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「アオギリの語り部」の遺品が伝える被爆体験 手帳や写真展示 広島

毎日新聞 / 2024年7月30日 14時30分

沼田さんの遺品について語る清水正人事務局長=広島市中区のまちづくり市民交流プラザで2024年7月28日午後1時54分、広瀬晃子撮影

 平和記念公園のアオギリの木の下で被爆証言を続け「アオギリの語り部」と呼ばれた沼田鈴子さん(2011年に87歳で死去)の遺品展が29日、広島市中区のまちづくり市民交流プラザで始まった。戦争を知らない世代に伝えたい思いを記した原稿や手帳、写真など約70点を初公開している。【広瀬晃子】

 沼田さんは21歳の時、爆心から約1・3キロの勤務先の旧広島逓信局(現・日本郵便中国支社)で被爆した。片足を失い、婚約者も戦死して絶望したが、被爆しても芽吹く勤務先のアオギリを目にし、生きる希望を取り戻した。

 差別や偏見で心の傷を負い、体験を語れなかったが、米国が撮影した被爆地の記録フィルムを買い戻す「10フィート運動」の試写会で、自身が映っていることを知り、証言することを決意する。1973年に平和公園に移植された被爆アオギリを「自身の分身」と呼び、58歳からその下で修学旅行生らに体験を語り、アオギリの種を渡し続けた。

 遺品展は「被爆アオギリのねがいを広める会」が13回忌に合わせて企画した。段ボール15個分の遺品約1万点は、広める会の清水正人事務局長(68)が保管してきた。

 20冊以上ある手帳の中には「軍国主義とは単なる思想ではなく、軍事組織の力を政権の重心にすえること」など、講演内容のメモが残る。箇条書きで「平和の原点は人の痛みを分かる心を持つ人間であること」「出発は自分の平和への種まきであってほしい」と記した原稿用紙4枚や、被爆後に手当てを受ける被爆者の様子を79歳の時に描いた絵もある。

 沼田さんは世界各国への訪問などをきっかけに日本の戦争責任と向き合い、被害と加害の両面から戦争を繰り返さない道を訴えた。

 91年に市民グループの友好訪中団の団長として、日本が空爆した中国・重慶の追悼式に出席した際の自筆の追悼文は「私は原爆を受け片足を失いましたが、戦争に協力しました」とある。日本軍による侵略や虐待などを謝罪し、軍国少女として自分も戦争に加担したことを率直に反省している。

 手帳には、証言活動や平和学習会、集会のスケジュールがびっしり書き込まれ、講演内容も細かくメモしてある。清水事務局長は「晩年になっても学びたいという意欲がひしひしと伝わってくる。ほとんどの時間を活動に充てており、改めてすごい人だと思う」と感心した。

 展示は8月4日まで。午前9時半~午後5時半(最終日は午後3時)。入場無料。

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