8歳下の「かねちゃん」が… 銃後のバリカン少女の身近な死
毎日新聞 / 2024年8月14日 7時0分
毎日新聞が戦時中に発行した青年向け雑誌「大日本青年」には、延べ1万5000人を超える読者からの投稿が掲載されました。
彼らは戦争の時代をどう生き抜いたのか。あるいは命を落としたのか。
その人生をたどり、受け止めるため、「大日本青年」の残像を記者たちが追いかけました。
非常時局の丸刈りに「感激した」
鳥取・倉吉の国鉄倉吉駅前の商店街にある松原理髪店で働く少女は最近の客が変化していることに気づく。服装は背広から団服に、そして髪形は長髪から丸刈りにする青年が増えている。
ある日、客に聞いてみた。
「なぜ丸刈りにされたのですか」
すると、こんな言葉が返ってきた。
「丸刈り頭を叩(たた)いてみれば非常時突破の音がする」
少女はこのエピソードを雑誌「大日本青年」の読者欄に投稿し、1940(昭和15)年1月15日号に「丸刈りに感激した」という題で掲載された。
「私は理髪店でバリカンをもつて働いてゐる一少女でございます」と自己紹介し、先日の客とのやりとりをつづって、こう結んでいる。
「第一線にあつて働くことの出来ない私ども女子青年はせめて銃後にあつて虚栄心を戒め、(中略)この非常時局を乗り切らねばならぬと固く決心してゐます」
「銃後」や「非常時局」といったものものしい言葉に、地方都市の理髪店で仕事に励む若者のすぐそばにも戦争の足音が迫ってきている緊張感が伝わってくる。
翌年、太平洋戦争は始まる。文面から快活な印象が伝わってくる「世瀬久子」という名の少女は戦争の時代をどのように生きたのだろうか。
「仕事一筋だった母がこんなことを」
「世瀬」という名字で電話帳を調べると、倉吉市内で11軒見つかった。一つ一つに手書きの手紙を出すと、翌日、久子さんのめいという女性から連絡があり、久子さんと一緒に働いていたという姉を紹介してくれた。
久子さんが義理の母だという男性からも「お手紙をいただきました」と電話があった。直接話を聞きたいとお願いして、6月下旬、鳥取に赴いた。
久子さんの一人娘、和子さん(80)は、電話をくれた夫の征志(つよし)さん(83)とともに迎えてくれた。
久子さんは2020年に102歳で亡くなっていた。「仕事一筋だった母がこんなことを書くなんてびっくりしました」。84年前の母の投稿に目を通した和子さんは少し戸惑いつつも母の半生を語り始めた。
13歳で理髪店に奉公に
7人きょうだいの3番目で、農家だった両親は畑仕事で忙しく、子守は久子さんの役割だった。尋常小学校にも幼い弟や妹たちをおぶって通った。卒業すると、すぐに松原理髪店に奉公に出る。まだ13歳だった。
大日本青年に投稿が載ったのは、理容師として経験を積んだ21歳のときだ。まもなく同じ理容師の茂さんと結婚する。
松原理髪店の経営者から店を買い取って、43年ごろに「サンエス理容所」を開業した。「世瀬茂」の頭文字のアルファベットが三つのSだったことからそう名付けた。
44年3月には和子さんが誕生。出征していた茂さんが一時帰宅した時には、久子さんが駅まで夫を迎えに行って、生まれたばかりの和子さんを見せたという。
写真しか知らない「かねちゃん」
和子さんはこの投稿はもちろん、戦時中の話を母から聞いたことがない。ただ、戦争と聞いて思い当たるのは、母の実家の仏壇にあった写真のことだという。
写真に写っていたのは7人きょうだいの6番目の兼好(かねよし)さん。「海軍の制服を着て腰に軍刀を差して、みんなから『かねちゃん』と呼ばれていました。でも私は写真でしか知りません。戦争で亡くなったと聞いていましたから」
久子さんのきょうだいは全員他界していたが、鳥取県米子市に住む藤川艶子(つやこ)さん(88)は兼好さんのことを覚えていた。サンエス理容所で戦後働いていたという久子さんのめいで、7人きょうだいの長男の娘にあたる。
「家族はやめとけって言ったけれど、かねちゃんは海軍に志願すると言って聞かなかった。かねちゃんのお母さんは『一番いい子じゃった』と言ってました」
木箱に入っていたのは「小石だけ」
藤川さんが国民学校に通っていたある日、校内にある講堂脇の部屋を掃除するように言われた。兼好さんが戦死し、村が葬儀を執り行うのだという。
兼好さんの母親は白い布がかかった木箱を大切そうに抱えていた。箱を揺らすと「カタカタ」と小さな音がした。まだ8歳だった藤川さんが「何が入っているの」と聞くと、「何も入ってないよ」と返ってきた。
藤川さんはあの時の光景を思い浮かべて言う。「かねちゃんの乗った船は日本から戦争に向かう途中で攻撃を受け、沈んでしまったと聞いています。だから遺骨もなく、箱には小石だけ入っていたのでしょう」
藤川さんに昔のアルバムを見せてもらった。幼いころの家族写真に交じって、学生服を着た少年の写真があった。
写真の裏に書かれた「弟十七才」
「あっ、かねちゃん」。驚いたように藤川さんが指さした。兼好さんの写真が残っているとは思わなかったようだ。
アルバムから剥がすと裏に「弟十七才」と書いてあった。「私の父の字です。結婚するときに母が持たせたのでしょうか。初めて見ました」。藤川さんは不思議がりながらも、いとおしそうに兼好さんを見つめた。
久子さんもそんなまなざしを8歳年下の弟、兼好さんに向けていたのだろうか。兼好さんが入隊したのは、あの投稿から3年後の43年4月。その時も久子さんはバリカンで兼好さんの頭を刈ったのだろうか。
赤い瓦と白の壁の土蔵が建ち並んでいたかと思うと、棚田が一面に広がる景色に変わる。当時の久子さんの思いを探すため、そんな倉吉のまちをさらに歩いた。【堀智行】
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