「戦争は人殺し」 79年前の釜石艦砲射撃 15歳の胸に刻んだこと
毎日新聞 / 2024年7月12日 15時44分
太平洋戦争末期の1945年7月14日、岩手県釜石市は海上から米軍の艦船による「艦砲(かんぽう)射撃」を受けた。当時15歳だった小田洋子さん(94)=盛岡市=は勤労動員されていた釜石製鉄所で防空壕(ごう)に逃げ込んで難を逃れた。地元で「艦砲」として語り継がれる79年前の戦災。小田さんの胸に刻まれたこととは――。
小田さんは釜石製鉄所勤務の父親と母親の間に7人きょうだいの3番目として生まれ、当時は釜石高等女学校4年生。今の高校1年生と同じ年だが、学校には通わず、製鉄所の「分析」と呼ばれる部署で計測作業に従事していた。前年の44年に公布された学徒勤労令に基づき、兵器や材料の製造などに駆り出されていたのだ。
45年7月14日正午過ぎ、小田さんは製鉄所内にある4畳半ほどの部屋で昼食を食べようとしていた。同じ部署に配属された同級生2人、女学校の教員1人と一緒だった。
突然、窓の外から爆音が響いた。「敵の飛行機か」。どんどん音が大きくなる。4人で外に出て、建物の裏にあった防空壕(ごう)に逃げ込んだ。真っ暗な壕で頭を両手で抱えてかがみ、2時間余り息を潜めた。「ガーン」「ドドッ」というごう音が響いた。
攻撃がやんで防空壕の外に出ると、製鉄所の煙突が倒れ、道路を挟んで向かい側の釜石駅周辺が炎上していた。駅前を西に向かって逃げる人たちもいた。
小田さんはその後を追い、2キロほど離れた製鉄所の社宅まで走った。更に近くの山林に移動し、一夜を明かした。家族や同級生は無事だったが、同級生の親族が亡くなったと聞かされた。
太平洋戦争は、41年12月8日、旧日本軍が米国ハワイと英国領マレー半島を急襲して始まった。44年11月以降は日本本土への米軍の空襲が本格化し、45年3月の東京大空襲ではおよそ10万人が犠牲になった。6月には沖縄戦で組織的な戦闘が終結した。
戦況が悪化の一途をたどる中、7月になると釜石の他、室蘭(北海道)や浜松(静岡県)などの工業都市が艦砲射撃を受けた。仙台、青森両市では犠牲者1000人超の空襲があった。
小田さんは終戦6日前、8月9日にも艦砲射撃に遭った。7月の1回目の後は製鉄所に出勤しなかったことしか覚えていないが、2回目となったこの日の記憶は鮮明だ。
近くに砲弾、押し入れで息を潜め
午前中、学校に行こうと製鉄所の社宅街の一角にあった家を出た。しかし数十メートル離れた女学校の先輩宅前でちゅうちょしていると、ごう音が聞こえた。1回目と同じ音だった。
「とにかく身を隠そう」と、先輩の家に駆け込んだ。大人も含めて計7、8人が一緒だった。押し入れの中に入って息を潜めていると、近くに砲弾が着弾し、地面にずしりと食い込む感触が伝わってきた。
「ここにいては危ない。外に行くぞ」。男性2、3人が声を掛け合い、押し入れを出て近くの防空壕に走っていった。小田さんや他の女性は怖くて動けなかった。
爆音がやんで外に出ると、男性たちが逃げ込んだ防空壕は砲弾の直撃で崩れていた。小田さんは通り掛かった警防団とみられる男性に「ここに人がいたはずです」と告げた。男性は壕の中から人の足や胴体、腕を運び出した。先輩の家の壁には血しぶきが付いていた。
小田さんはぼうぜんとするばかりで、恐怖や悲しみなどの感情は一切わかなかった。胸に残ったのは「戦争は人殺し」。冷徹な事実だけだった。
しばらくして同級生から社宅そばの川べりでたくさんの遺体が焼かれたと聞いた。自宅は砲弾の直撃を受けて吹き飛んだが、在宅していた母と3歳下の妹、13歳下の弟は裏山の民家に避難していて無事だった。同じ社宅に暮らす人の生死の境は紙一重だった。
釜石は2回の艦砲射撃で判明しているだけで計782人が犠牲になった。市の「艦砲戦災誌」によると、1回目は製鉄所や釜石港周辺が攻撃され、米軍14隻が砲弾2565発を発射。2回目は製鉄所周辺に加え内陸部の社宅街も被弾した。米英軍計22隻で攻撃し、米軍が2781発を撃ち込んだことが分かっている。
8月15日の終戦後、小田さんは女学校に戻った。級友と再会したが、誰も戦争のことは口にしなかった。一方、引っ越し先の社宅の電灯の明るさには「心底ほっとした」という。終戦前は灯火管制が敷かれ、外に明かりが漏れないよう黒い布などで覆わねばならず、気が休まらなかったからだ。
46年3月、女学校を卒業した。近所の校長から誘われて同年夏に代用教員になり、その後、小学校教員として正式に採用された。結婚を機に53年に釜石を離れ、盛岡市に引っ越した。長く戦争の記憶をたどる機会はなかったが、2年前、ロシア軍のウクライナ侵攻を見て思い出すようになった。
子や孫の世代は幸い、国内では戦死や戦災死に接してこなかった。79年前、胸に刻んだ。「戦争は人殺し」。自ら経験した事実を伝えることで、これからも「戦後」が続いてほしいと願っている。【奥田伸一】
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