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イチオシのパンに父のDNA 九州豪雨で全壊の漬物店 3代目がカフェに

毎日新聞 / 2024年7月4日 20時7分

看板商品の「漬物カレーパン」など店内で揚げた熱々のパンを、カフェスペースやテークアウトで楽しめる=熊本県人吉市で2024年7月1日午前11時26分、山口桂子撮影

 2020年7月の九州豪雨で壊滅的な被害を受けた熊本県人吉市の老舗漬物店の跡地に今月、素泊まりができる宿が併設されたおしゃれなカフェが本格オープンした。運営するのは、4年前の4日に発生した豪雨で漬物店の先代店主だった父親を亡くした男性だ。父や創業者の祖父の思いを受け継ぎ、災害で傷ついた古里を元気にしたい――。そう、再起を誓う。

父を失ったあの日

 男性は漬物店「永尾商店」の3代目、永尾禎規(ていき)さん(60)。20年7月4日午前7時すぎ、永尾商店本店の敷地内にある離れで寝起きしていた禎規さんは鳴り響く防災無線の音で目を覚ました。慌てて外に出ると、約400メートル離れた球磨(くま)川からあふれた水が迫っていた。

 すぐに本店居室に行き、寝ていた両親を起こした。母ムツ子さん(93)を背負って無我夢中で離れの2階に避難させたが、認知症があった父誠さん(当時88歳)は「もうよか、もうよか」と動こうとせず、禎規さん1人ではどうすることもできないまま、居室は水没。その日の夕方に水は引いたが、その場で冷たくなった誠さんが見つかった。

 かつて一帯を大水害が襲った時、誠さんは消防団員として川舟で回って近隣住民を救出し、2歳だった禎規さんも誠さんに背負われて避難したことを聞かされていた。「今度は自分が救う番なのに、何もできなかった」。自分を責めた。

父の背中を見て3代目に

 永尾商店は、祖父の故・寅男さんが1934年に創業。地元で取れた野菜を漬けたたくあんや高菜、梅干しなどをリヤカーで行商したことが始まりだ。その後、誠さんが2代目としてもり立てたが、誠さんが足を骨折したこともあり、14年に一人息子の禎規さんが跡を継いだ。幼いころから、誠実に仕事に打ち込む父の背中を見てきた禎規さんにとって3代目になるのは自然なことだった。

 豪雨で本店や離れは全壊したが、漬物の製造拠点は県内の別の場所にあったため難を逃れた。禎規さんは仮設住宅に身を寄せながら、漬物店の灯を絶やさないよう懸命に働いた。

跡地はカフェに 一推しのパンに父のDNA

 一方、本店や離れがあった場所の再建について、考えた末に「人吉を訪れた人が気軽に寄れて楽しめる場所にしたい」とカフェ風の店舗にすることを思いついた。2階は観光客が人吉の温泉街を楽しんでもらえるよう、素泊まり用の宿にすることにした。

 カフェの看板商品は揚げパンだ。「復活を後押ししてくれた仲間と新しいものを作ろうということになった」。一推しのカレーパン(320円、税込み)は、カレーに干し大根の漬物が混ぜられている。「漬物のしょうゆベースの調味料は父が開発したもの。試行錯誤してレシピを考えたが、こんなにカレーと合うとは思わなかった」と笑う。もちろん、漬物も販売する。

 店舗脇にはオブジェとして、大人がそのまま入るくらいの大型のかめが置かれる。創業直後に梅干しを漬けるために使われていたとみられ、本店に保管されていた。豪雨で泥まみれになったが「祖父が始めた漬物屋がここにあった証し」として展示することにした。

楽ではないが、前を向いて

 豪雨災害後には新型コロナウイルス禍、さらには物価高が続き、今年で創業90年を迎えた漬物店の収支は楽ではない。それでも、祖父や父が愛した古里を守りたいという思いが、禎規さんを突き動かす。

 新たな店舗の名前は、カフェが「ながとら」、宿が「誠屋」。それぞれ、祖父と父の名前から取った。この4年間、ふと父のことを思い出しては「必ず店を再開させる」という信念が支えになった。「後ろ向いても仕方がない。前を向いて、昔のような活気のある街にするために頑張っていきたい。祖父や父も見守ってくれるはず」【山口桂子】

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