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空を見上げ、にじむ悔しさ 米軍機墜落65年 沖縄・宮森小で慰霊祭

毎日新聞 / 2024年6月30日 18時23分

米軍ジェット機墜落事故から65年となり、慰霊祭で犠牲者の名前を刻んだ「仲よし地蔵」に向かって手を合わせる参列者たち=沖縄県うるま市で2024年6月30日午前9時12分、喜屋武真之介撮影

 沖縄が米国統治下にあった1959年6月、沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落し、児童ら17人が犠牲になった事故から65年となった30日、同小で慰霊祭が開かれ、遺族や住民ら約300人が参列した。昨年11月に米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)に向かっていたオスプレイが鹿児島県・屋久島沖で墜落し、今年6月には米兵による性的暴行事件が相次いで発覚するなど、沖縄では今なお米軍が関係する事故や事件が後を絶たず、県民の不安は解消されていない。

 事故では児童11人と住民6人が犠牲になり、重軽傷者は200人を超えた。やけどによる後遺症で、約15年後にも1人が亡くなっている。慰霊祭では犠牲者の名前が刻まれた「仲よし地蔵」の前で参列者が手を合わせ、同校体育館で開かれた式典には玉城デニー知事も出席した。事故を語り継ぐ活動を続けるNPO法人「石川・宮森630会」の久高(くだか)政治会長(76)は、犠牲者の名前を1人ずつ読み上げ「子どもたちが教室で生きたまま焼かれて死んだ。そういう悲惨な事故だったことを思い起こしてほしい」と語った。

 母親が犠牲になった伊波秀子さん(87)は、自身も学校近くの自宅で事故に巻き込まれて頭に重傷を負い、「今でも6月の空を見ると悔しいし、米軍機を見るとまた事故が起こりはしないかと怖い」と声を詰まらせた。当時幼稚園児で、事故で頭の骨を折る重傷を負った山本恵子さん(71)は、現在住んでいる佐賀県から初めて参加し「ちょっとの違いで私は助かった。慰霊したい気持ちはずっとあったので、来て良かった」と語った。【喜屋武真之介】

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