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砲台、火薬庫…島々を要塞化 山口・蓋井島、戦跡が語る戦時下の記憶

毎日新聞 / 2024年8月12日 8時45分

蓋井島に残る第二砲台跡

 響灘海上に浮かぶ山口県下関市の蓋井島(ふたおいじま)では、旧陸海軍が設置した砲台、火薬庫、弾薬庫、兵舎などが今も多数残されている。

 明治期、関門海峡の両岸には、海峡への外敵の侵入を防ぐため多くの軍事施設が造られたが、実戦で使うことなく大正期にはほとんどが廃止された。

 昭和に入ると、日本の大陸進出などを契機に、関門海峡と八幡製鉄所、大陸間を行く船の安全を守るため再び軍備を増強。響灘、玄界灘の島々に砲台の築造が進んだ。

 蓋井島にある施設は主に1933(昭和8)年以降に着工された。2023年6月、九州大の研究者らが島の戦争遺跡の記録を後世に残そうと3Dスキャナーで調査。島は「下関要塞(ようさい)」の一部を構成しており、角島(下関市)や沖ノ島(福岡県宗像市)などの軍事施設と連携していたのではないかと推定した。

 蓋井島では「擬装砲」が少なくとも4基確認されている。第二次世界大戦末期に軍が島の実戦用砲台を別の場所に移した後、石やセメントを固めて砲台に見せかけたもので、製造には島の人たちがかり出されたという。

 こうした軍事施設を置いたところで、米軍の潜水艦による攻撃や海峡周辺への機雷投下は防げなかった。

 調査に加わった下関市文化財保護課の中原周一主任は「各地に戦争遺跡は残っていると思うが、記録としては十分に残っていない。地域の人も知らなければ忘れられていくのではないか」と懸念する。【山本泰久】 

蓋井島 

 山口県下関市吉母の北西約6キロにある面積2.32平方キロの島。本土側の吉見漁港との間に1日2~3往復の定期船がある。人口は約80人(2024年4月現在)。周辺海域ではアワビ、サザエ、ウニなどが採れる。

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