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「今こそ沖縄戦の記憶に向き合って」 ひめゆり学徒隊悼む慰霊祭

毎日新聞 / 2024年6月23日 18時17分

ひめゆりの塔が建つ壕(ごう)の前で行われた慰霊祭で、校歌を斉唱しあふれる涙を拭う元学徒の島袋淑子さん(左)=沖縄県糸満市で2024年6月23日午前11時26分、野田武撮影

 沖縄県糸満市伊原の「ひめゆりの塔」前では23日、看護要員として沖縄戦に動員された「ひめゆり学徒隊」の犠牲者を悼む慰霊祭があり、元学徒や遺族ら約190人が参列した。

 慰霊祭を主催する同窓会の知念淑子(よしこ)会長(95)が祭文を読み上げ、「多くの尊い命を失った。ご遺族の心中を察すると、深い悲しみをどうすることもできません」と犠牲者と遺族に思いを寄せた。また、ロシアによるウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザ地区の惨状に触れ「一日も早く戦闘を停止してほしい。沖縄戦を体験した私たちは心からそう願っている」と訴えた。その後、元学徒の島袋淑子(よしこ)さん(96)らが焼香。79年前の卒業式で歌うはずだった「別れの曲(うた)」を歌うと、周りでセミが鳴き出し、ハンカチで涙を拭う参列者の姿もあった。

 塔と同じ敷地で当時の実相を伝える「ひめゆり平和祈念資料館」は、1989年の開館から23日で35周年を迎えた。新型コロナウイルス禍で入館者数の大幅減に直面したが、現在はコロナ禍前の8割近くまで回復しているという。普天間朝佳(ちょうけい)館長(64)は台湾有事などの事態で沖縄が再び戦場になることを想定したような政府の動きに危機感を示し、「今こそ苛烈な地上戦の場となった沖縄戦の記憶に向き合うことが求められている」などと訴えた。

 ひめゆり学徒隊には沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒・教師240人が動員され、半数以上の136人が犠牲となった。【日向米華】

沖縄戦

 第二次世界大戦末期、米軍は日本本土を攻略する拠点とするため、1945年3月26日に沖縄本島の西方沖にある慶良間(けらま)諸島に、4月1日に本島中部の西海岸にそれぞれ上陸した。日本軍は本土決戦の時間稼ぎのため持久戦を展開。司令官の自決で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月23日まで約3カ月に及んだ地上戦で、日米合わせて約20万人の死者が出た。そのうち住民の死者は9万4000人(推計)に上り、沖縄出身の軍人・軍属2万8228人と合わせて、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。

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