪れ、祈りささげる

毎日新聞 / 2024年6月23日 14時44分

平和の礎で手を合わせる家族連れ=沖縄県糸満市で2024年6月23日午前9時25分、喜屋武真之介撮影

 「沖縄慰霊の日」の23日、沖縄戦終焉(しゅうえん)の地となった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」には夏の日差しが降り注ぐ中、遺族らが次々と訪れた。

 沖縄県北谷(ちゃたん)町の島袋美智子さん(79)と妹の智枝子さん(73)は「自分たちは幸せに暮らしています」と語り、刻まれた叔母の名前をなぞり、花と菓子を手向けた。

 詳細は分かっていないが、沖縄戦当時、20歳前後だった叔母は沖縄本島北部で、戦火を逃れるために友人らと一緒に浅瀬を歩いて近くの島へ渡ろうとした途中に亡くなったという。当時、美智子さんは生まれたばかりで、母に背負われ、叔母とは別に本島北部に避難していた。母と叔母は年が近く仲が良かったといい、母は亡くなるまで美智子さんらと一緒に「平和の礎」を訪ねていた。

 美智子さんは米軍基地が集中し、自衛隊の増強も進む沖縄の将来を心配する。「世界のあちこちで戦争が起きている。若い人や子どもたちが幸せでいられる社会であってほしいけれど、沖縄は一番怖い場所になっていないか」

 糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」にも朝から遺族らが訪れた。塔は周辺に野ざらしになっていた遺骨を納めるため、戦後間もない1946年2月に建立された。

 沖縄県嘉手納町の真栄城玄信(まえしろげんしん)さん(91)は塔に手を合わせ、2人の兄に「ありがとう」と伝えた。軍に召集された兄たちは本島南部で戦死した。ともに暮らした家があった場所は今、米軍嘉手納基地になっている。「年だから来年は来ることができないかもしれない。兄の犠牲の上に今の私たちがある。政治家はしっかりして戦争を起こさないようにしてほしい」

 那覇市の平良捷子(かつこ)さん(86)は娘(53)とともに祈りをささげた。義母と義兄も沖縄戦で亡くなり、遺骨は見つかっていない。平良さん自身も家族と本島南部を逃げ惑い、いくつもの遺体を見た。一緒にいた父が「眠っているんだから、踏まないよう跳び越えなさい」と諭し、女性の亡きがらをまたいだことが忘れられない。「どうしても自分の足でここに来たかった。平和な世の中で子孫が生きていけるよう見守ってほしい」【比嘉洋、喜屋武真之介、日向米華】

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