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脳裏に焼きつく救助の光景 「忘れない」消防士の誓い 能登地震半年

毎日新聞 / 2024年7月1日 17時51分

古里の海を見つめながら能登半島地震の記憶を思い起こす崎山大輔さん=石川県珠洲市で2024年6月27日午後4時30分、中田敦子撮影

 暗い土砂の中で、助けを求めながら独り消えていった命があった。30年近く消防士として住民を守ってきたのに、人を救うことができなかった。自責の念を抱えて生きてきたこの半年。「もう二度と、あんな思いはしたくない。だから忘れないようにしている」。犠牲になった人たちへのせめてもの償いとして。

 眼前に広がる青く澄んだ海に、静かな波の音が響く。岸には、隆起した岩礁が白く輝いている。「驚くほどきれいで穏やかな海でしょう」。石川県珠洲(すず)市で勤務する消防士、崎山大輔さん(46)は、ふるさとの光景を誇らしげに語ってくれた。「でも、町はだいぶ変わってしまった……」。半年前に一変した町並みを眺め、あの日の記憶に思いを巡らせた。

 珠洲市で生まれ育ち高校卒業後、一つ年上の先輩に憧れて消防士になった。「地元の人たちの力になりたい」との思いで長年、勤務してきた。人命を救い、感謝もされる仕事にやりがいを感じていた。

 元日、同市大谷町の消防分署で勤務中、立っていられないほどの揺れに遭った。とっさに車にしがみついた。2011年の東日本大震災では、発生3日後に岩手県で救助活動をしたこともあり「自分は災害に強い」と自負していた。だが、経験のない強く長い揺れにパニックになった。津波が来る恐れがあり、消防車両を運転して隣の地区に向かった。避難先の寺には、80人ほどの住民が不安な表情で肩を寄せ合っていた。

 辺りがすっかり暗くなった午後8時ごろ、人づてに「男性が建物に取り残されている」という具体的な情報を得た。落石や土砂崩れで車が通れないため、現場まで歩いた。がれきをかき分けたが、反応はなかった。1時間ほど続けても、状況は変わらない。その間も、救助要請は続々と届いた。「ごめんなさい、次の現場に向かいます」。埋まっているとみられる男性の息子にそう告げ、後ろ髪を引かれる思いで現場を後にした。その後、男性は遺体で見つかった。

 この後、10人近くの救助を試みたが、救命はかなわなかった。遺体安置所になった公民館で、犠牲者の亡きがらと対面した時、「すみませんでした」とむせび泣いた。三日三晩、飲まず食わずで走り回ったが、「助けたい」という気持ちだけが空回りした。通信環境が回復した6日になって、ようやく自身の家族と連絡が取れた。

 この半年間、救助現場の光景がよみがえってこない日はなかった。とりわけ脳裏に焼き付いているのは、真っ暗な現場でひたすら土砂をかき分けている場面だ。生き埋めになっている人に呼び掛けても応答がない。自分の吐息だけが響く静寂の現場に、言いようのない恐怖を覚えた。

 「助けを求めている人も、この静けさの中、独りぼっちで亡くなっていった。どれだけ苦しかっただろう。怖かっただろう」。毎晩、電気を消した寝室で、救えなかった人の最期を想像する。「忘れていないよ」と、彼らに思いを巡らせることが、せめてもの償いと考えたからだ。

 打ちひしがれていた中で、希望もあった。倒壊家屋の下敷きになった30代女性の救助に当たった時のことだ。2階建ての木造住宅は1階を押しつぶすように倒れ、「助けてー」と叫ぶ女性の声がした。ヘッドライトで照らし、夢中になってがれきをかき分けると、女性の手に触れた。同僚と2人で救出できた。涙ながらに感謝を伝える女性に、「消防士をやっていて良かった」と心から思えた。

 分署もダメージを受けたため、近くにある小中学校の校舎に間借りして勤務を続ける。つらい記憶に苦しんだが、今は「再び大きな地震が来た時に、一人でも多くの人を助けたい」という一心しかない。がれきの下で亡くなった人たちに思いをはせ、自分にできる備えをすることが使命、と考えている。【中田敦子、矢追健介】

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