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行っても地獄、還っても地獄 PTSDに苦しんだ元兵士 遺族らが集会

毎日新聞 / 2024年8月4日 15時30分

戦争によるPTSDで、軍隊経験者やその家族に長く及ぶ影響について語る黒井秋夫さん=大阪市北区で、亀田早苗撮影

 日中戦争・太平洋戦争から復員後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだとみられる元兵士の遺族らが語り合う「PTSDの日本兵と家族の思いと願い関西証言集会」が大阪市内で開かれた。関西での集会は2回目。戦場や軍隊生活で心に傷を負い、家族との関係にも影を落とした戦争の深い爪痕が語られた。【亀田早苗】

 日本では、戦地でのストレスによる精神神経疾患は「戦争神経症」と呼ばれ、1938年に千葉県にあった国府台陸軍病院が治療の特殊病院となって終戦までに約1万人が入院した。診断や治療を受けた兵士は氷山の一角だったとされる。一方、軍はその存在を否定。兵士側も「恥」の意識や精神疾患への強い偏見などから隠す傾向があり、長く表面化しなかったが、近年研究が進んできた。

 家族への暴力、無気力、過剰な飲酒。そんな父や祖父の姿は軍隊生活に原因があったのではないかと考える遺族も声を上げ始めた。集会を主催した「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表の黒井秋夫さん(75)=東京都武蔵村山市=が2018年に同会の前身の会をつくり、苦しみを語り合おうと呼びかけた。

 証言集会は黒井さんが基調講演。中国から帰還し、1990年に77歳で亡くなった父の記憶に残る姿は「抜け殻」。生涯定職につかず、晩年は孫の呼びかけにも無表情で反応できなかった。そんな父は「尊敬できなかった」という。

 父の死後、父が中国で農民に紛れたゲリラを討つという「匪賊(ひぞく)討伐」にあたり、同じ部隊で中国人の「刺突訓練」を初年兵に命じたことがあると知った。ある時、米国のベトナム帰還兵がPTSDを語る映像を見て、父の姿が重なった。黒井さんは「もっと早くわかっていれば、いろんなことがしゃべれる親子になっていたんでは」と涙ながらに語った。殺された側の恐怖、PTSDについても思い「9月に中国に行く。父は謝罪できなかったが、その代わり息子として精いっぱいのことをして、手をつなぐ努力をしたい」と話した。

 元アナウンサーで、ラジオパーソナリティーの桑原征平さん(80)は、復員後に酒を飲んで暴れ、母や兄弟に暴力を振るった父を語った。母は「お父ちゃんは戦争に行くまでええ人やった。元に戻らはる」と生活を支えた。

 父の死後、従軍日記が見つかった。「おやじはえらいもんを見ていた」。死闘の後に中国のトーチカに飛び込むと、7、8人の中国人が全員亡くなっていた。足元には鎖。逃げられないようにつながれていた。「上官は自分たちだけ逃げて、2等兵は中国も日本もこんな目に遭う。ひどい、と書いている」という。民家に隠れた中国人を引きずり出し、上官の命令で銃剣を刺したこともある。「感触が忘れられない」と記されていた。「戦争は行っても地獄、還っても地獄。絶対したらいかん」と、最近の政治の動きに警告を発した。

 同会は同様の体験をした家族の参加を呼びかけている。黒井さん(080・1121・3888)。

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