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「ほとんどあの日のまま」 半年後でも「爪痕」が残る能登の光景

毎日新聞 / 2024年7月19日 5時30分

能登半島地震から半年がたっても地震や津波の被害を受けた住宅がほぼそのままの状態で広がる石川県珠洲市の宝立町鵜飼地区。中央はせり上がったマンホール=同町で2024年6月30日、高尾具成撮影

 6月末~7月、能登半島の最北部に位置する石川県珠洲(すず)市内を巡った。半島の先端、禄剛(ろっこう)崎を境に、東側の富山湾に面する「内浦」と西側の「外浦」に分かれる。

 内浦は元日に津波に見舞われ、海岸線の地盤が沈んだ。外浦は数千年に1度という大規模な海底隆起により、景観を変えた。内陸には土砂災害の現場も多く、1月の地震を象徴するように感じられた。

半年間引っかかったままの海藻

 近年の地震による崩落で姿を変えた景勝地・見附(みつけ)島のある宝立(ほうりゅう)町鵜飼地区。道路に高さ150センチほどマンホールがせり上がっていた。

 液状化や地盤沈降の影響だろう。海から100メートル以上内陸まで津波が押し寄せたエリアだ。通行止めとなった鵜飼川河口近くの港橋には、津波の痕跡を残すように海藻類が引っ掛かったままだった。

 地区内では家屋などの被害が大きく、大半の住民は仮設住宅などでの避難生活を続けている。

 早朝、船舶修理業を夫と営む寺山京子さん(73)に出会った。

 地震に加え、自宅兼事務所が津波に浸水したが、地元にとどまり暮らしを営む数少ない住民だ。地区を見回り、近所の飼い猫たちの世話も続けていた。

 「みんな大事なものを探し出し、少しずつ運び出しているほかは、ほとんどあの日のままです。やはり顔見知りがいないとさみしいです」

 片付けや荷物を取りに来る住民と会うたび、知人らの居場所や状況を伝える役割も担っているという。

「偶然が重なり助かった」

 元日の午後4時6分、市内では震度5強の揺れがあった。寺山さんは津波の襲来を察し、1人暮らしの高齢者の安否確認や避難誘導に出掛けようとした矢先、自宅玄関で倒れて頭部を打った。

 午後4時10分に再び揺れると震度6強を観測した。車で逃げようとしたが、鵜飼川に架かる橋と道路に大きな段差が生じ、徒歩による避難に切り替え、夫の広悦さん(72)らと逃げた。

 近所では家の下敷きになり、その後、津波を受けて亡くなった被災者もいる。

 寺山さんは「偶然が重なり、助かったように思います」と振り返った。

 近くの畑では仮設住宅で暮らす女性(82)が「せめてもの慰めよ」と、犠牲となった知人が耕作をしていた畑の手入れをしていた。仮設住宅にいると気がめいるばかりで、外で体を動かしていたいという。

 倒壊家屋から取り出した食器棚と衣類を台車に乗せ、ゆっくりと転がす女性(83)がいた。隣接する宝立町春日野地区の全壊した家から数百メートル先の仮設住宅に運んでいた。

 「仮設で靴箱にしようと思うてな。あるものを大事に使って暮らしていきたい」と気丈に話した。

黄色い布数百枚がはためく

 内浦から山間部を抜け、外浦に向かった。山間部の道路の被害も大きい。珠洲市馬緤(まつなぎ)町は約70世帯約140人が暮らしていた。

 現在も自主避難所となっている市自然休養村センター横に、住民らがこしらえた黄色い布数百枚がはためいていた。

 ここに身を寄せる珠洲労働基準協会事務局長の南方治(おさむ)さん(73)が発起の声を上げた。地震の直後、津波を恐れ高台へ避難。翌朝まで待ったが引き潮ではなく海底隆起だったと後に知った。

 その後、農業用ハウスで近隣住民と約2週間の避難生活を送り、その後、自然休養村センターに妻玲子さん(71)と避難している。

 センター横で5月にこいのぼりを揚げた後、映画「幸福の黄色いハンカチ」(山田洋次監督)が思い浮かんだという。古里を離れた住民がいつか戻ってこられるようにとの願いも込めた。

 一枚一枚には住民や支援に訪れたボランティアらが記した「緤(きずな)」の文字が見える。「つながりや補いあうことを大切にしていこうとの思いからです」

復活する砂取節まつり

 センター前には「砂取節発祥之地」の石碑がある。その横で一節を刻んだ碑が地震により倒れていた。

 一帯は、海水を砂浜にまく伝統的製塩法「揚げ浜式」による塩の産地として知られる。春先、粘土で塩田の底を固め、遠方の浜から小舟で運んだきめ細かな砂を敷く。塩の出来を左右する作業だ。

 砂取節にある「しかたの風」(西から吹く風)にあおられ、小舟は転覆の危険もあった。砂取節は、小舟を繰りながら働き手により歌い継がれてきた労働歌という。

 半世紀以上、毎年8月13日に続いてきた「砂取節まつり」は、少子高齢化などにより2023年夏の開催を最後に、いったん終止符が打たれた。

 だが、今回の地震を受け、「復活を」という声が住民から上がり、今夏も急きょ、開催が決まったのだ。長く祭りの事務局長を務めてきた南方さんは今回、実行委員長として臨む。

 「こんな時だからこそ、地域の結び付きを確認する祭りの重要性を実感したんです」

 被災した南方さんの自宅を見せてもらった。割れた窓ガラスや壊れた壁の隙間(すきま)から入り込み、居間で子育てをした数個のツバメの巣があった。

 地元の住民らには、恒久的な住宅の整備を働きかけていきたいという。

 「元に戻るのは難しいでしょうが、人がいないと活力が生まれない。馬緤地区の強いつながりは機能している。地域が廃れずに自立していけるように踏ん張っていきたい」【高尾具成】

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