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「惨禍を風化させない」夫の思い訴える妻 クボタショック19年

毎日新聞 / 2024年6月28日 7時30分

早川義一さん(右)と春美さん=春美さん提供

 兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場周辺でアスベスト(石綿)による住民の健康被害が明らかになった「クボタショック」から6月末で19年になる。アスベスト禍を広く知らせるきっかけを作った患者の1人、故早川義一さん(当時59歳)の妻春美さん(73)が29日、同市で開かれる集会で、夫から託された思いを訴える。「一日でも長く生き抜く」と決意しながら旅立った夫の願いは「この惨禍を絶対に風化させてはいけない」だった。

 悪性胸膜中皮腫――。義一さんが聞いたことのない病名を県立病院の医師から告げられたのは2004年1月だった。アスベストを扱う職業に就いたことがあるか尋ねられたが、思い当たらなかった。

 息苦しさや体の疲れに耐えられなくなって、その前月に近くの開業医を受診した。2年前、親類から引き継いで長く経営した酒類・米穀販売店をたたみ、コンビニエンスストア経営に転じていた。不規則な生活が続いたせいかと思ったが、右肺が機能していないことが分かり、県立病院で詳しい検査をすることになった。

 10時間に及ぶ右肺の摘出手術、その後に放射線、化学療法による治療が続いた。約9カ月間入院した。春美さんらに任せきりだったコンビニが気がかりで、退院後すぐに仕事復帰を望んだが、体力は落ち、右胸の手術痕の痛みが引かない。数カ月間、店頭に立てなかった。

支援団体と生まれた交流

 なぜ、がんの一種の中皮腫になったのか……。入院後、ずっと不安だった。知人から紹介された同じ病気の人に会いに行き、2人の女性患者(いずれも故人)や支援団体との交流が生まれた。

 女性2人はともにクボタの工場でアスベストを使用した1954~95年に近くに住んだ経歴があり、尼崎市生まれの義一さんも地元の小学校を卒業。中学・高校時代の数年間、工場に近い親類の店を手伝い、工場間近の得意先に配達に行った経験があった。「自分一人ではなかったと思うと同時に、患者はもっといるのではと怖く感じた」という。

 05年6月30日、記者会見で女性2人とともに初めてアスベスト被害を語った。毎年6月下旬、市内で開かれる集会にも参加し続けた。しかし左肺にがんの転移が見つかり、11年6月に亡くなった。退院して再び孫の顔を見ることを心の支えにしていたという。

 春美さんは義一さんに寄り添い、苦しみを共有したいと思ってきた。「苦しんでいても声をかけるぐらいしかできない。とても歯がゆかった」と話す。就寝中に息を引き取ってしまうのではないかと不安に襲われることが頻繁にあり、そんな時は十分に眠ることができなかった。

 アスベスト被害は発症までの潜伏期間が長く、「静かな時限爆弾」と言われる。「私は1日でも1時間でも長く生き抜くことで、悔しさいっぱいで亡くなった多くの人たちの無念さを少しでも和らげられると思う」。そう語っていた義一さんは約8年間の闘病後、力尽きた。「だから、風化をさせないという夫の思いを受け継ぎたい」。春美さんはそう決めている。

   ◇

 29日の「アスベスト被害の救済と根絶をめざす尼崎集会」は、患者団体などが尼崎市中小企業センター(同市昭和通2)で開催。午後1~4時。入場無料。問い合わせは尼崎労働者安全衛生センター(06・4950・6653)。【土居和弘】

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