「ずっと生き延びて」アオギリのうた作者 被爆樹木の異変に心痛め
毎日新聞 / 2024年8月4日 12時30分
当たり前のようにそこで生きていると思っていたのに――。広島市の大切な木に異変が起きている。シンガー・ソングライターの女性はその木との出会いが人生の転機となった。もはや人生の一部となった被爆樹木アオギリ。彼女はその衰弱ぶりに心を痛めていた。
森光七彩(ななせ)(31)さん=広島市=が被爆アオギリに出会ったのは小学2年だった24年前だ。平和教育の一環で被爆樹木をテーマにした絵本「アオギリのねがい」を担任教諭が読み聞かせてくれたことがきっかけだった。被爆したアオギリの種から生まれた木が、2度とこんなことを起こしてはいけないという「母」の願いを小学生に広めていく――という内容だ。学年全体で平和記念公園へ被爆アオギリを見に行った。幹に被爆の跡が残るアオギリが青々と葉を茂らせる姿に感動し、作文を書いた。
作文を読んだ母が「いい歌詞になりそう。曲を付けたら」と勧めた。音楽講師の両親の下で幼い頃からオリジナル曲を作って遊んでいた。その延長で自作した曲が「アオギリのうた」だ。
広島市は2000年、21世紀を前に新しい時代のまちづくりに取り組もうと「広島の歌」事業を実施していた。応募したところ、915曲の中から見事グランプリに選ばれた。
1945年8月6日に広島女子商業学校1年だった祖母(91)は、建物疎開の作業中に爆心地から約1・5キロの鶴見町(現・広島市中区)被爆した。救護トラックに乗った友人が後に亡くなったことなどを幼い頃から聞いていた。
「平和を願って曲を作ったわけではないけど、私の根底には祖母の話があったと思う。原爆は人ごとじゃなかった」。祖母は毎日CDをかけ、受賞を喜んでくれた。
授賞をきっかけにうれしい出会いがあった。平和記念公園で車椅子の女性から「(曲を)作ってくれてありがとう」と声をかけられた。アオギリの下で証言活動を続けていた被爆者、沼田鈴子さんだった。
沼田さんは21歳の時、爆心から約1・3キロの勤務先、旧広島逓信局(現・日本郵便中国支社)で被爆した。片足を失い、婚約者も戦死した。絶望の中、被爆しても芽吹く勤務先のアオギリを目にし、生きる希望を取り戻した。その後、平和公園に移植されたアオギリの下で、58歳の時から被爆体験証言を続け、「アオギリの語り部」と呼ばれた。
沼田さんと一緒にイベントに出たこともある。沼田さんが被爆体験を語り、森光さんの曲も披露された。沼田さんは11年に87歳で亡くなったが、「沼田さんの思いがちゃんと伝わっているということを歌で示せたかも」と振り返る。
大学卒業後、NHKのアナウンサーを経て、独立してフリーアナウンサーとなり、環境は変わったが、それでも、20年以上前に作った曲は変わらず広島内外で歌い継がれ、平和学習にも使われている。周囲の期待を重荷に感じたこともあるが、今ではアオギリは大切な存在だ。
そのアオギリに異変が起き、隣に建った「G7広島サミット記念館」が影響した可能性があるというニュースに触れた。悲しさだけでなく、複雑な思いが去来した。実際に見に行くと、アオギリの葉は全体的に小さくなり、強い日差しの中、黄色く変色した部分が目立った。「いま生きようとしているアオギリの姿を見て、沼田さんの気持ちが分かる気がする。ずっとずっと、この場所で生き延びてほしい」と願っている。【矢追健介】
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